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ルーブル美術館通い12

前に、ローマの王たちの彫刻を紹介しました。
今回は続きで、女性バージョンです。

なぜか気になったのが、髪の毛のうしろ。

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哲人皇帝マルクス・アウレリウスの妻Faustineということです。皇后陛下というのに、お顔がなくてごめんなさい。La jeune(若様、みたいな感じ) と呼ばれていたのですね。ということは、もう一人同名の、もっと年上の人がいるのでしょう。日本語だと「大」「小」と訳されますが。180-190年ごろの大理石の彫刻ですが・・・。この首の両脇にあるのは、もしかして後れ毛?

気になりだしてとまらない私。

もう1枚。

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こちらも同じ皇后です。ティボリ界隈で発見。161年のもの。こちらも首の両脇に、、、後れ毛?
こっちのほうが若いのね。そういわれてみると、後姿もなんとなく若いような。
13人も皇帝との間に子どもをもうけましたが、成人したのは7人だけだったようです。皇帝一家だから栄養はよかったでしょうに、半分の確率ってすごいですよね。

後れ毛はくるくるですねえ。

さらにもう1枚。

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この方はMélitinè という女性で、Piréeの地母神の聖域の巫女だったそうです。163―164年のもの。説明を読むと、マントの折り方がこの地方特有のもので、すごくリアリズムな描写なんですって。後ろにばかり気をつけていて、完全に前は見落としました(でもルーブルのサイトで見られるけどね)。でも、この方も後れ毛がある。しかもくるくる。たしかにリアリズムです。

これは本当に後れ毛なのか。みんなくるくるの後れ毛だったのか。
くるくるの後れ毛ということは、地毛がくるくるということだ。直毛じゃなくて。日本人にわかりやすくいうと、もともとパーマがかかっているみたいな髪の毛という感じになると思う。
確かにそうかもなあ、、、と思う。
南にいくと、直毛というのが減るような印象がある。しかも、髪質があつい感じがする。

ココ・シャネルが若き日の森英恵にあったとき、「あなたのまっすぐな黒髪が、とてもきれい」と言ったそうだ。黒髪はヨーロッパに珍しくなくても、まっすぐでさらさらはまれなのだと思う。

さらにもう一つ。

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マティディアという女性です。トラヤヌス帝のめいで、後にハドリヌス帝の皇后となるサビーヌの母親だそうです。112年ころのもの。この人の後ろも、くるくる。

やっぱりこれは、自然な後れ毛なのではないだろうか。

池田理代子のマンガ「エロイカ」で、ナポレオンがイタリアを征服し、ジョゼフィーヌがイタリアにいるナポレオンを訪問する場面がある。ご存知のとおり、当時パリで流行の女性のファッションは、「ローマ風」だった。コルセットをもはやつけないのだ。胸の下に切りかえしがある。
ジョゼフィーヌとお付きの女性たちは、イタリアに新しい「ローマ風」モードをもたらした。

マンガの中で、ある日、イタリアの宮廷の女性が、それまでのコルセットのドレスを脱ぎ捨てて、ジョゼフィーヌたちの真似をして、「ローマ風」衣装を身につけて登場するシーンがある。男性たちは「フランスかぶれになった!」と叫ぶ。するとジョゼフィーヌが近づいて、イタリアのマダム、じゃないセニョーラたちと話をする。

「あら、奥様方、とてもお似合いになるわ」
「コルセットをつけないと、とってもラクなんですもの」
「ほら、こんなふうにローマ風髪飾りをつけると、とっても素敵ですのよ」
「髪をまく(?)まとめる(?)のが大変なのよ、もう」
「あら、イタリアの方の黒髪は、まとめやすいですわよ」

とまあ、こんな会話が続くのだ。(私もよく覚えているなあ・・・)

でも、このくるくる髪を見ている限り、この会話は半分当たっていて、半分間違っていることになる。
「イタリアの方の黒髪はまとめやすい」というのは、当たっている。
でも「まく or まとめるのが大変なのよ」というのは、どうかなあ・・・と思うのだ。
髪質から考えたら、まとめやすいと思う。
だからこそ、本物のローマ時代では、女性はこういう髪型をしていたのではないかしら。

さて、さらにもう1枚。

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これは石棺だ。「9人の女神の石棺」と呼ばれる有名なものらしい。紀元前4世紀以降のギリシャでは、芸術や文学は女神たちによってインスピレーションを受けるもので、これらを実践したものは亡くなると、死出の旅立ちに女神たちが見送ってくれるという。だからローマ時代にも盛んに石棺に女神たちは彫刻されたそうだ。この石棺は2世紀の後半くらいのもの。
――という、とても素敵なお話があるのに、私が見ているのは、後れ毛だけ(笑)。
さすがに、女神たちに後れ毛はなかった。9人もいるから描写が省略されたのか、それとも女神だから、「かんぺき!」なのかな。

さて、髪型といえば、こんなのもありました。

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蜂の巣みたい(笑)。ドミティアという、ドミティアヌス帝の皇后。紀元後90年くらいのもの。
この時代のフラウィウス朝(3人の皇帝がいる。五賢帝の前)にはやったヘアスタイルだそうです。
その名も「蜂の巣」。そのまんまじゃないの。
このドミティアという皇后は、なかなか壮絶な人生を歩んだようですね・・・。
キャプションには「髪型が、王女の顔つきの冷たさにアクセントを与えている」だって。

でもね、後姿は前と違ってすっきりしている。

hachi2.jpg

後れ毛はないのね(笑)。

絵にかかれたドミティアというのもいます。ローレンス・アルマ=タデマというオランダの画家が1885年にかいたもの。左の後ろで、手をつないでいる女性が彼女です。(当時不倫のうわさがあって、それを描いているらしい)。
写実的な中にも、フランスっぽい感じがする絵ですね。なるほど、この画家はパリに住んでいたけど、普仏戦争をのがれてロンドンに行った。彼の古代ギリシャローマの絵は、ハリウッド映画に大きな影響を与えた。たしかに~。ガルボとかあの時代の映画に似ている感じもするわ。

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前の髪の毛がこんもりしている。
今でも北アフリカっぽさがまざっている女性は、髪のボリューム感がこんな感じよね。イタリアにはそういう女性がフランスよりも多いと思う。ドミティアという人は、初代皇帝アウグストゥスの直系なのだけど、孫の孫で、混ざりに混ざっているものね。
この人が蜂の巣頭の後ろに、金色の飾りをつけている。これがさっきジョゼフィーヌで紹介した「ローマ風の髪留め」の原型です。

髪の毛をゆったら後れ毛が出た、なんて、皇后でもわたしのようなフツーの人でも、どの時代のどこの国の女性も同じなのね。なんだか親しみわいちゃう。それを大理石の彫像に残すローマの芸術家もすごいなあ。

順路を逆流してしまったので、新しい → 古いの順序になっています。

ところで、私が後ろばっかりみて激写していたら、金髪の女の子が覗き込んできて、さっと後ろ姿の写真をとって去って行きました。観光客によくある「なんでも映してやろう!」みたいな感じ。あとで撮った写真をみてなんていっているのかな~(笑)。

最後の1枚。

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昔の鏡です。紀元前4-3世紀くらいは、エトルリア地方が鏡の産地だったそうです。帝政ローマの時代にはガラスの鏡が登場するけど、それまではブロンズや希少なメタルだったとのこと。
「ちゃんと髪がまとまったかしら」と見るのには、ローマの女性たち、少なくともここに登場するような高貴な女性はガラスの鏡を見ていたのですね。もちろん、髪結いは侍女の仕事だったでしょうけれど。

でも、それでナルキッソス(ナルシス)の神話がわかりました。
池にうつった自分の顔をみて、みとれてしまうという話です。
「ナルシスト」の語源です。
それだけ鏡が貴重で、質がよくなかったのね。
今みたいに始終自分の姿を鏡でみる習慣などないし、見る道具もない。
はっきりうつるのは、お天気の良い日の、きれいな澄んだ池くらいのものだったのでしょう。
だから自分の顔をみる機会なんて、ほとんどなかったのね。

鏡の話は、邪馬台国の出土品のなかにも出てくるのに、そこまで考えたことがなかったわ。
鏡っていうのは、一つの大きな文明の象徴だったのでしょうね。
だから「鏡の間」なんていうのが、権力の象徴としてできたのかもしれない。美しいだけじゃなくて。
鏡で自分をみすぎたから、啓蒙思想(原語はルミエール=光)なんてものがうまれたのかも。



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