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日本人の悪口を書いてみる

久々に日本に帰ってくると、いろいろ気づくことがあります。
目がガイジンになっているのかも(笑)。

いいところはたくさんあるけれど、それは日本人の私にとっては、結局普通のこと。
今回は、悪口を書いてみたいと思います。
聞きたくない人は読まないほうがいいです。

その1 街が美しくない

清潔という意味では、美しいです。おそらく、世界で一番、シンガポールと並んで一番清潔な都市かもしれません。でも。。。よくもまあこう醜い建築を、考えなしにぼんぼん建てるなあ・・・と思います。
土建国家なのは、最近あきらめがついています。数々の震災を経て、日本は地震とか津浪とか、がけ崩れなどが多い国だから、建設業が盛んになるのは無理もないと思い始めました。一昔前は、これほどには自然災害は多くなく、理由をつけては壊しまくって建設したがる土建屋、じゃない、建設会社と政治に嫌悪感を抱いていたものですが。
あの日本橋はなんですか。よくもまあ、江戸最大の名所、世界で称賛をあびる浮世絵のファンの外国人が「ぜひ行ってみたい!」と訪れる場所に、どかんと高速道路なんて建てられるわよね。バカじゃないのかしら・・・。

つくづく思います。つくるなら、少しは都市計画というものや、美観というものを考えてほしい。これは政治が弱いとできません。目の前にある建物のことしか考えていない。
そこで気づいたのですが、日本人は空間をつくるのが苦手なのだと思うんです。空間どころか、立体をつくるのも苦手なのでは。日本人が得意なのは、平面なのかもしれません。

日本を愛する人が書いた、すばらしい本があります。ぜひご一読を。

ニッポン景観論 (集英社新書)2014/12/26 アレックス・カー著


その2 女がバカな振りを強いられる社会。そして本当にバカになる

テレビを見ていて思います。
日本って、こんなに女性が蔑視されている社会だったっけ?
ニュースにうつる政府だの、会社の上層部だの、なんとか諮問委員会だの、ぜーーーーんぶ男、男、男、男、男。
まじめなニュースに出てくるゲストで登場する「識者」には、女性が出てくることも結構ある。でも基本は男、男、男。
キャスターに女性はいることはいる。でも、大半は男性が主で、女性はサブ的な位置づけ。

バラエティ番組にいたっては、司会者などは圧倒的にこれまた男、男、男。
3年ぶりにきて驚いたのは、男が主導の番組に、小学生に見えないこともない「カッワイーイ」女の子たちが、すごい数で陣取っていること。彼女たちは、とにかくかわいく笑っていることが仕事。あるいはバカで、「かわいい」セリフを言うのが仕事。数で勝負。
昔からアイドルにはこの傾向があったけど、数が増えていること、年齢がどんどん下がって、ぎりぎり未成年どころか、もはや、かわいく笑うことしかしてはいけないこともあり、小学生に見えること。

コマーシャルを見ていたら、メイド姿の未成年に見える女の子が次から次へと何かを渡し(食べ物だっけ?)、最後は初老の男性が一人受け取る、というものがあった。背筋がぞっとした。

これを言うと、アイドルに関しては「はやりなんだよ」「日本のカルチャーだよ」と、苦情を言う私がバカみたいな扱いを受ける。

はっきり言う。異常である。

異常というのは、自分が異常だと気付かないことをいう。オウムの人たちに、自分が異常という自覚があったなら、あのような恐ろしい犯罪は侵さなかった。サウジアラビアでは、女性が運転することは禁止で免許がとれず、外出には目だけ出して全身を真っ黒な服で覆い隠さなければならない。もし先進国や、同じイスラムでももっと進んでいる国の人が「変だ」と言ったら、サウジアラビアの女性たちは「これは私たちの文化だから」というだろう。

男社会で、根底に女性蔑視がある。程度は違えど、日本もサウジアラビアも同じ。女性はモノではありません!

こんなロリコン集団を始終見ていて、これが当たり前だと、それを見ている女性がそうなる。男性もそうなる。日本人は、どんどんバカになり、ロリコンになり、異常者どころか変質者になる。

外国人のネットユーザーの間には「日本人は変態」というのが定説になっています。前はムキになって反論していましたが、大量の小学生ロリコン集団が出るに至って、本当だと思うようになりました。

なんでも、警官が未成年におかす犯罪がどんどん増加しているそうだが、こんな社会では当たり前だ。

はっきりいう。
気持ち悪い。
異常だ。

その3

なにもかも均質的だなあ・・・。

みんな新品の洋服を着ている。これはクリスチャン・ラクロワという、フランスを代表する大デザイナーも、訪日して同じことを言っていた。新品と言ってもレベルはあるのだろうが、それでも新品は新品だ。お金がなくては新しいものは買えない。日本人は新品好きだなあ・・・と思う。パッと見、どこが格差社会なのだろう、と、外国人は思うだろうなあ。みんな豊かに見える。

似たようなスタイル、似たような服。みんな今風の流行の服を着ている。「私のなんて全然流行じゃないよ」というなかれ。シンプルで流行なんて関係ないジャンルの服でも、流行のラインはあるのだ。みんな均質的に見えるのは、みんな同じようなスタイルの、新しめの服を着ているせいもあると思う。

こぎれいで、清潔感があって、豊かで、悪いことはないのだけど、正直に言って私はあまり面白くないなあと思う。パリの人がみんなおしゃれなわけじゃない。一番多いのは、チェーン店の大量生産品とか、それっぽい服を着ている人。どこも同じ。でも、TPOは別として、自分の好き勝手に着てよいという雰囲気はあるので、自分のスタイルをもっている人の割合は多いと思う。
これは、悪口というよりは、好みの問題かな。
ただ、服装一つとっても、右にならわなくてはいけないという無言のプレシャーは感じて、やはりあまり好きじゃない。

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どんどん感覚が「大陸化」している私にとっては、狭いなかに閉じこもっているなあ、島国だなあ。。。と痛切に感じる。あまり面白くはないかも。
だから危機に陥ると、振り子が大揺れに反対方向にゆれて、ああいう太平洋戦争みたいな事態になるんだろうな。

ただ、「均質」に関しては、長所とみることもできる。治安がいいのは、このおかげだしね。安全なのはとても良いことだ。でも、ロリコンは絶対反対。気持ち悪い。

どうすればいいんでしょうね・・・。

ユダヤの人が住む場所に対する誤解

フランスでテロが起きて、新聞社だけじゃなくて、ユダヤ系のスーパーが襲撃されて、4人が死亡した。ちょうど今、アウシュビッツ70周年というニュースをやっているところです。

あのスーパーは、私が折に触れていく知人の仕事場の近くだ、という話をしたら、ある日本人に「そんな危険なところに行っていたんですが!」と言われました。

違うのよ・・・。根本的な誤解があります。

ユダヤ人は、危険な地域には住みません。彼らは、日常の安全にはものすごく敏感です。そのため、ユダヤ人が住んでいる地域=治安が良い、(比較的)裕福な地域 と判断ができるくらいです。ロンドンにはJJエリアという、ユダヤ人と日本人がたくさん住んでいる地域があるくらいです。(日本人とユダヤ人の英語の頭文字をとった呼び名)
実際は、「このへんにはユダヤ人が多い」「ユダヤ人のコミュニティがある」とわかるくらいで、他の人たちと混ざって住んでいます。日本の外国人だってそうですよね。ましてや大都市なら。

でも、テロリストや差別主義者がユダヤ人を狙い撃ちするなら、どこに住んでも同じなんです。彼らは探して狙ってくるのですから。

こういう事件が起きると、地域住民は「彼らのせいで、この地域が危なくなってしまう。いなくなればいいのに」と、内心思うようになってしまうんです。それは、極右への投票につながってしまいます。だから今、人々がまだ冷静を保っていられるうちに、なんとしても次のテロを食い止めないといけません。

日本では新聞社襲撃のほうが圧倒的に大きなニュースになっていますが、私の感覚ですと、スーパー襲撃のほうが暗く不吉で嫌な感じを与えます。パリは地域によって、住んでいる層が分かれています。イスラム過激者による街中や人混み、駅などのテロはもちろん怖いですが、住んでいるところに不安はありません。でもユダヤ系は・・・。

彼らはフランス社会に溶け込んで住んでいます。私は何人かのフランス人に「ぱっと見て、見分けはつくのか」と聞いたところ、「民族をあらわす服装をしていたり、よほど民族的特徴が強い顔立ちをしている人はわかるけど、そうじゃないとわからない」ということです。あと、名前でわかる場合はあるけど、道を歩いている人なら、名前なんてわからないし。
ただ、これも住んでいる場所柄によるかも。私が前に住んでいたコートダジュールなら、おそらくイスラム過激主義者の襲撃のほうが怖さを与えると思います。小さい町に、大勢のイスラムの人が混ざって住んでいるので。

私は、襲撃されたスーパーに行ったことがないですが、たぶん、ユダヤ教の戒律に見合った食べ物を中心に売っている店で、明らかに店主がユダヤだろうと思われる店なのかなと思います。私の家の近くのスーパーにも、ユダヤ教の人向けの食材はちょっと売っていますが、店の感じが、商売のために置いてあるか、地元のユダヤ系コミュニティの依頼で置いたとしか見えないので・・・。
ただ、あのスーパーに関していえば、ちょっと外れにありまして、大きな通りの近くだから狙いやすい場所かも・・・とは思いました。

どうなっちゃうんでしょうね。
アウシュビッツとナチスで言えば、ナチスはユダヤ人を「ユダヤ人居住区(ゲットー)」に無理やり住まわせました。外出するときはユダヤ人であることを示すダビデの星をつけなければいけないと定めていました。ひどい差別政策でした。
前に読んだ本によると、ゲットーの起源は、ベネチア共和国が小さな島にユダヤ人居住区を作ったことだそうです。でも、これは差別的な意味ではなく、彼らの安全を守るためで、彼らは出入り自由だったといいます。
この本を読んだときは「・・・そうかなあ。ほんとかなあ」と思ったものです。でも今は、本当にそうだったのだろうと、納得できます。きっとベネチア共和国は、いまのフランスのような苦悩を抱えたことがあるのでしょうね。今と違って、お金や金目の物は家に置いてあったでしょうから、強盗にも狙われやすいし。それなら、一つの場所にまとまって、しかも島なら、安全を守りやすい。地域住民も安心。もしかしたら、ユダヤ人自身も、治安を強化しやすいから安心だったのではないか。事件がさらに起こって、差別が助長されなくてすむ。読んだ本の記憶によると、無理やりではなくて、当のユダヤ人からも歓迎された政策だったみたいだし。

島に居住区をつくる措置がユダヤ人に歓迎されながらなされたのなら、ベネチア共和国は、差別がないわけではないが、基本的にはオープンで、寛容な社会だったと思います。


まあ・・・ユダヤ問題は、日本人にはわかりにくくて当然ですね。
私も、日本に住んでいたときよりはわかっているけど、本当にどのくらいわかっているのかは疑問ですし・・・。おごらないようにしないと。

それに、そもそもユダヤ人って何だ? という問題があります。
フランスに住んで何世紀、何世代もたっているユダヤ人はたくさんいます。彼らはフランス人だけど「ユダヤ人」です。なぜだろう。
私は前にユダヤ人だという人に「ユダヤ人っていうのは、ユダヤ教を信じている人のことですか」と聞いたら、しばらく沈黙したのちに、「・・・お前はユダヤ人だって指をさされるからそうなるんだ」と言われました。彼女の悲しそうな顔は忘れられません。

日本人は、イスラムだって、わかっていない。そういう私も人のことは言えないけど。
いまだにイスラムとの摩擦について「話し合うべき」なんて寝ぼけたこと言っている日本人がいるし。
話し合いなんて、とっくにやっているのよ。日々日常、たくさんの人が。
もしお近くの小学校にイスラムの子供がいて、給食に対して「私たちは豚肉を食べない。豚肉がふれたお皿も調理器具もダメ。完全にわけてほしい・豚肉をやめてほしい」と言ってきたらどうしますか。フランスや欧州諸国が日々日常抱えているのは、こういう問題です。フランスでは、豚肉をつかった代表的なフランス料理、郷土料理がたくさんあります。代表的な郷土料理を、給食で子供に食べさせるなと? 日本で「魚を学校給食に使うな」「豆腐を使うな」と同じようなものです。 平和な話し合いなら、日々日常やっていて、たいていは妥協で、がまんして平和的に解決しているんですけどね・・・。

「文明の衝突」といったのは、ハンチントンでした。すばらしいコピーだと思います。本当にそうだわ。
日本人にわかりにくいのは、日本は均質的で、「単一民族」だそうだからなのでしょう。ヨーロッパの極右的な人には「すばらしい」と称賛されます。私も何回か言われたことがありますよ・・・うれしくないけどね。


追記   イスラム教徒がもつ食のタブーも、実際はいろいろレベルがあるようです。
フランスの普通のスーパーでも、最近は「ハラル食品」と書かれたものが売られるのをみかけるようになりました。ハラルとは、イスラム教のやり方にのっとって屠畜された牛・鶏などのことです。この処理をしていない牛・鶏などは食べられません。
なんでも、イスラム教徒の中には、ハラル食品でないものには触ることもダメという人々もいるそうです。ていうか、これが標準なの???
イスラム教徒の人がイスラム教の国に住んでいれば、こんな問題は起きないのでしょうけど、そんなこと全く気にしないイスラム教じゃない人たちと混ざって住むと問題が起きる。イスラム教の人がハラルじゃない食品に触らなくてもいいように、レジまでも分かれている所が国もあるらしい。

フランスの普通のスーパーで買い物しているイスラム教徒は、ここまで厳格じゃないのでしょう。同化が進んだといえるのかもしれません。
厳格な人は、イスラム教徒が営んでいる商店で買うことができます。そういう店があるところには、民族のコミュニティがある・できる。

フランスの普通のスーパーにハラル食品が置かれるようになったのも、ある意味「寛容」「同化」だと思います。スーパーにもよりますけど。郊外型の大型スーパーには置いてあるかな。都市型で割と裕福な人がくるスーパーにはないと思う(ユダヤ教の戒律にのっとった食材は置いてあることはあっても)。
でもこれで、「レジも分けろ」という要求が来るようになったらどうするんだろ・・・。

シャルリ・エブドはフランス革命精神

なんだか、日本の番組で、フランスやヨーロッパのことが全くわかっていない「識者」がべらべらしゃべっていますが。。。
これほど日本人はヨーロッパのことに疎いのかと、空をあおぎたくなってくる。
日本にはアメリカの識者ならたくさんいるし、一般の人にも知っている人がいるだろうから注意深くなるのだろうけど、ヨーロッパのことになると、ひどいレベルの低さ。

それはおいといて。

シャルリ・エブドっていうのは、要はフランス革命精神の継承なんだと思う。

アメリカやイギリスですら、ムハンマドを揶揄することには慎重な傾向があるようだけど。
アメリカには独立革命が、イギリスには清教徒・名誉革命があったが、フランスの革命とは内容が違う。フランスの革命は、のちに世界で初めての社会・共産主義政権をつくるのにつながる革命であった。「自由・平等・博愛」というよりは、「自由・平等・平等・平等・平等・平等・平等・平等・平等・平等・平等・平等・平等・平等・平等・平等・博愛」なのだ。平等を追及するから、権威や権力が嫌いなのだ。権威や権力が嫌いで否定すると、社会がめっちゃくちゃになるので、あまり混乱が続くと、大きな権力が登場する。フランスの歴史は、この二つを行ったり来たりしている。

あの新聞は、ドゴールが亡くなった時に批判精神をもって揶揄したために、内務大臣から発禁処分をくらい、それで新聞の名前を今の「シャルリ・エブド」に変えて、同じスタッフが続けて出版したという経緯がある。訴訟は数知れず。平均、年に2回訴えられているという。

それでもやめない。
仲間をほぼ全員殺されても、やめない。

人々が「私はシャルリ」と訴えている。つまりあれは、「私は、シャルリと同じく、フランス革命精神をもっていて、すべての権威や権力を疑う。反抗だってする」「平等と自由を追求する」ということなのだと思う。(平等という概念には、ライシテ=非宗教性 というもう一つ大事な概念があるのだが、ややこしくなるので今回は省略)

私はパリに住んでいるので、この反抗精神というか、感覚や雰囲気がすごくよくわかる。
(フランスの中でも、革命精神が強いところと弱いところがある)。

一切の権威に対する反抗なのだ。アナーキー精神というか。

だからこの新聞は、当然左。中道左派よりも、もっともっと左。もしアナーキー精神を極左と呼ぶのなら、極左と呼んでもいいかもしれない。

といっても、風刺画家というのはアーティストでもあるので、理論武装はしていないかもしれない。感覚的なものが優先しているかもしれない。思想家や政治家、運動家ではなく、アーティストだから、「揶揄」「からかい」「辛辣なユーモア」という形になる。

もちろん、いつも上質な鋭い辛辣さというわけではなかったようだ。どの作品やコラムもそうだけど、「今回のは面白かった」というのもあれば、「なんだこれ」というのもあるだろうし、「最近は面白い」「つまらなくなった」というのもあるだろう。正直言って、名前は有名だけど、そんなに売れている新聞じゃなかったので、よくわからない。2万部とも言われているが、本当にそんなに売れていたのかな。あと、リベラシオンと同じで、パリ以外で読んでいる人はあまりいないんじゃないか。図書館にも、もちろんないし。

目下「言論の自由はどこまで許されるか」としきりに議論されているが、大きな問題はそれだけじゃない。誤解を恐れずにいれば、アナーキストと、宗教過激主義者の争いである。まさに水と油。どこをどうとっても、共通点や接点はありそうにない。それでも、これが両者とも理論武装した思想犯だったら、意外に極左と宗教極右は似てきそうだ。でも、片方はアーティストで、片方は殉教したい兵士。この点でも両者は水と油である。

解決方法は、はっきり言おう、ない(きっぱり)。

日本人的には、「人様が尊敬しているものを、そんなふうに揶揄するなんて・・・」と思うだろう。思想ではないが、気配り文化である。

アメリカやイギリスでは、やはり人様の宗教に配慮する方向に動くのではないか。それは、不用意に争いを招きたくないという気持ちもあるだろうが、それよりなにより、彼らは「平等」よりも「自由」を尊ぶ風土。
特にアメリカは、宗教の自由を求めてやって来た人が建国した国だ。
自分の自由、自分の宗教を尊重してほしいから、人様の自由・宗教も尊重する。人様がムハンマドを大事にしたい、偶像崇拝が禁止の文化で、イラストにすら描いてほしくないというのなら、その気持ちを尊重する。だから私の宗教にも配慮しろ、ということなのじゃないかと思うのだ。
「自由を尊重するがゆえの配慮」と、「言論の自由」は、やはり対立してしまう。でもアメリカ(とイギリス)はコミュニティ主義なので、「あなたはあなた、私は私で、お互い干渉せずに共存しましょう。でもお互いアメリカ人ですよね。私たちは自由を尊ぶアメリカの国民ですよね」という考えなのだと思う。

フランスは違う。平等なんだから。人種や宗教を乗り越えて「平等」であろうとするのだから。わかりにくかったら、思い切って「(思想的には)共産主義者的」と思ってくれていいくらいだ。
前述したように、人類史上初めての共産・社会主義政権はパリ・コミューンである(短命でしたが)。インターナショナルは、もともとはフランスの歌。
もちろん、フランスは共産主義の国じゃないけれど、社会主義思想はものすごく強い。

だから今回、フランスで「言論の自由」という時と、アメリカなどで「言論の自由」というときには、微妙な違いがある。アメリカでは、事件後の最新号の表紙は、ワシントンポストのみが宗教の冒涜でないという理由で、掲載したが、ほかの主要紙はのせなかったそうだ。アメリカでは「表現の自由のせいで、人様の宗教を冒涜しないだろうか」と議論されるのだろうが、フランスでは、揶揄することそのものに問題をさしはさむ風潮は、あまりないと思う(イスラム教徒は別)。

あらゆる権威も権力も、揶揄したり否定したりする権利をもつのは、フランス人にとっては自明のことである。これを否定することは、フランス革命を否定することになる。

それよりも、事実上、ユダヤ人を揶揄するのだけは法律で規制されているのも同然なので、「イスラム教徒に対してはよくて、なぜユダヤ教徒に対しては禁止なのか」という議論になる。

ユダヤを冒涜するのは、「差別や暴力、憎しみの誘発になる」「国家や人々の安全、公共秩序にかかわる」つまり「人種差別を扇動する」という理由で、禁止になることが多い。他の宗教や民族よりもずっと、ユダヤに関してはこの条項が適用されやすい。これは、フランスでは前から議論されてきた。

有名なのは、デュードネというコメディアンの問題である。父親はカメルーン系なので、風貌はノワール(黒人)っぽいフランス人だ。不法滞在の人やホームレスを支援するという左の人だった。ところが、イスラエルのせいでパレスチナの人々が苦しんでいるというので、反ユダヤ的な発言が多くなり、しまいには極右のルペン父党首と親しくなっていった(極左と極右は似てくる例でしょう)。この人は、何度も罰せられているのだが、「世界のあらゆる人、あらゆる宗教を揶揄できるのに、ユダヤだけはできない」というような発言をしている。フランスでは、今回の件も、この路線、つまり「なぜ宗教によって違いがあるのか」という点で議論されている。

アメリカや日本とは、感覚が違う。
国が違う。
シャリル・エブドを支持するのは、革命精神を支持するようなものである。
だからあれほどの人がデモに集まったのだ。

確かに、平等を尊ぶべき国でありながら、差別はある。でも、いかに差別にフランスが戦っているか、テレビに出てきてしたり顔で話している識者はわかっていない。デモの人々の中に、フランス国旗だけではなくて、たくさんの国の国旗がひるがえっていたのに、気づかなかったのだろうか。差別は克服できていないが、それでも克服しようと努力しているフランスの姿勢を、認めている人はたくさんいるのだ。普段はその矛盾に不満をもっている人でも、このような危機に陥ったために、国家の擁護にまわったひとはたくさんいたと思う。イスラム教徒の中にだってたくさんいる。
アメリカとフランスは、思想は異なるが、二つの「民主主義の普遍思想」をもった国なのだ。
でも、宗教の問題がからむと、難しい。どうしていったらいいのか。。。

このようなことを、アメリカには詳しい識者は、まったくわかっていない。
全然知りもしないのに、テレビで知ったかぶって、べらべらしゃべらないでください。
「××人を殺せ」などというヘイトスピーチが堂々と通りで行われる国の人に、批判されたくないですしね。

ちなみに私が思うことですが。。。
先ほど書いたように「解決方法は、ない」と思います。
自分が信じるもののために生きる。
殺された40代の風刺画家は、「自分は妻も子供もいないから迷惑はかけない」というようなことを言っていたが、それほどの覚悟で風刺をやっていたのだ。
かたや、神のために死んでもいいと思っていた兄弟。そして機動隊に射殺された。
もうどうしようもない。
ただ、孤児院で育ち、今回の事件では標的のみを狙い、人質は一人も殺さず殺す気配すら見せなかった兄弟には、許されないことをしたとはいえ、同情の念は禁じえない。
ユダヤ系のスーパーにいた一般市民を殺した事件とは、違いを感じる。
憎しみの連鎖にならないことだけを願うしかない。

付け加えると、少なくともフランスでは、イスラム移民に対する問題はこれからも一層深刻になるだろうけど、ユダヤ問題で国の土台がゆすぶられることはないと感じる。でもドイツは・・・。今回のテロは、イスラム問題だけではない。ユダヤ系スーパーが襲われて一般市民が殺されている。「外国人、出ていけ」という動きになると、こっちがドイツでは深刻化するのではないか。イスラム移民だけなら排斥に内心では共感を感じるドイツ人も、ユダヤ排斥となると。。。でも、移民排斥を唱える団体や政党が、イスラムとユダヤを区別するだろうか。ドイツには、真正右翼で欧州議会でも嫌われている政党もあるし、ネオナチの動きもあるし・・・。

宗教に思想。本当に難しい。
人が自身の信念に生きるなら、共存は無理だ。
だからこそ、人は、新大陸を欲したのだ。
でも今の時代、もう新大陸はない。
どうしようもない・・・・・・。
悲しいのをとおりこして、もうため息しか出ない。。。

失業率さえもっと低ければ、、、とは思う。
お金があれば対立や差別がなくなるわけではないけれど、暮らしが安定していれば、問題は表面化や先鋭化しにくいのは確かである。
ヘイトスピーチが法規制さえされていない日本は、昔は牧歌的だったのか、それとも単に鈍かっただけか。

ちなみに、「風刺画が下品すぎる。イスラム教徒が怒るのは無理ない」という批判があるようですが、確かにそういうものもありますね。あれは、風刺画家の才能があまりないから、そうなるのです。
風刺画っていうのは、ものすごく才能がいります。たった1枚の絵で、社会を鋭く批判し風刺し、絵も描けないといけない。直観力と知性と洞察力に優れていないとできません。絵は練習と訓練で上手になることはできますが、鋭い頭の良さ、直観力と批判力は、かなりもって生まれた才能です。
文章や、ストーリーマンガとは別の種類の才能だと思います。

でも、才能がないから風刺してはいけないということはないです。権力や権威に反抗する精神が大事なジャンルですから。才能がない人は、選挙で投票してはいけないことはないでしょう? それと同じです。民主主義では、誰だって投票する権利はある。「あの候補、顔が好み」という理由で投票するアホもいますが、だからといって投票してはいけないことはない。投票する権利は奪えない。もちろん、政治家に立候補する側も同じです。才能がない人や頭がよくない人は、立候補してはいけないということはない。風刺画家も、同じ理屈です。

でも、風刺が下手なら、部数はおちて売り上げは減るでしょう。
それに、レベルの高くない風刺は、やっぱり人々の神経を逆なでしますけどね。。。



しゃべるクラシックコンサート

久々に無料コンサートに行こうと思い立ちました。

よく私には「このテーマの記事を書いているときは、この音楽」というものがあります。

例えば、ウクライナと欧州拡大の問題を書いているときは、なぜかチャイコフスキーのバイオリン協奏曲と弦楽セレナーデ、そしてショパンの革命のエチュードです。なぜと言われてもそうなんです・・・。

なんだかピアノを聴きたくなっていたところ、ちょうどサンラザールの近くでピアノコンサートがあるというので行ってきました。この会場はよくお昼時に無料コンサートをやっていて、一度行ってみたいと思いつつまだだったので行きました。教会関係ですが、「あんなところに教会があるの?」というようなところです。

実際行ってみたところ、狭い入り口を入ってすぐの左の所に、小規模のホールがありました。

ここでEric Artzさんという男性がショパンとラフマニノフとリストの曲を、全部で9曲演奏しました。

始まる前に司会者が「話し好きなので、いろいろ解説します」と紹介していましたが、彼は各曲がはじまる前に、いろいろ解説をしてくれました。「この曲は左手の訓練になって」とか「この曲はショパンが××のときに」とか。

eric.jpg

選曲のなかに「革命のエチュード」があったので、私は大満足でした。
彼は、おばあさまがポーランド人だと言っていました。ほんと多いですよ、パリは。ポーランドからの移住者は、EUが拡大してからはロンドンが一番多いですが、伝統的にはパリが多いのです。ショパンもパリで生きましたし。

それにしても、この曲は、若い男性が弾くのがいいですね。エリックさんは20代後半から30代前半の間かな~という年齢に見えました。私は動画サイトで若いキーシンがひくのを始終聞いてますが、やっぱり叩きつけるくらいの勢いと力がないと。

私はそういうのがいいのだと、ニースのピアノマンに教えてもらいました。ニースのピアノマンというのは、ニースの路上でピアノをひいている人のことです。バイオリンとかアコーディオンはいるけど、ピアノというのは珍しい。もって歩けないので。ピアノの下に、ちゃんと台車みたいな車がついていました。

前に、「記憶喪失のピアノマン」というのが話題になったことがあります。金髪の青年です。行方不明で発見されたけど、ピアノがものすごく上手、一体だれ、、、という話です。ちょっとロマンチックですね。
そのとき、「ニースで見た」という情報があり、ニースに日本のテレビがやってきて、彼が「ボクじゃないよ」と、記憶喪失の写真の人とは似ても似つかない容姿で答えていました。(彼は黒髪だし)。たまたま日本にいるときで「あ、彼がテレビに出てる!」とびっくり笑ったものです。
彼は作曲家でもあり、自作の曲をCDで売っていました。
この方、私がパリに来たら、パリで2回外でピアノを弾いているのを見ました。「彼もパリに来たんだ」と。サンミッシェルとギャラリーラファイエットのところです。話しかけたら、私のことを覚えていました。日本人で、始終ニースで立ち止まって聞いていたからかな。一体、何十回聞いたか覚えてないくらい、見かけるといつも立ち止まって聞いてた(ちゃんとチップも入れました)。でも、ニースで話したのは、彼のCDを買ったときの1回だけだったんだけどね。彼はニース出身。覚えていてくれたのは、うれしかった。

携帯を探したら、写真が一枚ありました!残ってて嬉しい。顔が写ってないけど・・・。
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私が日本でピアノを聞いていたのは、コンサートにしろCDにしろ、お行儀のよい優等生のものばかり。あとは発表会で他の人の演奏(笑)。だから、ニースのピアノマンの「情熱と力に任せてピアノに思いをたたきつける」演奏は、ものすごく衝撃的で、印象的だった。こういうのっていい!と目覚めた感じでした。

Eric Artzさんは、そこまで叩きつけてなかったけど、もうちょっとお行儀がいいですが、やっぱり若い男性らしく、荒々しさがあった。エリックさんが解説していたように、これはショパンが、ワルシャワ蜂起の報を外国で聞いて、作曲したもの。当時、ショパンはなんと21歳です。天才だ。(ワルシャワ蜂起とは、ロシアの圧力に対抗して、ポーランド人が起こしたものです)。
やっぱり、あまりおじいさんが弾くのはどうかなあ。それはそれで味があるとは思うものの・・・。

(余談ですが、ポーランドって散々辛苦をなめているわりには、敵に対する国際的なネガティブキャンペーンは聞いたことがないですね。カトリックの信仰があついからかしら。ポーランド人って、控えめで芯が強い人が多い印象。だから愛されているのかな。)

なんだか話がそれましたが、演奏者の解説を聞きながら聞く、というのも、なかなか楽しいです。お客さんは40人~50人くらい。お年を召したカップルとか、女性同士が多かったです。司会者が「いつも見る顔の方も多いですが」と言っていたので、きっと教会に通っている仲間なんじゃないかと思います。
こころざしが5ユーロ(義務ではない。5ユーロじゃなくてもいい)、エリックさんが売っているCD10ユーロを1枚買いました。革命のエチュードが入っていたので。
彼が出てきたので、話しかけてみたくて、「サインください」と言ってみたところ、日本語で「日本人ですか」「ありがとう」「またね」と言われてしまいました。それを聞いていた小さな男の子が「またね、って何?」というので「ア・ビヤントという意味だよ」と教えてあげました。なんだかエリックさんは日本人になれている感じでした。学校とかにいっぱいいるのかしら。
(あとでHP見たら、名古屋と沖縄で演奏経験があるようです)。



同日の夜は、ヴァンセンヌのコンセルバトワール&図書館の所にあるホールで無料オーケストラコンサートがあるので、行ってみました。普通は1日2つは行かないのだけど。

こちらは、パリ10区とヴァンセンヌで定期的にコンサートを開いているLes Cles d'euphoniaという小オーケストラのコンサートでした。シベリウスとラベルでした。
行ってみようと思ったのは、、ピアノならともかく、この作曲家のコンサートを有料でいくことはないなと思ったからでした。聞いてみたいという好奇心はある。CDで聞くのと生じゃ全然違い、生で聞くと一気に好きになることはある、だから生で聞いたほうがいいのはわかっている。でも、やっぱり有料だと腰が重い。そんな私には、無料コンサートやちょこっと有料コンサートはすごく便利。
欧州に住んでいると、地方都市ならいいのかなという感じはする。オペラハウスが1つあり、常に結構よさめのオケが演奏しているようなところ。こういう所で育つと、地方都市は娯楽も少ないので、音楽好きなら「オペラで演奏会があったらいく」と、いつものカフェに通う常連さんのように、行きつけになれる。そうなると、関心は低めの音楽家のコンサートでも行きやすいのかもしれない。(パリはレベルが高いのはいいけど、あまりにも多すぎて、そういう感じにはならない)。

でもね、下手なオケ聞いても、感動はしないものなのよ。やっぱりある程度レベルが高くないと。
日本だと、なんというかオケのレベルがあまりにまちまちなので、どこならいいと言えない。フランスにいると、小さいオケでもレベルが総じて高いと感じる。

私はクラシックは詳しいわけじゃないのだけど、東京にいるときに、外国の有名オケはほぼ全部聞いたので、そこそこ耳は肥えているのよ、おほほ。日本でも、オペラじゃなくてオケだけだったら、一番安い席はそれほど高くないので。(当時3000円台だったと思う)。
日本だと外国オケが来ると、何日にもわたって演奏するけど、パリとかロンドンだと、1日とか2日、1回とか2回のコンサートのために、ほかの欧州の都市からオケがやってくるのよね。これは最初びっくりしたわ。「え、わざわざ来るのに、もっと5回くらいやんなくてもいいの?」と思ってしまった。欧州は近いから、「ちょっと行ってきます」という感覚なのでしょうね。パリにだけ来ているのか、他の都市もまわっているのか。後者かな? しかも、一番安い席は10ユーロ台だったりする。うーん。
これもアメリカから来るオケなら違うのかもしれない。

話がどんどんそれましたが、Les Cles d'euphoniaという小オケで驚いたのは、指揮者がLaetitia Trouveさんという女性だったこと。私、女性のオケの指揮者を聞くのは生まれて初めて。新鮮でした。

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このコンサートも、お話立てになっていました。ラベルのLa valseが始まるかと思ったら、美しき青きドナウの演奏が始まった。最初のところで演奏は終わり、ラヴェルとシュトラウスの出あいが語られた。この曲は、シュトラウスへのオマージュとして作曲されたのです。
こういう演出とか、音楽の特徴や説明――各楽器の旋律を、各奏者が弾いてみせる――などの解説がありました。解説を聞いてからきくと、確かに各楽器のかなでる特徴的な旋律が、耳にはっきり聞こえてきた。

ただ、彼女の話の仕方はあまり上手じゃなかったです。まじめな方なんだろうな、というお人柄がうかがえる話方でした。エリックさんのほうがネアカっぽくて上手だったな(笑)。小ホールと、中ホールという規模の違いもあるかもしれない。でも、彼らは音楽家であって、話すのが仕事じゃないので、それはいいです。

前に、友達の指揮者がオケを組織したことがありました。1回きりくらいだったら、賛同して時間があれば、さっとかけつけてくれる人はいるようです。演奏家は個人、という考えなんだな、と思いました。
このオケは、Laetitia Trouveさんが組織して集まっているオケなのだと思います。パリ10区やヴァンセンヌの公共ホールでは、定期的に演奏会をひらいているようです。あと、HPをみたら、カトリック系の私立中学のチャペルなどでもコンサートを開いているようです。寄付を何度も募っていました。
こういうオケの場合、参加音楽家は、他のオケにも参加しているのでしょうね。
音楽家が生きのびて、自分のやりたいことを貫いていこうとするのも、大変ですね。

でも、このコンサートでは、こころざしを募集していましたが、入れる人は少なかったです。やはり公共ホールとなると、市民は「行政が主催しているコンサートだから、ちゃんと謝礼は支払われているのだろう」と思うのでしょうね。もっと小規模なところだと、自分が何もこころざしを置いていかなかったら、タダ働きだと思うので、やっぱり5ユーロ、最低でも2ユーロはいれようと思うので。

でも、音楽と解説っていうのは面白いですね。右脳と左脳のコンビというか。
上記に出てきたヨハン・シュトラウスというのは、「なんでこんなつまらない、くだらないストーリーに、こんな素晴らしい音楽がつけられるんだ!」という人でした。文学を知覚する才能(?)はなかったのか、音楽の才能があまりにもありすぎて、ちゃちゃっと労せず素晴らしい傑作がつくれる人だったのか。
作曲家というのは、こういう人がよくいますね。
音楽家は違うのかな。演奏者と指揮者でも違いそうですね。

ピアニストと指揮者の「しゃべり」を聞いたこの日は、しきりに日本で読んだ「オーケストラ楽器別人間学」というN響のオーボエ奏者の方が書いた本が思い出されました。(ちなみに私は、チャートで「トランペット」でした)。

お隣さん怪しすぎ・・・

しばらく更新しないと思ったら、やっと更新、なのに、突然ヘンなこと書きますが・・・。

ただいま朝の9時です。

お隣さんが、すごい勢いでエッチを始めました。

なんかヘンなのよ。

お隣さんのエッチはたまにやっていて、女性のあえぎ声が聞こえてくる。もともと声が大きいから聞こえてくるんだけど。でも前は、声が大きいのをのぞいて、まあ普通だった。いつも似たような感じ。あと、夜か休日だった。
ところが、昨日は真昼間からはじめた。元々大きかった声は、昨日はほぼ絶叫。一瞬「違う人? ベビーシッターか何かが男性を連れ込んでいる?」と疑ったくらい。しかもいつも違うのは、男の叫びが聞こえてくること。この家にはもう何年も住んでいるけど、その時に男の叫びが聞こえてきたことは一度もなかった。
「?????」と思っていると、出かける音が聞こえた。我が家は角地なんだけど、向こうの家のドアがちょうど、我が家の部屋の所にあたる。ヨーロッパのドアって、重くて、頑丈な錠になっている。だからバタンと閉めないと閉まらないことが結構ある。その音が聞こえたものだから、来客を見る除き窓から外を見てみた。すると、男はよくわかんなかったけど、女のほうは、お隣さんだった。
(何やってんだろ・・・私。好奇心に勝てませんでした。下品ですみません)


この絶叫の嵐は、昨日の夜もあった。何やってんだろ・・・。すごかったです。ベッドがきしんで床をこする音や、ベッドの頭の部分が壁につきつけられる音まで。夜中というのに、壁をどんどんものすごい勢いで叩くのと同じだから、うるさいのなんの。どんだけの勢いなんだか・・・。

そしたら、今日もいま、朝っぱらから始まった。
いったい何?
たぶんなんですけど、間男しているんじゃないかと。
夫か恋人がいない間に、別の男を引き入れているんじゃないかしら。

この家、たまに子どもの声も聞こえる。ベビーシッターぽい女性と子どもをたまに見かける。
でも、カップル+彼らの子どもで住んでいるのなら、家族一緒にいるところを、一度くらいは見かけるはずなのに、一度もない。たぶん、子どもは、別れた親の間を行き来しているんじゃないのかな。そういうのってフランスは多いから・・・。私は女性の子どもと思っていたけど、考えてみたら男のほうの子どもかもしれない。

子持ちカップルが別れた場合、フランスでも圧倒的に母親が子どもをひきとるケースが多い。子どもは週末とかバカンスとかに父親の元に行ったりする。近居だと、今週はこっち、来週はあっち、というケースもある。でも、子どもの15~20%くらいが、親の離婚後、一度も父親に会ったことがないとの統計を聞いたことがある。かわいそうに。「欧米では子どもは共同親権だ。日本みたいにどちらかが親権をとるということはない」と、日本の法改正を促す意見があるが、実態はこんなものだ。どっちが権利をとろうと、実態は変わりない。法律を変えたら、子どもと会おうとしない親が子どもに会いたがるかというと、そんなことはない。ただ、養育費の取立てとかはもっと法で厳しく取り締まったほうがいいと思うけど・・・。

なのでお隣さんの場合、子どもがいる=母親と住んでいると思い込んでいたけど、それならもっと子どもの声が頻繁に聞こえるだろうし、もっと見かけるはずだ。・・・ということは、やっぱり男のほうの子どもなのか。 

そもそも、カップルで一緒に住んでいるのかも、絶対確かかと言われると、確証はない。日本でもそうだけど、女性のほうが買い物とか色々家の出入りが多くて、周りの目に触れやすい。女性が住んでいるのは間違いないけど・・・。でも男性の気配は常に感じていたから、一緒に住んでいると思い込んでた。第一、男の子どもがたまに来るなら、住んでいないとおかしいわよね。一緒に住んでいない恋人の女性のところに、たまにベビーシッター付の子どもがいるというのはヘンよね。

フランスの家族の形はあまりにもバラエティに富んでいるので、なんだかさっぱりわからない。
ということは、やっぱりカップルで住んでいて、女性が間男しているんでしょうね。
あるいはカップルが破綻して、前の男性は出て行って、次の恋人なのか。
後者ならまだいいけど、前者なら本当にイヤだわ。けがらわしい。

というわけで、ヘンなお隣さんの話でした。
こんな内容で、ほんと失礼しました・・・。

軌間の話 (本当にご無沙汰してしまいました)。

いつもチェックしてくださる方、すみません。
ご無沙汰してしまいました。どっこい生きております。

今日は、この前初めて出会ったベラルーシ人から聞いた話を書きたいです。

ヨーロッパ大陸で、線路の幅が違うという話です。
私が「ヨーロッパを列車であちこち旅行してみたいな~。飛行機もいいけど、味気ないし。ミンスク(ベラルーシの首都)に列車でいけるかな」と言ったら、「列車はあまり便利じゃないよ」と言われました。何時間かかるのか聞いて「ベルリンまで9時間くらい」というので、「えっ、そんなに!」と驚きました。「ああ、地図で見るのと違って、大きいんだ。大陸は広いんだ」と思いました。。。

時間がかかる理由に「線路の幅が違うから、国境で車輪をとりかえるんだ」というのです。
そういえば、前にラトビア人からもそんな話を聞きました。
「東欧と西欧で違うの」と聞くと、「ポーランドやチェコは、たぶん西側と同じだと思う」と。
列車をもちあげて、車輪を交換して、それが1時間くらいかかるとのこと。

へえええええええ。知らなかった。

どんなものかと思い、家で調べてみたところ、欧州ではロシア+バルト3国などと、スペインの幅が違うようです。他の欧州は、同じレールの幅。

映像を探してみたところ、こんな感じです。

コンパクトにまとまっている映像。ルーマニアとモルドバの国境。
http://www.youtube.com/watch?v=q1TTTbMGKlg

こちらのほうが、音があって生々しいです。
http://www.youtube.com/watch?v=H67gfAZGymM

この前、フランスに長い人とお話したら、同じような光景は、昔はスペインとフランスの国境でもあったそうです。未確認情報によると、今は、徐行しながら、車輪が自動的に幅を変えるらしいです。まあ確かに、スペインとフランスの国境で、いまだに上記のようなことがされているとは思えない。

http://www.youtube.com/watch?v=qwNl-g_91GE

ビデオで紹介したような昔ながらの方法は、中国国境地帯、モンゴル国境地帯などでも行われているようです。(シベリア鉄道も)。
中国がアジア・中東を走る鉄道のプロジェクトつくっていましたが、あれもレールの幅が問題になるのでしょうね。もう慣れているのかな?

専門用語では、「軌間」「ゲージ」というそうです。

この地図がなかなかわかりやすいです。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/1f/Rail_gauge_world.png

面白いですね~。モンゴルは、中国じゃなくてロシアと同じなんですね。
確かに、ウクライナとベラルーシ、モルドバ、バルト3国はロシア仕様(?)ですね。(沿ドニエストルの白いところが気になりますが・・・)。
フィンランドの一国だけ近隣と微妙に違う色なのが気になります。
スペイン・ポルトガルが同じ色だけど、ブラジルは違う色なのね。
東南アジアが2色に分かれているのはなぜだろう。日本と同じ色があるのは、歴史と関係あるのかな。

これって、歴史を知る地図だけじゃなくて、「列車で簡単に攻めて来られない」地図になりますよね。。。
今は空軍の時代だそうだから、あまり関係ないのかもしれないけど。
でもこの前、イスラム国の解説を聞いていたら、やっぱり空爆だけだと限定的で、主力は地上戦になるとか。
嫌な話だけど、そうなると鉄道輸送の便利性は大きな意味をもつのでは。車があれば関係ないのか?

歴史の興味深い一面を見られそうで、なにか資料があったらぜひ読んでみたいなと思いました。

そういえば、パリのGare de l'Estから、夜に一番はじのプラットホームから、ロシア行きという列車がありました。これに乗れば、体験できるかな。

ネットで調べてみて、わかりやすく昼発のを紹介しますと。

パリ発 8時28分
ストラスブール 13時08分
フランクフルト 16時15分
ハノーバー 19時13分
ベルリン 21時06分
ワルシャワ 3時45分
ミンスク 14時54分
モスクワ 23時58分

となっています。車中1泊ですね。・・・。

シベリア鉄道はのったことがあります。
モスクワ真夜中着はキツイけど、乗ってみたいわあ。

フランツ・フェルディナンドの番組を見ました

フランス2という、日本のNHKにあたる放送局があります。
そこで、「歴史の秘密」という番組がありまして、夜のメインニュースが終わったあとに、定期的にやっています。Nスペ歴史みたいなものでしょうか。

そこで、オーストリア・ハンガリー帝国のフランツ・フェルディナンドの特集をやっていました。
サラエボで夫婦ともに暗殺されて、第一次世界大戦のひきがねになった、あの人です。
このあたりのことは、ヨーロッパの歴史好きなら言うまでもないでしょう。
ソフィというチェコ人と恋に落ち、皇帝のフランツ・ヨーゼフは、結婚を認めるかわりに、ソフィを皇后とは絶対に認めず、子どもたちも皇位継承圏を放棄することを宣誓させました。

見ていて「へえ」と思ったこと。

・いとこのルドルフ皇太子(のちに自殺)と仲がよかった。ルドルフのほうが年が上で、お兄さんみたいに慕っていたらしい。狩によく一緒にいって、軍事をつかさどるために集まるチェコのなんとか城でよく会っていたという。
フランツには弟がいて、すごく明るくて愛されていたのに対し、兄のフランツは静かで神経質なタイプ。典型的な家の跡取り長男と次男だったようだ。そんなフランツだから、年上のルドルフのことを慕っていたのだろう。芸術家気質のルドルフに性愛のてほどきとか、乱ちきパーティーっていうのでしょうか、そういうのを一緒にやっていて、二人で愛人を共有していたそうだ。

・ソフィとは恋愛結婚だったけど、皇室の慣例をやぶって、親子3にんの親密な家庭を築いていたという。
ソフィは貴族でも下級貴族だから、そういうのをもちこんだのでしょう。それがフランツにはうれしくて、すごく家族愛の深い一家だったという。(そういえば美智子さまも、子どもの教育にあたって皇室にない慣例をもちこみましたね。日本のほうが遅いですが、時代の必然的な変化なのでしょう)

・世界旅行をして、日本にも来ていた。知らなかった。ロシアのニコライ皇帝が来たのはしっていたけど、そういえばそんな話を前に読んだかな。浴衣みたいなのを着ている写真が残っている。アメリカにも行って、精神的に影響を受けたらしい。

・フランスの死後皇太子になるカールの結婚式。これにソフィも出席していて、皇帝と言葉をかわしている。映像が残っていて、それを放映していたのです。

・暗殺されたのは、サラエボに来たときではない。来たときに手榴弾を投げられて、命に別状はなかった。暗殺未遂といってよい。そのあとに病院にいこうとしたときに、暗殺された。私は訪問で来た時に暗殺されたのだと思っていた。なんでまた群衆がいるところに車出して出かけるんだろう・・・。アホじゃないか、って私に言われたくないだろうけど・・・。いさめる側近はお供していなかったんだろうか。旅行中でいなかったのか、言っても聞かなかったのか。(傷病兵のお見舞いだったらしいけど)

・暗殺された後、人々はお年で皇帝が死んだのかと思ったらしい。皇太子が暗殺されたとわかって、彼はハンガリーに好意的ではなかたったので、ハンガリー人には「ブタが死んだ」と言われた。遺体がウイーンに搬送されて、人々の感情はゆっくりともりあがってきたという。あまり好かれていなかったのもあるけれど、やはり今と違ってメディアが発達していたわけではないので、こうなのかなとも思う。

・ドイツ皇帝はフランツと仲がよかったので、お葬式に出席したいと申し出た。でも、「突然のことで外国の元首を呼ぶ準備ができていない」と断られ、外国の皇族や貴族は一切呼ばれないお葬式となった。

・有名な話だけど、夫婦の棺は並んで置かれたのではなく、妻のほうが30センチ低かった。足元におかれる品々も、皇太子のほうは勲章や剣など立派だったけど、妻のほうは扇などで、「なんでもない存在」という扱いだった。

・悲報を聞いた皇帝の最初の言葉は「おお神よ、かわいそうな子どもたち」だったという。(神が私が保てなかった秩序を保った、じゃないの?)

・暗殺したセルビア人の青年19歳は、もし自分が同じ状況におかれたら、また同じことをすると言った。

・親を殺された3人の子供は、犯人に対して「あなたの罪をゆるす」という手紙を書いた。とてもキリスト教的、と子孫は語る。

・番組には、3人の子どもの子孫にあたる女性が二人登場したが、どちらも全部フランス語で応対していた。

・最後に皇帝フランツ・ヨーゼフの子孫が出てきた。セルビアに宣戦布告をするための外務大臣による電報の草稿を示した。ここに正式なフランス語訳が書かれていた。これをウイーンのセルビア大使館に送ったという。彼はちょっとフランス語をはなし、当時は外交でフランス語が使われていたと言った。


面白かったのは、司会者が最後に、彼の死は現代的な君主制、改革をよびおこした、20世紀の殺戮の時代をへて、彼の暗殺が平和な欧州の重要性を伝えたと結んでいたこと。

改革、、、ねえ。

この前、モナコの公妃が懐妊のニュースが流れたのだけど、ちょうどそんなことを考えていたところ。

モナコの君主であるアルベール公には二人、認知した婚外子がいる。一人はアメリカ人女性、もう一人はアフリカ系のフランス人で、元エールフランスのスチュワーデス。奥さん入れて3人の女性は全員平民なのだから、なぜすでにいる子どもは公位継承権がなくて、今度生まれる子どもにはあるのだろう、って思っていたのよね。

モナコはカトリックが国教だったと思ったので、そのせいなのだろうか。でも、今生まれてくる子どもの半分が婚外子のフランスにいると「だから何?」と思ってしまう。アルベール公のお姉さんは、確か3回結婚して、2回は離婚、1回は死別している。
一人目の夫は忘れた。子どもいないし、すぐ離婚したんだと思った。二人目はイタリア人の富豪だったと思った。子供は二人か三人いて、この夫とは死別。これは気の毒だと思う。三人目はドイツのほうの貴族。これは子供が一人いて離婚。やりたい放題だなあ。カトリックは、厳密には離婚はないはずでしょ。カトリックも何もないもんだ。いま、モナコでは女性にも継承権があるので、このお姉さんは確か次の公位継承者。でも今度、アルベール公妃に子供が生まれれば、その子が性別に関係なく公位継承者。
さっぱりわからない。
こういうの見ていると、もういっそやめたら? と言いたくなってくる。

確かにそういう意味では、フランツ・フェルディナンドは先駆者だったかもしれない。
愛が重視され家族が仲良く、国民の手本になったということで。もっとも当時は、そういう手本はいらなかったのかもしれないけど。

それにしても、私はなぜフランツ・ヨーゼフ皇帝は、フランツ・フェルディナンドの次の後継者をきちんと決めなかったのだろうと思っていた。貴賎結婚で、子どもたちの皇位継承を否定したのだから、次を決めないとダメじゃない。
でも番組を見ていて、なんとなくわかった気がした。そんなことをしたら、宮廷が二分されてしまう。公けの問題でありながら、皇帝にとっては家族の問題。辛かったでしょうね。そもそも、皇后がほっつきあるいて、ちっとも皇帝を支えなかったのがいけなかったのではないだろうか。イヤ~な姑(夫=皇帝の母親)がいたらしいが、姑は死んだわけで、死んだあとくらい宮廷に戻ってきたらどうでしょう。夫も息子も、妻・母親不在で、すごく辛かったんじゃないでしょうか。息子が死んでも夫のそばにいないなんて、最低。(娘はかわいがったらしいけど)
こんなこと、若い独身のときは考えたこともなかったんだけどね。20代のときは「流転の悲劇の皇妃」で、ロマンチックだと思っていたものですが・・・。年の功?
もっともシシィさんは、ほっつき歩いていただけで、よそに男性をつくったわけではなかったので、まあいいですが・・・。でも年取ってほっつき歩くのは辛かったかも。
一人の男性としては、フランツ・ヨーゼフ皇帝よりも、フランツ・フェルディナンド皇太子のほうが幸せだったかもしれません。たとえ貴賎結婚であっても・・・とロマンチックにいいたいところだけど、貴賎結婚だったから夫は大事にされたのかも。身分の低い妻が、身分の高い夫につかえる意識があっただろうから。ある意味、夫をほったらかして、あっちこっちふらふらしている妻というのは、対等だからできるのよね。
ああ、こう書いていて、自分の考えが、明らかに20代の若いころとは変わっているのに気づくわあ。昔、まだ私が高校生か大学生のころ、新宿でシシィ展だかハプスブルク展ていうのがあったのよね。あのときの感動を覚えているものだから、あのときの自分と比較しちゃうのよ。

今度シシィの回があるから、それも見なくっちゃ。

ほんとうに今年は、第一次世界大戦関連が多いなあ。100周年だからね。

アウグストゥス展に行きました!欧州の何世紀にもわたる大勘違い?

ごぶさたしております。
更新できなくてすみませんでした。

先日、グランパレでやっていた、アウグストゥス展に行って来ました。「我れはアウグストゥス、ローマ皇帝」というものです。もうしあさっての7月13日で終わりで、週末はこみそうなので、金曜日の夕方に行って来ました。

auguste-affiche.jpg

http://www.youtube.com/watch?v=o17VDqTsKLA

http://www.dailymotion.com/video/x1lryv2_auguste-une-saga-a-la-romaine_creation?start=1

こんなに男性が多い展覧会に行ったのは、初めてです。金曜日の17時過ぎだったのですが、わりと年配の、ちゃんとしている感じの、身なりの良い男性が多かった。年配のご夫婦もいたし、普通の男性もいたし、頭がパンクの若めの男性もいました。もちろん女性もたくさいいましたがね。私の展覧会の観覧史上で、これが男性が一番多かった。

ご想像のとおり、ローマですから、彫刻やレリーフが多かったです。
展覧会の最後に飾られていたのは、超巨大アウグストゥス像。あんな大きいのもあったのね。

彼じゃないけど、3頭政治の本当に3頭が並んでいました。
左から、カエサル、ポンペイウス、クラックスです。クラックスの顔が恐かった。

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展覧会を見ていて、意外だったことが二つ。

ローマ時代に使っていた家具の一部があったんです。
ローマって言うと、建築とか彫像のイメージが強くて、家具って意外でした。
壷とかは見たことがあるような気がしますが。
考えてみたら、人は住んでいたんだから、家具はあったはず。

あるものを「これは何だろう」と考えるのは普通ですが、ないものを「なぜないのか」ってあまり考えません。私もきっと漠然と「古いから、もう失われてないのだろう」くらいに思っていたのでしょう。意識したこともありませんでしたが。
そう考えると、古代エジプトがあれほど残っているのは、逆に奇跡に近いですね。
砂漠の砂の中に埋もれていたのかしら。それともピラミッドのおかげかな。

ポンペイ出土なんてのもあって、面白かったです。

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キャンドル立て
紀元後1世紀の前半。Herculanumで発見。ブロンズで銅と銀がはってある。
ローマの家のなかには、たくさんの灯りがあって、簡単に移動できるランプ立てを使っていた。
アウグストゥスの時代には、真の芸術品となり、持ち主の社会的地位を示すものとなった。
ディオニュソス風(バッカス お酒の神様)の飾りで、反射鏡の所にぶどうの木の葉の形や、ろうそくを支えるところにアッティスの形がある。


もう一つは、色。ローマの建築や町が、かつてどのような色をしていたか。
いくつかビデオやパネルがおいてあって、研究による色の復元が3Dで見られたんです。
建物すべて白い大理石というイメージがありますが、実は色がついていたようです。

びっくりしましたよ。カラフルで鮮やかでした。
今のイタリアにつながるような色の数。
私は特に、イタリアで伝統的に見る、レモン色と緑と空の青のコントラストが印象的でした。フランスのイタリア国境の町マントンもこんな感じですね。
家の中はともかく、外も色がついていたんですね。
もちろん、全部じゃないです。建物全体にはついていません。レリーフとか、ポイントのところとか、屋根とかです。町は色であふれていたみたいです。

動画サイトにも、アップロードされていました。フランス美術館の方、ありがとう。

http://www.dailymotion.com/video/x1tfopr_le-forum-d-auguste_creation#from=embediframe

http://www.dailymotion.com/video/x1lf32g_l-ara-pacis-d-auguste_creation?start=153

そういえば昔ローマを訪れて、観光客には有名じゃない古い教会を見ていたら、男性が声をかけてきました。
その人は、教会の上のほうで発掘・研究をしている人で、本当は立ち入り禁止なんだけど、入れてくれて自分がやっていることを見せながら説明してくれました。フランス語まじりのイタリア語だったからよくわかんなかったけど。。。その1枚の何かに、わずかな色が残っていたんです。すっかり忘れていたけど、この展覧会を見て思い出しました。まあ教会ということは、ローマ帝国が滅びたあとの建築でしょうが、でも古いと色がないのは常識な感じですもの。昔からないわけじゃなかったんですね。風雨にさらされて、落ちちゃっただけ。

そう考えると、ヨーロッパのあちこちに「ローマ風」の建築がたっていて、全然色がついていません。「すべてが白い大理石で、シンプルさの中に威厳をたたえている、ローマ風の荘厳なすばらしい建物」というのは、実は大きな勘違いということなんですかね(汗)。ヨーロッパ中、勘違いの建物だらけ、ということになるのかな。ひえー。
フランスについて言えば、パリのパンテオンも、アサンブレ・ナショナル(国民議会)も、ぜーんぶローマ風の建物で、まったく色がついてません。あれらはすべて「勘違いの産物」ということになるのか・・・。「何世紀にもにわたって大きな勘違いが、ヨーロッパ中を覆った」というなのかしら。。。汗・汗・汗・・・

 ↓ パリの国民議会。
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 ↓ ベルリンのブランデンブルク門。これも本当ならレリーフに色をつけるべき?
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「足利尊氏」と信じられていて、教科書にまで載っていた絵が実は違った、というのの100万倍くらいのショックでしょうかねえ(苦笑・・・)
前に足利尊氏を演じた俳優が、「いつもあの絵をおいておいて、役づくりに行き詰ったとき、絵をじっとみながら、問いかけて考えていたのに。あれは別人だったのか!」とショックを語っていました。

 ↓ これ、実は別人でした。。。
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同じようなショックを受けたローマ風建築=ヨーロッパ建築関係者が、死んじゃった人もいれると、5000万人くらいいそうだわね。ショックのあまり、お墓のなかで動いてたりして・・・。

いまの研究の技術ってすごいものね。
これから、ヨーロッパ中のローマ風建築に、色をつけるのが大流行するかもしれませんよ。
ていうか、私が偉い人なら「色づけプロジェクト」を、国家プロジェクトとして立ち上げちゃうかな。


おまけ
アウグストゥスの後ろ(オクタビアヌス時代の若いときのもの)。くるくるの後れ毛はありませんでした(笑)。まあそりゃあそうよねえ。後れ毛は、髪の毛を結ったときに出るものだから・・・。
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ルーブル アブダビ展に行ってきました!

5月2日から、ルーブルアブダビ展「美術館の誕生」がひらかれています。

週末あけの今日、さっそく行って来ました。

ご存知の方も多いと思いますが、ルーブル美術館は、アラブ首長国連邦のアブダビに、支館ができます。2015年オープン予定です。
400点のうち、160点が今回、パリのルーブル美術館で公開されています。

まず、建物の中がとても美しいです。
私が見たのはビデオで、おそらくイメージ映像かなと思います。
まっしろで、光が木の葉のようにゆらゆら差し込んで。
あのあたりは強烈な光のはず。友人が、日中50度とか言っていましたから。
そんな光が模様を白い壁にうつしだすなんて、実際はどんな感じなんだろう。
映像を見ていると、なんだか光のプラネタリウムみたいだった。

louvre_abu_dhabi.jpg

Jean Nouvelの作品です。電通の建物をつくった人です(あれはちょっとね・・・)。
なんだかニースの丹下健三作のアジア美術館を思い出すような感じでした。
そういえば、両者の建物の傾向といい、「巨匠」の位置づけといい、似ていますね。

展示品は、すばらしかったです。
一度、足を運んでみる価値は、大大大です。

ただ、「各時代、各世界のすばらしい品物を集めただけ」と言われると、そんな感じもします。
元々アラブ首長国連邦側の希望は、「古代から現代まで、すべての文化を示してくれるようなもの」とのことだったそうです。だから、希望にはそっているのかも。それに、まだ全部そろっているわけじゃないしね。

一生懸命、「文明の交流」を打ち出そうとしているな、と思いました。

例えば、ローマ時代のtogatus・あるいは演説家の像(1世紀末~2世紀前半)と、ガンダーラの像(2-3世紀Maitreya?)を並べたり。
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確かに似ています。

つぼを4つ並べたり。中国と、ギリシャ・ローマと・・・なんだっけ。
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キリストの像(16世紀 バイエルンかオーストリア)、十字架から下ろされた像(13世紀・イタリア ティボリ)、藤原時代の日本の小観音像、インドのシバ神の像(10世紀・南インド)、アフリカのマリ帝国のジェンネの彫刻(13世紀)などを並べたり。
できるだけ時代を近づけようとしている感じがしました。

それから、コーラン(13世紀後半・シリア イスラム教)と、聖書(13世紀・フランスのルーアン キリスト教)とトーラー(モーゼ五書ともいう。イエメン ユダヤ教)を並べたところもありました。

このトーラーの説明がよくわからなかった。「19世紀。セレウコス朝の時代。15世末」というようなことが書いてあったのだけど、セレウコス朝って紀元前じゃなかったっけ。何か資料はないかと思ってフランス語のグーグルで探してみたけど、「イエメンのモーゼ五書」と書いたものしかみつからなかった。私だけがわからなかったわけじゃないみたいで、ちょっと安心。すごーーーく古そうでした。3つのなかで、表紙がしっかりと残っていないのはこれだけでした。
コーランは、とってもきれいでした。全然読めないけど。イスラム教は偶像崇拝がない分、模様とかカリグラフィーが発達したと聞いているけど、見ているだけで神聖な誇らしい気分になれるような美しさでした。

私の一番のお気に入りは、des formes qui voyagentというコーナー。新しい商業のルートのまんなかで、商人と軍人が行きかった後には、芸術家と美術品が行きかって、美しい融合の美術が生まれたというコンセプト。
コンセプトはいま一つ伝わらなかったけど、とにかくこのコーナーの工芸品の展示がすごい。

インド&ナポリの品(ごめんなさい、うろおぼえ。間違ってるかも)。もうびっくり感動の美しさ。
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16世紀フランドルの「金洋毛」の勲章のくびかざり。私が今こっている分野。
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1726-7年(イスラム歴1139年)モロッコのアストロラーべ。最初、「なんだか初めて見るもの」と思って、よく見たら、天文学に使ったものと確信した。きらきら黄金で美しいだけじゃなくて、精巧な道具で、すばらしいと思った。じっくりみちゃった。家に帰って調べてみたら、古代の天文学者や占星術者が用いた天体観測用の機器で、イスラム圏で発達したのだそうです。
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工芸品に関しては、ぴかぴか金色のものが目立っていた感じ。絵なども、派手な色合いのはっきりとした印象のものが多かったイメージです。アラブ人の好みに合わせたのかもしれません。日本の掛け軸もありましたが、なんだかみずぼらしく見えました。でも、江戸時代のふすまは、日本の美をよく伝えていました。

アブダビの美術館には、日本美術がしっかり存在感を示すらしいです。フランス人が日本の美術を評価してくれているのと、アラブ人が日本には友好的なおかげだと思います。ありがたいことですね。嬉しいです。

ベネチアとか、ナポリとかが目につきました。ジェノバもあったな。そういえばキプロスもあった。
やっぱりアラブ世界との交流というと、これらの海洋都市を抜きには語れないのでしょうね。

そうそう、来ている人の層が、これほど一様に「高い」と思ったのは初めてです。
平日の昼間なので、女性と、男性はわりとお年寄りが多くて、美術ビジネスマンという感じの人は少なかったですが。
芸術の専門家や詳しそうな人が多かった。自身が芸術家の人も結構いたのかも。
富裕層という意味では、この前いったジョゼフィーヌ展もかなりよかったけど、今回のほうが、ずっと何倍も知的度が上な感じ。身なりも良くて、上品で、おしゃれな感じ。
身なりが良いというのは、お金もちそうという人もいれば、それほどでもないけどシックというか、ちゃんとしているというか、そういう意味です。
5月2日から始まって、週末の混雑を避けようと思ったら、今日が初日だものね。
いや、客層もすばらしかったです。





















ルーブル美術館通い12

前に、ローマの王たちの彫刻を紹介しました。
今回は続きで、女性バージョンです。

なぜか気になったのが、髪の毛のうしろ。

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哲人皇帝マルクス・アウレリウスの妻Faustineということです。皇后陛下というのに、お顔がなくてごめんなさい。La jeune(若様、みたいな感じ) と呼ばれていたのですね。ということは、もう一人同名の、もっと年上の人がいるのでしょう。日本語だと「大」「小」と訳されますが。180-190年ごろの大理石の彫刻ですが・・・。この首の両脇にあるのは、もしかして後れ毛?

気になりだしてとまらない私。

もう1枚。

maf2.jpg

こちらも同じ皇后です。ティボリ界隈で発見。161年のもの。こちらも首の両脇に、、、後れ毛?
こっちのほうが若いのね。そういわれてみると、後姿もなんとなく若いような。
13人も皇帝との間に子どもをもうけましたが、成人したのは7人だけだったようです。皇帝一家だから栄養はよかったでしょうに、半分の確率ってすごいですよね。

後れ毛はくるくるですねえ。

さらにもう1枚。

meli.jpg

この方はMélitinè という女性で、Piréeの地母神の聖域の巫女だったそうです。163―164年のもの。説明を読むと、マントの折り方がこの地方特有のもので、すごくリアリズムな描写なんですって。後ろにばかり気をつけていて、完全に前は見落としました(でもルーブルのサイトで見られるけどね)。でも、この方も後れ毛がある。しかもくるくる。たしかにリアリズムです。

これは本当に後れ毛なのか。みんなくるくるの後れ毛だったのか。
くるくるの後れ毛ということは、地毛がくるくるということだ。直毛じゃなくて。日本人にわかりやすくいうと、もともとパーマがかかっているみたいな髪の毛という感じになると思う。
確かにそうかもなあ、、、と思う。
南にいくと、直毛というのが減るような印象がある。しかも、髪質があつい感じがする。

ココ・シャネルが若き日の森英恵にあったとき、「あなたのまっすぐな黒髪が、とてもきれい」と言ったそうだ。黒髪はヨーロッパに珍しくなくても、まっすぐでさらさらはまれなのだと思う。

さらにもう一つ。

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マティディアという女性です。トラヤヌス帝のめいで、後にハドリヌス帝の皇后となるサビーヌの母親だそうです。112年ころのもの。この人の後ろも、くるくる。

やっぱりこれは、自然な後れ毛なのではないだろうか。

池田理代子のマンガ「エロイカ」で、ナポレオンがイタリアを征服し、ジョゼフィーヌがイタリアにいるナポレオンを訪問する場面がある。ご存知のとおり、当時パリで流行の女性のファッションは、「ローマ風」だった。コルセットをもはやつけないのだ。胸の下に切りかえしがある。
ジョゼフィーヌとお付きの女性たちは、イタリアに新しい「ローマ風」モードをもたらした。

マンガの中で、ある日、イタリアの宮廷の女性が、それまでのコルセットのドレスを脱ぎ捨てて、ジョゼフィーヌたちの真似をして、「ローマ風」衣装を身につけて登場するシーンがある。男性たちは「フランスかぶれになった!」と叫ぶ。するとジョゼフィーヌが近づいて、イタリアのマダム、じゃないセニョーラたちと話をする。

「あら、奥様方、とてもお似合いになるわ」
「コルセットをつけないと、とってもラクなんですもの」
「ほら、こんなふうにローマ風髪飾りをつけると、とっても素敵ですのよ」
「髪をまく(?)まとめる(?)のが大変なのよ、もう」
「あら、イタリアの方の黒髪は、まとめやすいですわよ」

とまあ、こんな会話が続くのだ。(私もよく覚えているなあ・・・)

でも、このくるくる髪を見ている限り、この会話は半分当たっていて、半分間違っていることになる。
「イタリアの方の黒髪はまとめやすい」というのは、当たっている。
でも「まく or まとめるのが大変なのよ」というのは、どうかなあ・・・と思うのだ。
髪質から考えたら、まとめやすいと思う。
だからこそ、本物のローマ時代では、女性はこういう髪型をしていたのではないかしら。

さて、さらにもう1枚。

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これは石棺だ。「9人の女神の石棺」と呼ばれる有名なものらしい。紀元前4世紀以降のギリシャでは、芸術や文学は女神たちによってインスピレーションを受けるもので、これらを実践したものは亡くなると、死出の旅立ちに女神たちが見送ってくれるという。だからローマ時代にも盛んに石棺に女神たちは彫刻されたそうだ。この石棺は2世紀の後半くらいのもの。
――という、とても素敵なお話があるのに、私が見ているのは、後れ毛だけ(笑)。
さすがに、女神たちに後れ毛はなかった。9人もいるから描写が省略されたのか、それとも女神だから、「かんぺき!」なのかな。

さて、髪型といえば、こんなのもありました。

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蜂の巣みたい(笑)。ドミティアという、ドミティアヌス帝の皇后。紀元後90年くらいのもの。
この時代のフラウィウス朝(3人の皇帝がいる。五賢帝の前)にはやったヘアスタイルだそうです。
その名も「蜂の巣」。そのまんまじゃないの。
このドミティアという皇后は、なかなか壮絶な人生を歩んだようですね・・・。
キャプションには「髪型が、王女の顔つきの冷たさにアクセントを与えている」だって。

でもね、後姿は前と違ってすっきりしている。

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後れ毛はないのね(笑)。

絵にかかれたドミティアというのもいます。ローレンス・アルマ=タデマというオランダの画家が1885年にかいたもの。左の後ろで、手をつないでいる女性が彼女です。(当時不倫のうわさがあって、それを描いているらしい)。
写実的な中にも、フランスっぽい感じがする絵ですね。なるほど、この画家はパリに住んでいたけど、普仏戦争をのがれてロンドンに行った。彼の古代ギリシャローマの絵は、ハリウッド映画に大きな影響を与えた。たしかに~。ガルボとかあの時代の映画に似ている感じもするわ。

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前の髪の毛がこんもりしている。
今でも北アフリカっぽさがまざっている女性は、髪のボリューム感がこんな感じよね。イタリアにはそういう女性がフランスよりも多いと思う。ドミティアという人は、初代皇帝アウグストゥスの直系なのだけど、孫の孫で、混ざりに混ざっているものね。
この人が蜂の巣頭の後ろに、金色の飾りをつけている。これがさっきジョゼフィーヌで紹介した「ローマ風の髪留め」の原型です。

髪の毛をゆったら後れ毛が出た、なんて、皇后でもわたしのようなフツーの人でも、どの時代のどこの国の女性も同じなのね。なんだか親しみわいちゃう。それを大理石の彫像に残すローマの芸術家もすごいなあ。

順路を逆流してしまったので、新しい → 古いの順序になっています。

ところで、私が後ろばっかりみて激写していたら、金髪の女の子が覗き込んできて、さっと後ろ姿の写真をとって去って行きました。観光客によくある「なんでも映してやろう!」みたいな感じ。あとで撮った写真をみてなんていっているのかな~(笑)。

最後の1枚。

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昔の鏡です。紀元前4-3世紀くらいは、エトルリア地方が鏡の産地だったそうです。帝政ローマの時代にはガラスの鏡が登場するけど、それまではブロンズや希少なメタルだったとのこと。
「ちゃんと髪がまとまったかしら」と見るのには、ローマの女性たち、少なくともここに登場するような高貴な女性はガラスの鏡を見ていたのですね。もちろん、髪結いは侍女の仕事だったでしょうけれど。

でも、それでナルキッソス(ナルシス)の神話がわかりました。
池にうつった自分の顔をみて、みとれてしまうという話です。
「ナルシスト」の語源です。
それだけ鏡が貴重で、質がよくなかったのね。
今みたいに始終自分の姿を鏡でみる習慣などないし、見る道具もない。
はっきりうつるのは、お天気の良い日の、きれいな澄んだ池くらいのものだったのでしょう。
だから自分の顔をみる機会なんて、ほとんどなかったのね。

鏡の話は、邪馬台国の出土品のなかにも出てくるのに、そこまで考えたことがなかったわ。
鏡っていうのは、一つの大きな文明の象徴だったのでしょうね。
だから「鏡の間」なんていうのが、権力の象徴としてできたのかもしれない。美しいだけじゃなくて。
鏡で自分をみすぎたから、啓蒙思想(原語はルミエール=光)なんてものがうまれたのかも。



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