SSブログ

ルーブル美術館通い 14

今日は本当に色々収穫がありました。

今日は、「ここは見たっけ?」とわからなくなっている、ちょこちょこした部分を見てまわりました。
彫刻のところは、結局既に全部見た感じがする。王朝期のフランスの部屋という、新しいセクションは、こちらも既に全部見ていた。奥があるかと思ったんだけど。

彫刻のところを見ていると、一つはっとさせられる像がありました。

これです。↓
EC2.JPG

十字架にもたれるイエス・キリストの像です。

私は今まで、おそらく千以上のキリストの彫像や絵を見た事があります。実物、写真、テレビや映画などなど。教会があれば、時間があれば中を見るようにしているので、そこでも見ます。

でも、正直に言って、今までただの一度たりとも感動したことがありませんでした。そもそも理解できないのです。理屈では、なぜキリストが信仰されるのか知ってます。でも、マリア様を見ると、素直に「いいなあ」「すてき」「心が安らぐ感じ」「崇高な感じ」「自然とお祈りしたくなる」などと思えることが多いのに、キリストはまったくダメ。全然「?????」でした。

私はきっと、珍しい日本人じゃないと思います。日本に布教にきた宣教師が、日本人はキリストがわからないと嘆いていたそうですから。マリア様には信仰が集まりましたが。

ところが、今日、うまれて初めて、このキリスト像に心が動かされました。

なんでだろう・・・単にハンサムそうでカッコいいから???

そのとき、わかったのです。
このキリストは、カート・コバーンに似ている!!!

もう1枚。
EC1.jpg

ーーーといって、わかるかしら。ニルヴァーナっていうロックグループなんですけど。
私の心の青春です(苦笑・・・)。
ロックって、ほんの数年ずれるだけで、世代が変わっちゃうからね。
アメリカじゃ、伝説のヒーローです。
スタイルとしては、グランジという名前がありました。

彼は結局、自殺してしまいました。
他の自殺したロックスターたちと同じ27歳で。

それで想像してみたのです。
カート・コバーンは、大人や社会、世の中、そして自分ーーーすべての不満と、やり場のない怒りや悲しみを体現してくれる人でした。だからあれほどの人気があった、大スターだったのです。ファンはみな、「彼の苦しみは私の苦しみ」「彼の怒りは私の怒り」と思っていたんです。
彼は自殺でしたが、もし彼が殺されていたら? 「若者にとんでもない影響を与える」といって、大人や社会に拷問されて殺されていたら? 彼は神格化されるのかも。
そしてもし復活したらーーここはちょっと想像が難しいけどーーもし彼が穏やかな救われた幸せな様子で生き返ったら、信仰の対象になるのかも。

そんなことを考えてしまいました。

いやいや、キリスト教ってそういう思想じゃないのかもしれませんが、今までまったく、とりつくしまもないほど理解できなかった私が、この像のおかげで、ちょこっとわかった気になることができました。

作者は、Edme Bouchardon、1698-1762。1745年の作品です。
他の作品も画像検索で見てみたけど、いかにもフランスっぽい作品が多いのね。そんななか、これはとってもシンプル。なんでだろうな。



今気づいたけど、キリストが十字架にはりつけられて死んだときって、お母さんのマリア様と、マグダラのマリアと、他の人も描かれていることもあるけど、それくらいしか遺体を前に嘆き悲しんでいないわよね? あれほどたくさんの信者がいて、キリストをおっかけまわしていたはずなのに。
権力や社会から「罪悪人」「犯罪人」のレッテルをはられると、ここまで人は避けて、冷たくなれるものなのか。だから「キリストは復活して許してくれた」というのが、よけいにありがたいのかな??
人々は無視、無関心を装った。ということは、「原罪」っていうのは「無関心」なんでしょうか。
そういえば、マザー・テレサは、「愛の反対は憎しみではない。無関心である」と言いました。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。