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ベラスケス展に行きました。

パリのグランパレで、ベラスケス展をやっています。
メトロの広告で、展覧会の広告に「終わり間近」のシールが張ってあったので、「あ。そうだ。行かなくちゃ!」と思って行って来ました。

velazquez.png

ここ最近ずっと忙しく、やっと時間が出来たし、しかもかなりシビアな内容で忙しかったので、何か気分転換になることをしたいと思っていたので、ちょうどよかったです。
彼の作品だけじゃなくて、師匠さんとか、お弟子さんとか、同時代の人の作品もありました。

見ていて思ったこと。
なんだかちょっと印象派みたい。テーマとかタッチとか、女性の柔らかさや優しさのイメージとか。

スペインで裸婦の絵があるなんて、驚いた。「鏡のビーナス」という作品なんだけど。最初、まったく違う時代の違う絵が1枚まぎれこんでいるのかと思った。アングルのグランドオダリスクを思い出す。こういう裸婦像っていうのは、ベラスケスの前の時代にもあったのかしら。

肖像画コーナーは、秀逸でした。バックが黄土色っぽいもの一色で、写真館で撮った写真みたい。マネの「笛を吹く少年」なんて、これはもう完全にベラスケスの影響だな・・・と思った。

後で調べてみたら、ベラスケスは印象派の画家にすごく評価を受けていたそうです。心から納得。

若い頃描いていた、マリア様や聖女の絵とかは、とても水みずしくて美しい。

でもやっぱり心を打つのは、なんといってもフェリペ4世(1605-65)の一家の肖像画ですよ。
フェリペ4世は、スペインの王様。
ベラスケスは宮廷画家で、王家の子ども達の絵の先生もしていたのでした。

彼が描いたこの一家の絵が、もう・・・。
思春期で死んでしまった王太子バルタサール・カルロスの子どものころの絵。
妹のマリア・テレサ王女。後にルイ14世の妃になる。

この王女にそっくりなのが、いとこのマリアナ・デ・アウストリア皇女。
いとこのマリアナ皇女は、もともと王太子バルタサール・カルロス、つまり王女のお兄さんに嫁いでくるはずだった。ところが、お兄さんが16歳で死んじゃったものだから、なあんと、お父さんと結婚してしまったのだ! 本当なら「お義姉さん」になるはずだったのに、「お義母さん」になってしまった。。。しかも、年はたった4歳年上なだけ。ちなみに王太子の死因は、虫垂炎らしい。

気の毒なのは、いとこのマリアナ当人だ。14歳で44歳のおっさん(失礼!)と結婚。本当なら5歳年上で釣り合いがとれている彼の息子との結婚だったのに。。。

この二人の王女・皇女の肖像画が、展覧会で並んでいるのですね。もう見分けがつかないほどそっくり。長い顔の感じとか、ちょっとあごがしゃくれている感じとか(「ハプスブルクのあご」というやつですね。お父さんのフェリペ4世は、それはそれはもう長くて、しゃくれています)。
当時の髪型、服装が似ているせいもあるけどね。私も混乱してわからなくなっちゃったので、少し戻って、肖像画コーナーの最初にある説明書きをじっくり読んで、やっとわかった。他の人も、「あら・・・これは違う人物だわ」とかクレジットを見て言っていたので、似すぎて混乱したのは私だけじゃないと思う。
(各コーナー最初の説明は、フランス語と並列して英語とスペイン語も書かれていました。こういう説明って、英語のほうがわかりやすいと思う。ただ、英語だと人の名前が英語風になっちゃって、よけいにわからなくなるという欠点がある)

でもまだこの二人はいいのだ。
一応そこそこ長生きしているし。
泣かせるのは、他の子ども達の絵だ。

フェリペ4世は、政治家としては特に才能もなかったし、関心もなかったようだ。
でも、いい人だったらしい(まあ究極のおぼっちゃん育ちだから・・・)。
彼の宮廷は、不幸の色にまみれていたのだ。
不幸とは、子どもが生まれては片っぱしから死んで行くという不幸だ。

みんな、すごい勢いで亡くなっている。
先妻はフランス王アンリ4世の娘で、8人子どもを産んだ。
しかし、5人はすぐ死亡、1人は2歳で死亡。
もう1人は前述した王子で16歳で死亡。青空の下、威厳すら漂わせてポニーにまたがっているベラスケスの絵が有名だ。個人的には、展覧会で、これが一番良い印象のある絵だった。最後まで見て、もう一度これを見に上に上がって行った。元馬乗りの私が断言しますが、ポニーがあんなに跳躍するはずはなく、イメージで描かれた絵だったのだと思うけど、少なくともこの王子は、馬に乗れるほど健康だったのだと思う。

poney.jpg

唯一長生きしたのは、前述した王女マリア・テレサ。ルイ14世に嫁ぎ、夫には顧みられず女性としては幸せではなかったようだけど、45歳まで一応生きた。彼女の生んだ子どもがフランス王家をずっとついだ。

王太子が亡くなったあと、宮廷は悲しみに沈んでいたという。
でも、なんとかしなくてはいけなかった。
たった一人の息子が死んじゃったのだから、跡継ぎがいない。
幸い(?!)妻には先立たれているので、後妻をもらってなんとか跡継ぎを確保しないと!!!と王は思ったのだろう。それで、亡き息子に来るはずだった皇女を、自分がめとったのだった。
(でも、これ17世紀のお話よ。陸上輸送に、馬とかロバを使っていた時代の話よ。それなのに21世紀の日本でも「男子がいない、後継者がいない」と騒いでいた。やっぱりなんか違うんじゃ・・・)

皇女マリアナは、フェリペ4世自身の妹が、オーストリア・ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝にとついで生まれた皇女。だから妹の子ども、つまり伯父と姪。

そして、マリアナは子どもを5人産んだ。
ひとり目は、超有名なマルガリータ王女。この王女様はベラスケスが描いた数多くの絵で有名です。お付きの少女達が一生懸命、ふくれた王女のごきげんをとっている絵。「ラス・メニーナス」(女官達)はことに有名。この絵はなくて、弟子が描いたコピーが来ていました。問題不出の絵らしいので、仕方ない。でも他に、ポスターになっている絵とか、お父さんが死んで喪に服している絵とかがありました。
彼女の肖像画は、かなりウイーンの美術館のものとなっている。オーストリア・ハプスブルク家にお輿入れ予定だったので、「こんなふうに育っていますよ、こんな王女ですよ」ということで、送られていたのだ。今なら写真ですね。オーストリアは革命が起こったけど、ちゃんと絵が保管されているというのは、比較的穏やかな革命だったんだなと思います。フランスとはえらい違いだわ。

まだねえ、この王女は健康そうなのよ。
次に女の子が産まれて、すぐに死んだ。
次に男の子が生まれた。ベラスケスはこの子の肖像画を描いていて、今回展示されていた。お守りとか魔除けの鈴をいっぱいつけている。病弱だったようだ。3歳で死亡。

Prospero.jpg

次にまた男の子が生まれたけど、赤ちゃんの時に兄より先に死亡。普通なら、「男の子も二人目が生まれたのだから、これで少しは安泰」と思うものかもしれないけど、そんなこと、父王フェリペ4世はまったく思えなかったに違いない。

王太子の死亡後、5日後に生まれたもう一人の息子は、成人はしたものの、重度の身体障害者だった。頭も体も。
Carlos_II.jpg

ざっとまとめると、フェリペ4世の嫡出子は13人いたけど、10人死んだ。
一人は虚弱体質で重度の障害者。
二人の女の子だけは無事に育った。
先妻から生まれたマリアテレサは、22歳でルイ14世と結婚。
当時としては、割と遅い方のように感じる。
故郷を永遠にはなれたとき、異母妹マルガリータは9歳だった。
やっぱり、父や妹、弟が心配だったのではないだろうか。
お父さんのフェリペ4世も、手放したくなかったのだろう。
でも、女の子だから、嫁がなくてはならない。

後妻の子のなかで唯一まともに育ったのが、かわいいマルガリータ王女だったのだ。

オーストリアとスペインのハプスブルク家は、他にも南イタリアその他を統治する大一族だったのだけど、連帯を保持するために血族結婚を繰り返していたのです。この時代、子どもは簡単に死んだというだけじゃない。これほど子どもが次から次へと死んだのは、そしてこの王太子の悲劇は、血がにごりすぎたためだと言われている。いくらスペイン、ナポリ、シチリア、ポルトガルなど、莫大な富と領土を誇る王家であっても、このような実態だったのです。

ベラスケスは二度、イタリアに留学している。留学中は、芸術を愛したフェリペ4世の命を受けて、いろいろな美術品を買っていたとのこと。二度目のイタリア旅行から帰って来たら、先妻が生んだ王太子は亡くなり、王は後妻を迎えていて、一家は様変わりしていたという。イタリアでそのニュースは聞いていたでしょうから、どんな気持ちだったんだろう。自分が一緒に過ごし、描いて来た王子様は自分より先に、若くしてたった16歳で死んでしまっただなんて。

ベラスケス作のマルガリータ王女は、本当にかわいらしく描かれている。
あの「ラス・メニーナス」(女官達)も、父王の大のお気に入りで、執務室に飾ってあったという。
かわいがるのは当然だ。
ベラスケスが精魂込めて、かわいく描いたもの当然だ。
まだ小さかった。マルガリータ。
病弱だったようだけど、一応健康でまとも。
王から見ても、画家から見ても、唯一、この王女だけが希望であり、宮廷の明るさだったのだと思う。

子どもを13人ももったのに、10人も自分より先に死んでしまったという父親の気持ちはどうだろう。宗教がないと生きて行けないほど辛かったのではないか。

マルガリータ王女は15歳でおじの神聖ローマ皇帝にとついで、4人子どもを産んだ。でも一人の王女をのぞいて、みんな死んでしまった。本人も、21歳で死んでしまった。流産と子どもが死ぬのを繰り返し、嘆き悲しんだあげく、死んでしまった。21歳。。。信じられない。薄幸の少女、薄幸の一族なのでした。

マルガリータの肖像画がかわいければかわいいほど、なんだか涙を誘わずにはいられない・・・という展覧会でした。

ベラスケス自身の肖像画は、複数展示されていた。弟子や他の人が描いたものは、厳しい顔つきで描かれている。画家の芸術に対する厳しさを感じさせる。一方自分で描いた自画像は、穏やかで、内省しているような、ちょっと悲しげな感じがするものもあり。

それと、「馬」が目をひいた。私が馬好きというのもあるのですが。
ベラスケスが描いた大きな白馬は、黒い部屋で印象的な形で飾ってありました。
スペイン王室の馬飼い場って、今もあるのです。写真を見た事があるけど、ものすごく美しい馬で、感動したことがある。馬はスペインの伝統なのかな。馬単体の大きなものもあったし、王族や貴族が乗っているのもあった。

それと今回の展覧会は、照明がいまいちな感じがしました。正面じゃないと明かりが反射して見えにくいケースが多かったのです。いつもはそんなこと感じる事がないのに、今回は気になったということは、あまり上手じゃなかったのだと思います。

あと、私がちょっと見た事がないような額が1、2点ありました。明らかに古い手作りで、赤が基調になっていて、金色の彫りがある。さらに、最初影かと思ったけど、そうじゃなくて、濃淡をつけて塗ってあるのです。ルーブルをはじめ、スペイン絵画はパリにそれほど多いわけじゃないと思うので、私には見慣れない感じだったのかな。あれはスペイン風の額なのかも。

来場者は「わっ、白人が多い!」と思いました。
なぜそう思ったのかは、、、わかんないです。昼間に行くと、お年寄りや女性が多いのはいつものことだけど。。。白髪の人が多かったせいもあるかな。身なりは、地味だけどきちんとしているという感じの人が多かった。パリジェンヌの常で、ちょっと目を引くすてきなポイントがあったりするけれど、全体的には落ち着いた感じのファッションの人が多かった。



ベラスケスは、マリアテレサがルイ14世へお輿入れしたのを、きちんと送り届けて見届けて、亡くなりました。マドリードで死んだことになっていますが、実際は帰路亡くなったようです。享年61世。
フィリップ4世王よりも先に亡くなりました。6歳年下の王は、5年後に彼の後をおうことになります。

後日談など。
フェリペ4世の跡継ぎのカルロス(後のカルロス2世)は、重度の身障者だったけど、王太子だから結婚している。しかも二度も。ひとり目はフランスから来たオルレアン公爵の娘だけど、26歳で死んじゃった(死に際しては色々黒い噂あり)。二人目はプファルツ選帝侯の娘。こちらは長生きしたけど、どちらも子どもに恵まれず。思いっきり良く描かれているはずの肖像画を見ても、明らかに変だとわかる男性なんだから、遠い外国から嫁いで来て、自分の夫になる人を目の当たりに見た二人の女性のショックはいかばかりだったか。。。二人の女性の身分が、微妙に低いのはそのためか。王の評判は王侯世界には知れ渡っていたに決まっており、誰もそんな男性に娘をやりたくない。それでも大帝国の王様だから、万が一子どもが生まれて育てば、と思ったのか、断るに断れなかったのか。

フェリペ4世には、庶子は複数いた。一人だけ、王子と認めて宮廷に出入りしていた子どもがいたが、王位継承権だけは絶対に与えずに終わった。健康で、軍人として戦争にも参加した子どもだった。彼の死後、この王子と2番目の奥さん皇女マリアナは対立している。自分の息子は虚弱体質で身障者なのに、庶子は健康で臣下たちから「国王に」の声も・・・マリアナ皇女も辛かったでしょうね。

それから展覧会には、その後の肖像画の世界の展示もありました。素晴らしい肖像画の金字塔をうちたてたベラスケスでしたが、その後ジャンルとして大きく発展したり、跡継ぎと言えるような素晴らしい画家は、登場しないで終わったのでした。

何もかも、最後の宮廷とともに、終わりを告げたのでした。
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