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なぜ偶像崇拝が禁止なのか

イスラム国が話題になっていて、博物館の遺物を盛大にこわす様子などが放送された。
もっとも重要なものは売って資金源にしていて、レプリカ(偽物)などを壊しているというウワサもある。でも外にある遺跡を壊している。あれはレプリカとはいえないでしょう。

説明される理由が「イスラム教では偶像崇拝が禁止だから」。

今回は、この「偶像崇拝」について考えてみました。

宗教を考えるのには、いくつかのポイントがある。
まず一神教か、多神教か。
そしてもう一つの大きなポイントが、偶像崇拝があるか、禁止かである。

私はここ最近、古代エジプト、古代メソポタミア、古代ユダヤ、キリスト世界、イスラム世界、、、などを美術を通して感じたり調べたりすることが増えて、一つの感慨をもっている。

何か新しいものを創ろうとする意志があるときは、古いものを否定しなければいけない。
「自分はオリジナルだ、独特だ。特別の存在だ」というのを出したいときも同じである。

思想があるがゆえに、古いもの・既存のものを否定するときもあれば、新しい感じを出すために、とにかくなんでも既存ものを否定しとけ、という場合もある。後者の場合でも、もっともらしい理由をつけるので、両者の区別はつきにくい。

わかりやすい例を出せば、ファッションなんか、長いスカートが流行れば次は短いスカート、細い眉が流行れば次は太い眉。それだけで、みんな「新しい!」と飛びつく。要するに既存を否定すれば新しいと人は感じるし、人は新しいものに惹かれるのだ。宗教とファッションを完全に同列にするつもりはないけど、ファッションは思想云々が薄いだけ、人間心理がわかりやすい面はある。

なんで偶像崇拝が禁止か。
それは、あまりにもたくさんの素晴らしい偶像が既にあったからだと思う。
イスラム教がうまれた近場のメソポタミアやエジプトは、偉大な文明の地だった。世界中に影響を与えたほどの、すばらしい文明と技術を誇っていた。彼らは多神教で、優れた偶像、すぐれた遺跡をたくさんもっていた。メソポタミアなどは文明の交差点で、たくさんの民族、たくさんの国、たくさんの文化・文明がうまれた。たくさんの宗教の痕跡が残っている。彼らは多神教だった。

こんななかで「新しい宗教」をはじめるには、「偶像はもたない」は新鮮だ。それにやりやすい。

たくさんのモードのスタイル、色や模様や装飾がきらめている中、シンプルな黒一色の、全く異なったラインのファッションは衝撃を与えた。それまでのファッションシーンを一変させる新しさだった。これは「きらびらやかな服飾の否定」という思想であった。でも、それだけではない。新人のデザイナーには、ますますこって複雑に高額になっていく装飾のための材料は、買う事ができなかったという事情もあったのだ。

それに感覚としては近いのではないか。

ここで、さらに考えてみる。

「新しさ」をつくるには、主にふたつのやり方がある。
一つは、前述したように、既存のものの徹底的な否定。
もう一つは、既存の豊かな文化をとりいれて、融合させて、独自に発展させるもの。

ほとんどの場合は、後者だと思う。

例えばペルシャ文明。「ペルシャ文明」(とかペルシャ語)とかは、それほど興味がない人まで名前を知っている、偉大な文明である。現在のイランですね。もともと優れた文化をもつ地ではあったが、最初から偉大な文明であるわけではなかった。優れた王が、強権をもって、主にメソポタミア文明でうまれた様々な優れた様式や文化を取り入れて、融合させたのだ。そして独自の発展を遂げていった。
つまり、もともと豊かな地で、集中的な権力があればこそ、さまざま文化を融合させて新たな独自のものをつくり出すということができたのだ。
でも、それらが乏しかったら、難しい。そのときは、「既存のものの否定」にいくしかない。

ルーブル美術館を見ていて、そんなことに思い至りました。

ところで、偶像崇拝の禁止というのは、イスラム教が初めてではない。ユダヤ教という前例があった。ユダヤ教徒も、ちょっと油断すると人々は偶像を作り出したそうで。そんな話を読んだけど、元は聖書に書いてあるのかな(旧約聖書は歴史書でもありますので)。
→→ 記憶をもとに検索してみました。確か金の牛だったような気がしていましたが(昔読んだ本にイラストがあったんです)、「金の子牛」という、モーゼにまつわる旧約聖書のお話でした。旧約聖書のものがたりは、本当に面白いですね。

どうも、人間は偶像なしに安心して信仰をもてるほど、強い存在ではないらしい。

そういう意味では、本当に偶像なしでやってこられたイスラム教というのは、やはり信じる人たちの住む自然とか環境とか、そういうのにマッチしたものだったのかもしれない。

イスラム教がうまれたアラビア半島というのは、砂漠が続き、文化はあるが文明はなかった。だからこそ、新しい「イスラム教」という宗教・文化を、国家権力ではなく、一人ではじめるには、前述した「既存のものの否定」という方法に必然的になったのかなと思う。さらに、そういう気候風土ゆえに、偶像がないというのは、発祥の地の人々にあっていたのではないか。

その後、イスラム教は広まって、イスラム美術が広域に発達する。偶像はないものの、すばらしいモザイクやオブジェ、カリグラフィーを生み出した。美術が発達したのは、砂漠のアラビア半島ではなく、すでに文明があった今のトルコ、イランなどの地だった。偶像崇拝があった、多神教の豊かな文明の地で、偶像崇拝を禁止する一神教の宗教が受け入れられた。そして、偶像崇拝以外のジャンルでは美術は大いに発達した、と。やはり文明の歴史が過去にあったからでしょう。このあたりも面白いですね。同じ一神教でも、キリスト教世界とは違いますね。


もう一つ突っ込んで書くならば、「神様」を偶像化するのに、禁止とまではいかないまでも抵抗がある文化と、まったく問題ない文化がある。
例えば、日本の神道は多神教で、神社にはほこらはあるけれど、ほこらの中に神様の形をした偶像が置いてあるわけじゃない。神様の絵が、あちこちに描かれているわけではない。同じ多神教でも、像がばんばんつくられたギリシャ・ローマとは全然違う。仏教だってそう。ギリシャ・ローマみたいに、仏像が山のようにある。
日本という国は、神道という、神様を偶像化・具象化することが禁止ではないが抵抗がある宗教と、まったく抵抗がないどころか、国をあげてたくさん偶像をつくり続けた仏教という宗教の、二つの宗教が混ざっている国だ。これは自分の国を知る点で、面白いポイントになるのではないかなと思っている。

キリスト教だって同じだ。キリスト教は一神教に入るけど、多神教的な要素がある。キリスト様、マリア様、聖人たち。教会のまんなかに鎮座するのは、キリストだ。彼は神の子であって、天地創造の神は別にいる。キリストや聖母マリアや聖人たちは、ギリシャ・ローマを凌駕するほどに像がたくさんつくられて、絵もたくさん描かれた。でも、キリスト教教会にいっても、天地創造の神様の像はない。絵にしても、神様が描かれる頻度は、ないわけじゃないというくらい少ない。あるということは、禁止というわけではないらしい(ミケランジェロの絵が有名ですね。アダムと神様が、指先で今にも触れ合う、というあの絵です)。
禁止ではないにせよ、キリスト教世界では、神を偶像化・具象化することは極めて少なかった。

キリスト教は、ユダヤ教と、ギリシャ・ローマの宗教に対抗して成立した宗教だ。
細かくどう違うか比較していくと、きっと人間の心の動きということで、興味深い結果がわかるのだと思う。もうすでに研究があるだろうから、なにかよい本はないのかな。


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