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ルーブルで知り合ったムッシューの話

そのムッシューは、もうおじいちゃん。
明らかに定年退職者。

私があるフランス絵画を「これって何か意味があるのかなー」と思いながら、キャプションも読みつつ見ていたところ、そのムッシューと、もう少し若い40代か50代くらいの男性の二人連れがやってきて、同じように見ていた。お二人は話しながら見ていたのだけど、その内容がすばらしいこと。よほどの愛好家か、芸術関係のお仕事をしている人かなと思わせた(職業アーティストには見えなかった。趣味でかいていることはあるかもしれないけど)。

なので、「この絵って、こういう意味なんでしょうか」と、ちょっと話しかけてみた。こういうことは、フランスではよくある。
普通の場合、ちょっと立ち話をして「ボンソワール(良い夜を。さようなら)」などとなるのだが、相手が私が日本人と知って、ちょうど前にグラン・パレで終わった大北斎展の話になった。(これはすごい展覧会でしたが、話がそれるのでまた今度)。
そんなんで結構長い事立ち話をして、ある曜日に来る事が多いというので、思いきって私から連絡先を聞いて、しばらく後に私から連絡をしてみた。
これがなれそめ(?)。

それで別の日、そのムッシューと一緒にルーブルを歩いたのだけど・・・。
本当に面白かった。彼が「これは私の意見なんだけど」というところが面白い。
例えば、ミケランジェロの「奴隷」は、ルーブルがもつ傑作の一つ。
どの言語のどの解説書を見ても、まじめな解説が書いてある。
確かに、すばらしい出来の彫刻である。息づかいが聞こえるような。
でも・・・なんかなあという感想はもっていた。
どんなまじめな解説を見ても、ピンとこない。
ムッシューは「ミケランジェロはホモセクシュエルだった。もし私がホモだったら、この彫刻をうっとり眺めるだろうね」と言った。
思いっきり、ツボにはまった解説だった。まさにそう!!!と思った。
あと彼は「私は、オルセーの女性の彫刻のほうがすきだ。とても色っぽくて官能的だから。ルーブルの彫刻は今ひとつ」と言った。
私が「確かに、全部男っぽいですね」というと、「女神などの像なので、完璧すぎるのかもしれないけどね」と笑っていた。
彼のおかげで、私がはっきり自覚はしないけど、漠然と感じていた思いを、言葉ではっきり自覚することができた。
ルーブルは、全体的に、大変男っぽい。
オルセーは、女っぽい。
ルーブル美術館は、いくつかの例外はあるものの、基本的に1848年のものまでとなっている。
芸術をうみだすのが、個人のもの、個人の表現となった時代のものは、ルーブルにはほとんどない。
言い方を変えれば、芸術が人々・市民のものとなり、民主化する以前のものである。
なにかしら、国家権力や財力のある有力者とかかわっているのだ。
これはメソポタミアから、19世紀前半のヨーロッパの芸術まで、変わらない。
そういう時代には、女性は色っぽく表現されなかったというのは、大変興味深い。

国家権力や財力と結びつくと、男っぽくなるというのは、なんとなくわかる感じがする。
でも、それだけじゃない。
王様が好色で、愛人を次から次へととりかえていても、彼女達の美しく描かれたまともな肖像画は残っても、色っぽい絵や彫刻はなかったのだ。
いろいろ理由は考えつく。
一番の理由は、宗教のように思う。
前に何かで西欧絵画について読んだけど、芸術家が自分の思いを描くには、ギリシャローマの神話の神様とか、聖人の名前を借りなければならなかったということだった。つまり、自由に描ける世界じゃなかったということ。
(だからミケランジェロの「奴隷」も、古代美の追求ということになっているのでしょうね。本当にそうでもありますが・・・)

ムッシュー曰く、西欧の画家が本当に好んで描いた女性が4人いるそうで。そのうちの一人が、有名な「マグダラのマリア」。

元娼婦ということで、それはそれは美しく色っぽく描かれていることが多い。髪は結ばずにながくおろされて・・・これだけで珍しい。画家が「美しく官能的な女性を描きたい!」と思うと、「これはマグダラのマリアです!」という言い訳(?)のもとに描かなければならなかったのだと思う。というか、女性の貞操が重視された時代では、色っぽい女そのものが、実際に存在しなかったのかもしれないけど。

女性の地位が低かったことも関係あるだろう。
キリスト教世界の中世のほうが、まだギリシャ・ローマ時代よりも、女性の地位が高かったと聞いた事があるけれど、まだどういうことが調べられずにいる。

解説書にのっている知識がなくては理解はできない。でも、それだけじゃ本当にはわからない。
私も、最初はいちいち解説を見ながら見ていたけど、あまりにも数が多すぎるので、「まずはとにかく見よう!感じよう!」という方針に変わった。「何がこの部屋に展示されているか」くらいは確認したけどね。
ルーブルをほとんど全部見終わって、一番の収穫は、「知識で得たものを、経験して確認」ではなくて、「経験したものを、あれはああいう意味だったのか、と後から確認」するという逆の方向になったことだと思う。

高校生のとき、生物の夏休みの宿題があった。確か自由研究だったけど、先生が一番評価したのは、本を読んで研究したものではなかった(私はこれでした)。内容は忘れたけど、ある男子生徒が、ちょっと疑問に思ったことをきっかけに、毎日水をあげてどうなったのか記録をとった研究を、先生はほめにほめて、最高に評価したのだった。それ自体は、世紀の発見とかいうものではなく、おそらく本で調べれば、すでに結果もわかっているし、さらに深い事実も明らかにされていることだったのだろう。でも「これが科学にはもっとも大事な事なんだ」とほめていたのだ。なぜか強烈に覚えている。

ルーブルは科学ではないけれど、私がルーブルで体験したことは、これに近いと思う。

ルーブルも終わりという時期に、ムッシューに出会えたのは、本当に幸せだったと思う。
他にも、幼子キリストの髪型の話など、本当に面白かった。
そんなに始終会うわけではないけれど、たまに会って、これからもお話を聞きたいと思っています。


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