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異文明・異宗教の出会いを考える

エジプトでイスラム国によって、コプト教徒が殺されました。
そこで、コプト教会の法王によって、葬儀が営まれました。
目を見張ったのは、写真。
うーん。
東方正教会なんだけど、どこかカトリックっぽい気もする・・・。
美しい。
実際は、怒りに満ちたものすごい群衆が集まった状態だったようです。
次は北アフリカがまずそう。

コプト教会というのは、エジプトのキリスト教会のことです。
エジプトは、クレオパトラ女王を最後に、ローマに征服されてしまいました。古代エジプト文明の終焉です。ローマ帝国時代にはローマ化するのですが、ローマ帝国はキリスト教が国教になったと思ったら、滅びてしまいました。その後イスラム教が普及するまでの間、エジプトはキリスト教だったんです。これがコプトです。イスラム化した後も、キリスト教徒は一部残りました。

ルーブル美術館に、コプト美術のコーナーがあるのです。こじんまりとしていますけど。
織物が有名とはいっても、目をひく派手な展示品はないのですが、私はすごく惹かれるのです。
なんかこう、、、ギリシャ・ローマ世界と、キリスト世界とイスラム世界とエジプト世界が混ざっているような感じがするのです。

歴史はとっても古いです。
ローマ帝国では、キリスト教徒は迫害されていました。だから、ローマの中心から見れば辺境である、エジプトの奥のほうにと、逃れて住んでいったと言います。

フランスにいたので、コプト教会の名前は知っていました。サー(シスター)・エマニュエルというカトリックの尼僧が数年前に亡くなりました。フランスのマザー・テレサと言っていいでしょう。彼女は、エジプトのとても貧しいコプト教徒の村で、ベッド一つしかないとても質素で貧しい家に住んで、援助活動、特に子供に対する援助を行っていたのです。
彼女が死んだとき、フランス中で大きなニュースになり、彼女の生涯を紹介しました。そのときに知ったのだと思います。

私は前から、「一番関心があるのは、文明とは何か、国とはなにか、民族とは何か、ということだ」と書いてきました。文明については、もっと正確にいうと、文明の出会い・・・と思うんです。

最近は、美術関係の本を読む割合が増えました。
美術関係者や美術学者というのは、わりと自由に発言しているんだなと感じます。
歴史学者とは、また違う規範をもっているようです。

そこでもいろいろ知ったのですが。

ユダヤ人というのは、最初から一神教じゃなかったらしい。
私は、ユダヤ人というのは一神教の「発明」ゆえに、今にいたる大きな力をもっているのかなと思っていました。
でも、最初は多神教だったらしいんです。
それが一神教になったのは、エジプトの影響があるという説があります。
紀元前14世紀ごろ、エジプトでアメンホテップ4世がアマルナに遷都して、まるで一神教のようにアテン信仰を始めました。アテン神は、多神教のエジプトの神の一人(?)でしたが、忘れられていた神様だったらしい。王様は、今までのしがらみを逃れたかったのでしょう。政治のしがらみ、宗教のしがらみ、すべてを。だから、遷都して、今までとは名前も形も違う宗教を始めた。王の死とともに終わる、短命な時代でした。

この時代の美術は「アマルナ美術」と呼ばれ、エジプトでは例外的に、写実性で知られています。世界史で習いました。
(ルーブルにも、アマルナ美術のコーナーはあります。本当に1つか2つですが、「ほんとだ!古代エジプトっぽくない!」という素人目にもわかる、アマルナ美術らしいオブジェがあります。)
これがユダヤ教の一神教の成立に影響を与えた・・・という仮説です。

あと、この前、ギリシャ神話の本を読んでいて「そういえば」と思ったのですが、ギリシャ・ローマには「地獄」の思想がないのです。ここでいう「地獄」とは、生きているときに悪いことをした人が、死後に落ちて苦しむという、「悔い改めよ!さもないと、地獄に落ちるぞ!」と脅されるような、あの地獄です。

ギリシャ・ローマ神話にあるのは「冥界(めいかい)」なんです。死者の暗い世界はありますが、別に苦しんでません。
そう考えると・・・キリスト教には地獄の思想がある。いったい、この思想はどこから来たの?

一方で、仏教にも地獄の思想はあります。
インドの文化の大元にも、地獄の思想はなかったのだそうです。なのに、インドでうまれた仏教には地獄の思想がある。これもどこから来たのだろう。

この思想の大元はシュメール文化だ、というのです。シュメール文化というのは、要するにメソポタミア文明(の初期)です。
チグリス・ユーフラテス川がうんだ文明で、今のイラクとかシリアとかトルコとか、ヨルダンやイランのあたりです(イスラム国の「領域」の話じゃありません)。

ということはつまり、地獄の思想がなかったギリシャ・ローマ文明とインド(インダス文明)という世界の地に、地獄の思想を与えたのはメソポタミア文明。

別のことになりますが、「最後の審判」という思想は、エジプトにあります。ただ、キリスト教ですと、世界が滅亡するとか理想の世界が実現されるいうイメージになりますが、エジプトは違う。審判の結果が悪いと、復活できないという罰が与えられるだけだったようです。といっても、エジプト人には、これが最悪の罰だったのですが・・・。あれほど再生を願って王様から平民までミイラをつくっていたのですから。
ギリシャ・ローマ神話にもないわけじゃないけど、やっぱりエジプトから来た思想なのかな。どうなんだろう。

まざっていますよね。

「西欧文明」=ギリシャ・ローマ→キリスト教文化
という流れで理解していますが、決してそれだけじゃない。

私はですね、こういうことを理性的に知的にちゃんと勉強すれば、こんなに宗教等で争わなくてすむんじゃないかと思うんです。私たちはみんな、影響しあっているんだよ、って。日本は大陸じゃなくて、はじっこの島国だから影響を与え合うことは少ないけど、ないわけじゃない。ちゃんとある。
でも人は、他の人と違うと言いたがる。共通項をみつけて仲良くするよりも、異なるところをみつけて、「あいつなんて。私のほうが上」と言いたがる。


私は、個人的にはイスラム国は、近代化への恐れ、西洋化への恐れが、あのような形で過激な形で反動でおこった面があるのだと感じています。
スペインの反宗教改革、趣きは違いますが、フィレンツェのサヴォナローラも同じだと思います。
反動は起きたけれど、次にやってきたのは、欧州におけるキリスト教の世俗権力の衰退、フィレンツェの衰退でした。

イスラム国の場合、外国が介入しているので複雑ですが、近代化は避けられない人間の道だと思っています。
科学の精神・知への精神への欲求は、とめようがありません。
まずは医学からだと思います。
大切な人が、病気や死に瀕して苦しんでいるのを見て、助けたくない人はいません。もし西洋医学ー近代の科学が救えるのなら、学びたいと思うのは当然でしょう。
人が病気になることが減り、年齢順に亡くなるようになると、どの社会でも宗教心は薄れていきます。医学を筆頭に、科学と科学的精神に基づいた知が発展すれば、次の問題は、不平等。そして自分の権利。このようにして社会は変わっていくのだと思います。

今の現象は、「近代化への生みの苦しみ」だとも思っています。
もちろん宗教は、文化や風土、精神や心の支え、あるいは国や民族を特色づけるものとして存在し続けるでしょう。
でも、今までと同じではいられません。
よく「15世紀と21世紀の対立」などと言われますが、私もそう思います。
でも、21世紀と隣接している以上、15世紀のままではいられないのではないでしょうか。
私たちは今、一つの大きな文明の黄昏を、目の当たりにしているのかもしれません。


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