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ユダヤの人が住む場所に対する誤解

フランスでテロが起きて、新聞社だけじゃなくて、ユダヤ系のスーパーが襲撃されて、4人が死亡した。ちょうど今、アウシュビッツ70周年というニュースをやっているところです。

あのスーパーは、私が折に触れていく知人の仕事場の近くだ、という話をしたら、ある日本人に「そんな危険なところに行っていたんですが!」と言われました。

違うのよ・・・。根本的な誤解があります。

ユダヤ人は、危険な地域には住みません。彼らは、日常の安全にはものすごく敏感です。そのため、ユダヤ人が住んでいる地域=治安が良い、(比較的)裕福な地域 と判断ができるくらいです。ロンドンにはJJエリアという、ユダヤ人と日本人がたくさん住んでいる地域があるくらいです。(日本人とユダヤ人の英語の頭文字をとった呼び名)
実際は、「このへんにはユダヤ人が多い」「ユダヤ人のコミュニティがある」とわかるくらいで、他の人たちと混ざって住んでいます。日本の外国人だってそうですよね。ましてや大都市なら。

でも、テロリストや差別主義者がユダヤ人を狙い撃ちするなら、どこに住んでも同じなんです。彼らは探して狙ってくるのですから。

こういう事件が起きると、地域住民は「彼らのせいで、この地域が危なくなってしまう。いなくなればいいのに」と、内心思うようになってしまうんです。それは、極右への投票につながってしまいます。だから今、人々がまだ冷静を保っていられるうちに、なんとしても次のテロを食い止めないといけません。

日本では新聞社襲撃のほうが圧倒的に大きなニュースになっていますが、私の感覚ですと、スーパー襲撃のほうが暗く不吉で嫌な感じを与えます。パリは地域によって、住んでいる層が分かれています。イスラム過激者による街中や人混み、駅などのテロはもちろん怖いですが、住んでいるところに不安はありません。でもユダヤ系は・・・。

彼らはフランス社会に溶け込んで住んでいます。私は何人かのフランス人に「ぱっと見て、見分けはつくのか」と聞いたところ、「民族をあらわす服装をしていたり、よほど民族的特徴が強い顔立ちをしている人はわかるけど、そうじゃないとわからない」ということです。あと、名前でわかる場合はあるけど、道を歩いている人なら、名前なんてわからないし。
ただ、これも住んでいる場所柄によるかも。私が前に住んでいたコートダジュールなら、おそらくイスラム過激主義者の襲撃のほうが怖さを与えると思います。小さい町に、大勢のイスラムの人が混ざって住んでいるので。

私は、襲撃されたスーパーに行ったことがないですが、たぶん、ユダヤ教の戒律に見合った食べ物を中心に売っている店で、明らかに店主がユダヤだろうと思われる店なのかなと思います。私の家の近くのスーパーにも、ユダヤ教の人向けの食材はちょっと売っていますが、店の感じが、商売のために置いてあるか、地元のユダヤ系コミュニティの依頼で置いたとしか見えないので・・・。
ただ、あのスーパーに関していえば、ちょっと外れにありまして、大きな通りの近くだから狙いやすい場所かも・・・とは思いました。

どうなっちゃうんでしょうね。
アウシュビッツとナチスで言えば、ナチスはユダヤ人を「ユダヤ人居住区(ゲットー)」に無理やり住まわせました。外出するときはユダヤ人であることを示すダビデの星をつけなければいけないと定めていました。ひどい差別政策でした。
前に読んだ本によると、ゲットーの起源は、ベネチア共和国が小さな島にユダヤ人居住区を作ったことだそうです。でも、これは差別的な意味ではなく、彼らの安全を守るためで、彼らは出入り自由だったといいます。
この本を読んだときは「・・・そうかなあ。ほんとかなあ」と思ったものです。でも今は、本当にそうだったのだろうと、納得できます。きっとベネチア共和国は、いまのフランスのような苦悩を抱えたことがあるのでしょうね。今と違って、お金や金目の物は家に置いてあったでしょうから、強盗にも狙われやすいし。それなら、一つの場所にまとまって、しかも島なら、安全を守りやすい。地域住民も安心。もしかしたら、ユダヤ人自身も、治安を強化しやすいから安心だったのではないか。事件がさらに起こって、差別が助長されなくてすむ。読んだ本の記憶によると、無理やりではなくて、当のユダヤ人からも歓迎された政策だったみたいだし。

島に居住区をつくる措置がユダヤ人に歓迎されながらなされたのなら、ベネチア共和国は、差別がないわけではないが、基本的にはオープンで、寛容な社会だったと思います。


まあ・・・ユダヤ問題は、日本人にはわかりにくくて当然ですね。
私も、日本に住んでいたときよりはわかっているけど、本当にどのくらいわかっているのかは疑問ですし・・・。おごらないようにしないと。

それに、そもそもユダヤ人って何だ? という問題があります。
フランスに住んで何世紀、何世代もたっているユダヤ人はたくさんいます。彼らはフランス人だけど「ユダヤ人」です。なぜだろう。
私は前にユダヤ人だという人に「ユダヤ人っていうのは、ユダヤ教を信じている人のことですか」と聞いたら、しばらく沈黙したのちに、「・・・お前はユダヤ人だって指をさされるからそうなるんだ」と言われました。彼女の悲しそうな顔は忘れられません。

日本人は、イスラムだって、わかっていない。そういう私も人のことは言えないけど。
いまだにイスラムとの摩擦について「話し合うべき」なんて寝ぼけたこと言っている日本人がいるし。
話し合いなんて、とっくにやっているのよ。日々日常、たくさんの人が。
もしお近くの小学校にイスラムの子供がいて、給食に対して「私たちは豚肉を食べない。豚肉がふれたお皿も調理器具もダメ。完全にわけてほしい・豚肉をやめてほしい」と言ってきたらどうしますか。フランスや欧州諸国が日々日常抱えているのは、こういう問題です。フランスでは、豚肉をつかった代表的なフランス料理、郷土料理がたくさんあります。代表的な郷土料理を、給食で子供に食べさせるなと? 日本で「魚を学校給食に使うな」「豆腐を使うな」と同じようなものです。 平和な話し合いなら、日々日常やっていて、たいていは妥協で、がまんして平和的に解決しているんですけどね・・・。

「文明の衝突」といったのは、ハンチントンでした。すばらしいコピーだと思います。本当にそうだわ。
日本人にわかりにくいのは、日本は均質的で、「単一民族」だそうだからなのでしょう。ヨーロッパの極右的な人には「すばらしい」と称賛されます。私も何回か言われたことがありますよ・・・うれしくないけどね。


追記   イスラム教徒がもつ食のタブーも、実際はいろいろレベルがあるようです。
フランスの普通のスーパーでも、最近は「ハラル食品」と書かれたものが売られるのをみかけるようになりました。ハラルとは、イスラム教のやり方にのっとって屠畜された牛・鶏などのことです。この処理をしていない牛・鶏などは食べられません。
なんでも、イスラム教徒の中には、ハラル食品でないものには触ることもダメという人々もいるそうです。ていうか、これが標準なの???
イスラム教徒の人がイスラム教の国に住んでいれば、こんな問題は起きないのでしょうけど、そんなこと全く気にしないイスラム教じゃない人たちと混ざって住むと問題が起きる。イスラム教の人がハラルじゃない食品に触らなくてもいいように、レジまでも分かれている所が国もあるらしい。

フランスの普通のスーパーで買い物しているイスラム教徒は、ここまで厳格じゃないのでしょう。同化が進んだといえるのかもしれません。
厳格な人は、イスラム教徒が営んでいる商店で買うことができます。そういう店があるところには、民族のコミュニティがある・できる。

フランスの普通のスーパーにハラル食品が置かれるようになったのも、ある意味「寛容」「同化」だと思います。スーパーにもよりますけど。郊外型の大型スーパーには置いてあるかな。都市型で割と裕福な人がくるスーパーにはないと思う(ユダヤ教の戒律にのっとった食材は置いてあることはあっても)。
でもこれで、「レジも分けろ」という要求が来るようになったらどうするんだろ・・・。
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