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ジダンはなぜ頭突きしたか

この記事は、前に書いた「ジダンの生地で頭突きを考える」と内容は同じです。
前に書いたのが「ブログ語」とすれば、こちらにのせているのは「原稿語」です。一部の要望にこたえて、アップすることにしました。よろしくお願いします。

(チャーチル元英首相の回想録『第二次世界大戦』は、ちょっとお休み。ナチス・ドイツ軍が攻めてくるのを前に、ユーゴスラビアとギリシャの首相が自殺したところで、1回休みをいれました。あまりにも重くて、いくら一気読みが得意な私でも、ちょっと。。。 イギリスはフランスと違って海があるから、救われたのね。そして海を熟知している政治家と軍人がいたから、防衛戦はうまくいったのね。読んでると、日本は大丈夫なのかな、海に詳しい軍人と政治家いるのかな……と心配になってくる本です。)

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ジダン、引き裂かれた英雄

ジダンが、引退後はスペインに住んで子供達にサッカーを教えたいと言っているという報道を目にした。スペインのレアル・マドリーでプレーをしてスペインが気に入ったのかもしれないが、もしこれが本当なら、フランス人は少なからず複雑な気持ちになると思う。

なぜなら、よく語られているように、ジダンは「フランス国家の英雄」なのだ。ただの「すごいサッカー選手」とか「ヒーロー」などというレベルではない。一般のフランス人だけではなく、シラク大統領やドヴィルパン首相からも国家的英雄であると認められている彼が、フランスを離れたがっていうことになるからだ。

これには、フランス人ならだれでも知っているが、日本ではあまり知られていない事実が関係していると私は思う。このことを知れば、彼がフランスに留まりたくないと考えているとしても、無理はないかもしれないと思えることだ。

それは、ジダンがカビル族の出身であるということだ。

日本では、ジダンは「アルジェリア系移民の子」とだけ説明されることが多い。
一般にアルジェリアは、「北アフリカにあるイスラム教徒のアラブ人の国」だと思われている。イスラム教徒の国というのは正しい。それに、学校ではアラビア語が主体で、圧倒的にアラブ人が多いのだから、「アラブ人の国」ととらえてれて当然ではある。

しかし、この地域にアラブ人がやってきたのは、7世紀のことだ。アラブ人がやって来る前、それこそキリストが生まれる前から今に至るまで住んでいるのは、ベルベル人と呼ばれる遊牧民である。今ではアラブ文化の影響でベルベル人はイスラム教徒になったが、独自の文化はいまでも残っており、北アフリカの名産のじゅうたんや陶器などには、「アラブ人の柄、ベルベル人の柄」と異なる2つが存在する。
でも、独自の文化を残してはいるものの、圧倒的なアラブ文明とアラブ人の数を前に、ベルベル人はアラブ化した。それに、アラブ人がやってきたのは7世紀、もう14世紀経っているのだから、アラブ化するのも自然といえば自然である。

ベルベル人は、いくつかの部族にわかれる。これらの部族はそれぞれ異なる言葉をもっているが、お互いに通じるという。その一つの部族が、ジダンの両親の出身、カビル族である。

カビル族は、ベルベル人の中でも特殊な存在だ。イスラム教は受け入れたが、アラブ化を拒んだのだ。ジダンの風貌を見てほしい。彼は白人と同じ白い肌とグレーがかった青い目をもっている。これこそが、カビル族の特徴である。アラブ血統主義の同化を拒絶したというカビル族の歴史が、ジダンのすがたかたちに現れているのだ。それにしても拒み続けて14世紀。すごい。

実に不思議なことである。ヨーロッパも南の地中海地方になると、白人だから肌は白くても、黒い目をもつひとが多くなる。イタリアチームの選手たちを思い浮かべてもらえればわかるだろう。それなのに、北アフリカに住むカビル族が、青い目をもっているのだ。

ジダンはアルジェリア系ではあるが、アラブ人ではない。彼の風貌が何よりの証拠である。ジダンは移民の子であってもアラブ人ではない。だからこそ、彼はフランス国家の英雄になったのだ。
このせいでジダンがどんなに複雑な思いをしているか、想像にあまりある。

このことをよく理解してもらうために、フランス、特に彼の生まれた南仏の背景を説明しよう。

よく「フランスチームって白人が少なくて、フランスって感じが全然しない」と日本で聞く。まったくそのとおりだ。日本人がそう思っているくらいなのだ、当のフランス人もそう思っている部分がある。

フランスはたいへんアラブ人や黒人の移民が多い国である。それは、フランスが地中海をはさんでお隣の北アフリカの、アラブ人や黒人が住む地域を植民地にしたり領土にしたりしたことと関係がある。そして、それらの地域が独立した今でも、政治的にも経済的にもフランスと強いつながりがあり、フランス語が通用する地域になっている。
そしてフランスの戦後成長期、今の日本と同じように若年人口が減少していたフランスでは、単純労働者の人手が足りなくなっていた。そこで、ついこの間まではフランスの領土だった地域から、たくさんの移民を受け入れたのだ。移民は、政情不安定で貧しい祖国より、先進国のフランスに来ることを望んだ。

日本の海外植民地支配は短かったが、アルジェリアは132年間の長きにわたってフランスの領土であった。南仏の新聞では「アルジェリアに残してきた祖先の墓問題」というのが一面を飾ったこともあるくらいだ。

アルジェリアの独立後、フランス人はアルジェリアから船にのってマルセイユに「帰って」きた。そのあと、船は移民をマルセイユに運んだ。おそらくジダンの両親も、マルセイユ港に到着したのだろう。彼らの多くは、そのまま地中海沿岸の南仏に住みついた。自分たちの生まれ故郷と、気候も風土も食べ物も似ているからだ。それは地中海が生み出すものだ。オリーブオイルを使った料理、からっと暑く、紺碧に輝く青い海がはぐくんだ明るさといいかげんさと人なつっこさ。ジダンの両親も、一度はパリ方面に住んだものの、マルセイユに移住してきたという。アルジェリア生まれのフランス人も、たくさん南仏に住みついた。

だから、というべきか、けれども、というべきか、南仏は、フランスのなかでも特に反アラブ感情が強い。ジダンが生まれ育ったマルセイユも、在籍していたチームのカンヌもそうである。南仏の政治家には「かくれ右翼」が多いと言われている。

私は南仏に住んでいるが、日々日常、毎日どこでも、つねにアラブ人と身近に接しているという感覚がある。パリではこの感覚はほとんどないと言っていいくらいだ。

南仏では人口の比率に対してアラブ人が多いせいだと思う。あと、南仏の町は小さいので、パリのように地区ですみわけができず、全部がぐちゃまぜになっていることもあるだろう。同じ地中海の民で似ているからこそ、南仏ではアラブとの融合もすすみ、共存もしている。しかし一方で、似ているからこそ、ヨーロッパ人とアラブ人、異なる文化の違いがよけいに際だち意識されるのだと思う。
そして、不満がたまっているアラブ系フランス人の一部の若者は、白人のフランス人から見れば「かるい挑発的なこと」と思えることを、白人のフランス人に対して行うことが、日常でよく見受けられる。

私にはカビル人の友達がいる。彼はアルジェリアから、勉強をするために南仏にやってきた。ジダンとそっくりの、白い肌と青いグレーがかった目をもっている。ジダンは故郷のカビル人の間でも、英雄だそうだ。
そして彼はことあるごとに「アラブ人と一緒にするな」という。
いったいこれはどういう意味なのだろうか。反アラブ感情が強い南仏にいるからよけいに、「僕はアルジェリア人だけど、アラブ人じゃない」と言いたいのか、それとも故郷にいるときから「カビル族はアラブと違う文化をもっている。自分たちがアラブ人より先にアルジェリアに住んでいたんだ」という誇りをもっていたのだろうか。両方だと思う。とにかく彼はアルジェリア人=アラブ人という公式を、とても嫌う。

アルジェリア人はフランスでは家をみつけるのすら大変だという。そんな彼らが頼りにするのは、先にフランスに来ていた同胞である。彼らとはモスクで会う。同胞が、家や仕事の面倒などをみてくれるのだ。でも友達はアラブ人と同じくイスラム教徒であるが、モスクに行きたがらないし、そこでのツテを頼ろうともしない。「行きたくない」としか言わない。アラブ人しかいないから行きたくないのだと思う。

彼は、中の下くらいのホテルで受付のバイトをみつけた。同じカビル族の紹介なのだという。正直言って、私は驚いた。アルジェリア人はホテルの清掃が一般的で、受付に立つことは珍しい。やはりアルジェリア人であってもアラブ人ではないことを証明する、彼のもつ白い肌と青い目のおかげなのかな……と思った。

ジダンはどうなのだろうか。自分の出身部族カビルに対して、アラブ人に対してどんな思いを抱いているのだろうか。

いちばんの大きな違いは、私の友達はアルジェリアで生まれたアルジェリア人であるが、ジダンはフランスで生まれたフランス人であるということだ。

ジダンはマルセイユの貧民街でうまれた。マルセイユは、真っ昼間に観光客が多い繁華街を歩いていても、かばんをしっかり押さえていないと恐いところである。ある友人は、安全な地区に住んでいるのに、21時以降は絶対に外出しないというが、当たり前だと思わせる土地である。そんな街の貧民地区なのだから、まず一般の人が足を踏み入れることはない。

アルジェリアは国土が広いし、カビル族の数も多いので、カビル族が集まって住む地域がありつつ、同じイスラム教徒であるアラブ人と共存できる。

でも、マルセイユでは、アラブ系もベルベル系もカビル族も、みんな狭い貧民街に一緒に住んでいると思う。人数の問題もあるし、フランスに来てしまえば、「移民」「アルジェリア系」「イスラム教徒」ということで、いっしょくたにされる。ジダンは同じ移民の子供でアラブ系の友達と、一緒にボールを蹴って遊んでいたのだろう。

そんななかで育った彼が、同じ境遇で暮らしているものの、アラブ系とは全く異なる自分の白い肌、青い目、カビル族の出身であることを、どう思っていたのだろうか。ジダンは2世だから、アルジェリアで生まれ育っている両親の影響を、色濃く受けていることが想像できる。実際、ジダンは家族とはカビル語で話していると言われている。両親はカビル族であることにどういう考えをもっている人だったのだろうか。私の友達のように「アラブ人と自分たちは違うのだ」という誇りをもっている人なのだろうか。

ジダンは何も語らない。ジダンがイスラム教徒であるのかすら、わからない。そもそも、そのような質問を公の場ですることはフランスではタブーであり、右翼のすることなのだ。異なる宗教の間に火種があるのは当たり前だし、「宗教ではなく、あなたの考えや性格によってあなたを判断するのだ」ということを示すために尋ねないのだ。出身に対してもそうである。「何系のフランス人か」と尋ねるのは聞き方によっては可能だが、相手が自分からしゃべらない限り、根ほり葉ほり聞くのはタブーである。何よりも大事なのは「フランス人である」ということなのだから。

これは尊敬にあたいする考えだといつも私は思っている。白人のフランス人はアラブ系の人たちと共存しようと模索してあがいている。南仏に住む白人のフランス人は、日常生活でアラブ系との小さな摩擦に毎日のように触れながらも、「同じ人間」として彼らに接して、あいさつをして笑いかける。彼らは、「彼らも同じ人間だ。フランス人だ」と、フランス革命でうちたてた、偉大な「人権」「市民の平等」という国の柱(=建前)を守ろうと頑張っている。

移民が多いのはフランスだけではない。数から言えば、ドイツやイギリスのほうが多いといわれている(フランスでは公式に出自をたずねるのは法律で禁止されているので、政府の統計はない。アラブ系であろうと黒人系であろうと「フランス人」だからだ)。
でも、どの他のヨーロッパの国のチームにあれだけ白人ではない選手が混じっているだろうか。これはフランス人のすごさを示すものだと私は思う。

でも、それでも、アラブ系移民を前にして「彼らはフランス人」と心の底では思えないのが、フランスの最大の苦悩、解決方法がみつからない社会の大問題である。昨年末には、アラブ・黒人系フランス人の若者の社会的不満がつのって、フランス全土で暴動がおきたことは日本でもよく知られている。南仏ではそれと同じくらい、同時期に起きたマルセイユ・ニース間で起きた「元旦の恐怖の列車」事件が人々の胸に強く印象を残している。

移民系フランス人の側も苦しんでいる。どんなに貧しくても、彼らはフランス人としてフランスで教育を受けているのだから、「フランス」の国の柱=「人権」「市民の平等」をたたき込まれる。そして矛盾にはすぐに気付くだろう。「自分はフランスで生まれたフランス人だ。なのになぜこのように差別をうけるのか」と。

そんな時にジダンは登場した。彼はアルジェリア移民の子である。移民の子だけど、彼はフランスチームのエースになった。白人も移民系もすべてのフランス人全員が一緒に、彼を応援するのだ。フランスということで、みんなが一致団結できるのだ。白人のフランス人は、本音と建て前の葛藤から解放されるような気がするだろうし、恵まれない境遇のすべての移民系の人にとっては、彼は「われらが大スーパースター」だ。
実際に、彼は移民系のひどい境遇を社会に伝える役割もはたし、貧しい子供達にサッカーを教えにいったり寄付をしたり、「国民的英雄」の名に恥じない活動をしている。

フランスがワールドカップで優勝したとき、ジダンは「フランスを愛する人がフランス人だ」と語った。この言葉は、日頃の苦悩が深いだけに、優勝という爆発的な大祝賀とあいまって、白人のフランス人にも移民のフランス人にも、大きな感動を呼び起こした。

そして一度だけ、おおやけに政治的な発言をしたことがある。2002年の大統領選挙で、極右政党のルペン候補が第2位になったときだ。ルペンは移民排斥をとなえ、「フランスサッカーチームなど、本来のフランス人である白人が全然いないから、あんなのはフランス代表ではない」などと訴えていた。これに対しジダンが「これはフランスが掲げる国の柱の問題だ」と反論した。
彼が「移民代表」として政治的な発言をしたのは、フランス人自身が大ショックを受けたこの大統領選の時だけである。ふだん、彼は政治的は発言をしようとしない。

ジダンは知っているのだ。自分が「国民的英雄」になれたのは、アルジェリア系の移民の子であっても、アラブ人じゃないからだ、「移民の代表」とまつりあげられたとしても、自分は本当は移民を代表できる者ではない、自分は白い肌と青い目を持っているから英雄になれたのだと。

自分が育ったのと同じ貧民窟に住むアラブ系の子供が、神様をみるような目でジダンを見ながら「ねえ、僕もサッカーが上手になったら、あなたのような英雄になれるかな」と聞いたら、ジダンはなんて答えるのだろうか。「ああ、なれるとも」と言ったらそれはウソになる。絶対になれない。「フランスチームのすばらしい選手」になれる可能性は全くないとは言えないにしても、自分のように「フランスから愛される英雄」には絶対になれない。たとえサッカーの天才だったとしても。だってこの子はアラブ系なのだから。

ジダンは自分のアイデンティティをどうもっているのだろうか。
どのような考えをもっているにしても、彼のおかれた立場は辛すぎる。彼の心の底は引き裂かれているに違いない。彼は引き裂かれた英雄である。そんななか、最後の試合だというのに、「アルジェリア移民=アラブ人=イスラム教徒=テロリスト」という根強い偏見の図式からくる罵声を浴びせられて、あのような結果になってしまった。

でもジダンは強い。頭突きで反撃したことを後悔もしていないし、引退試合をやりなおすつもりもないという。「ジダンは優しい人だ」ということは知れ渡っているが、彼は強いから本物の優しさをもっているのかもしれない。そんなジダンを、フランス人は愛してきたのだ。

今まで本当にお疲れさま。これからは、スペインでもどこでも、自分の好きなところで好きなことをすればいい。人は生まれる場所は選べないが、自分の人生を勝ち取っていくことはできる。ジネディーヌ・ジダンは34歳、人生はこれからだ。(了)


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とても興味深かったです
日本ももう少し植民地経営を長くしていたらこの様な問題が起きたのでしょうか
by お名前(必須) (2014-12-02 21:46) 

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