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ドイツ大統領と天皇制(とフランスの医者)

ニースに帰ってきたものの、また問題がおきてしまった。
なにしろ、暑かった。43度。死ぬ。なんでも過去60年で、ニース最高の暑さだって。。。
なのに部屋にクーラーはない。もともと、フランスの家ってクーラーはすごくまれ。このさんさんと太陽がふりそそぐ南仏は地中海沿岸でも、である。
まあ、湿気が少ないから、日陰だとけっこう涼しいせいもあるんだけど。

で、帰ってきて、奥にしまってある扇風機をとりだそうとしたら、墜落して、尾てい骨をシャワー台の角におもいっきりぶつけてしまった。
いたいよ〜!!! 動けないよ〜! 吐き気がとまらないよ〜!

でも、こっちの医者は、
まずかかりつけの開業医にアポとる
→行く
→レントゲンセンターでのレントゲン許可証をもらう
→自分でセンターのアポをとる
→待たされる
→レントゲンとって結果がでたら、レントゲン写真を受け取って開業医のアポをとる
→開業医にまた行く

という恐ろしいめんどくささ。「死ぬか自然に治るか」というほどひどいらしいイギリス(ロンドン?)ほどではないとはいえ、座っていられないほど痛く、立っていると吐き気がし、歩いていて通行人がちょっとぶつかると、よろめいて激痛、の私にこれをしろというのか。

ちなみに、すごく高い診察料を払う開業医だと、レントゲンセンターが開業医に写真をもっていってくれる。それに、センターでは他の患者より優先してレントゲンとってくれる。なので、最初に開業医にいった段階で、レントゲン後のアポをとっておくことができる。時間と手間の短縮。
普通の開業医だと、いつセンターでレントゲンが撮れるかわからない=かなり待たされることもあり、上記のようになる。金は力なり。

ただ、お高級医者はパリの話し。ニースだと、ここまでカネ・ヒエラルキーはない。みんな等しく(?)だらけていい加減である。

が、あるフランス人が「こういう時は救急病院に行っていいんだよ」という。私は、街のど真ん中に1件ある救急病院は、救急車で運ばれるような人だけだと思っていた(こちらの救急車は有料です)。
でも、いってみて、なんとかなりました。
アポなしでいきなり行けて、すごく待たされるものの、同じ建物でレントゲンとってくれて、その日に結果を教えてくれるなんて、ああなんて素晴らしい・・・うるうる(→日本じゃ当たり前だろ!と自分につっこむ)

まあ、もともと強行軍からの帰還で、疲れていて体調が悪かったのでね。事故の前の日なんて、2度も鼻血が出たくらいだから。。。
やっと少しはコンピューターにむかえる程度になりました(寝ながらだけど)。

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書きたかったのは、そんなことではない。

ウイストン・チャーチル・英国元首相の回想録『第二次世界大戦』である。
ノーベル文学賞のきっかけになった作品だ。(文学じゃないけどね)。

寝てるしかラクな姿勢がないので、横になって本ばかり読んでいるのだけど、これがおもしろいのだ。
いま、河出文庫全4巻あるうちの、1巻目の3分の1くらい。

じつにたくさんのインスピレーションを与えてくれる。ヨーロッパに住んでると実感として胸に迫ることだらけだし、日本にも役立つことがいっぱい。歴史というか政治というか人間というものを考えさせてくれる。

例えば。

ヒトラーがドイツで政権をとり、第1次大戦終了時のベルサイユ条約に違反して、徴兵制を再会し始めたときのこと。(これがヒトラーの野心の一歩だった)。

「国際連盟理事会は、南米やオセアニアも含む、ほぼヨーロッパのすべての国、19カ国が公式にドイツに抗議した。しかし、全開一致で抗議を発したところで、最後の手段としては『武力』に訴えることを考える用意がなかった。いかにそれはむなしかったことか」(部分的にまとめてあります)。

あらら、まるでつい最近のどこかの国の話しみたい。

私は北朝鮮がミサイルを発射した日、輪島にいた。能登半島のてっぺんである。住民は漁業関係者が多くて朝がはやいので、その早朝の日本海を見ていた。ある人は「赤くやけた海→黒い輪→赤→黒い輪が幾層にもなっているのを見た」、ある人は「朝焼けではない異様な赤が、日本海にうつるのを見た」と言っていた。それは、いいしれない静かな恐怖のようだった。

チャーチルは繰り返し、「ドイツの暴走をとめられるチャンスはたくさんあった。あの時、この時。でも、ひ弱な民主主義国家は、自らの無策によって、それをとめることができなかった」というようなことを訴えている。

うーーーーーーーーーん。。。。。。。。。。。。。。。。。

次の例。

私は、首相と大統領って、よくわからなかった。首相しかいない日本やイギリス、大統領しかいない米国などはカンタン、わかりやすい。

でも、なんで首相と大統領が二人いる国があるのだろうか。

イメージとしては「大統領のほうが偉い」という感じがした。そういうイメージからいえば、フランスはわかりやすい。サミットにはシラク大統領が出てるし。でもフランスの首相って何している人なんだろう。
ドイツって、大統領もいるわよね。なのに、なんでサミットには首相が出てるんだろう??? 

フランスに関しては、その後勉強して、わかってました。フランスでいちばん偉い国家元首は大統領。大統領は軍事と外交を、首相は内政を担当する。
(つまり、内政より軍事と外交のほうが大事ってことね。お気楽平和国家・日本に決定的に欠けている感覚だなあ)。

フランスのジョークにこんなのがある。

「大統領、閣下の外交政策に人々が不満で、街じゅうで大きなデモを繰り広げています」
「どれどれ、ああ、本当に大きなデモだ。困ったもんだ」
「いかがいたしましょうか」
「あのデモはフランス国内で行われている、そうだよな?」
「はい閣下、まさしく」
「じゃ、内政だ。首相をよべ」

まあ、大体において内政というのは良いことがなく、地味です。歴代のヨーロッパ君主達は、内政で失敗すると、埋め合わせに戦争をやってハデに勝とうとする、それで人気を保とうとする、の繰り返しだったようです。
あと、「内の不満は、外で戦争やればふっとぶ」という原則もあります。今でもこれらの哲学(?)は生きていると思います。

なので「内政が担当」のフランス首相は、損な役回りということになるわけ。ただ、首相をやっておくと、次の大統領に一番の近道という、お得な点もある。シラク大統領も、前は首相だった。首相だったときに、ガンガン新幹線 TGVなどを建造して、人気をとっていたわけですねえ。どっかの国みたいです。

次に残るはドイツ。サミットにはドイツの首相が出席しているわよね。じゃ、大統領って何??? そもそもなんでいるわけ? 

ドイツの大統領がどういう存在なのか、チャーチルの本を読んでいて「あっ!」と気付いたのです。

ドイツの大統領は、失われたカイザー・皇帝の位置に対する、ドイツ国民の心の穴埋めだったのです。

私は、ドイツって革命がおきて帝政を倒したから、すっかりなくなったのだと思ってました。これは間違いじゃないです。ほんとです。でも、「はい、なくなりました。すっきり終わり。これから全く新しい時代」というわけには、人の心はいかなかったのです。

何百年にもわたって人々の心に刻まれたものは、そう簡単には変えることができないのです。それは「君主=国家の父」というイメージ、そして存在だったかもしれません。

チャーチルは書いています。「(第一次世界大戦の敗戦後、)ドイツ国民の生活のなかにあけられた大きな穴は、空虚感であった。軍国的とか封建的とかいわれる、あらゆる強い要素は、一時取り除かれた。もし立憲君主制であったなら、(中略)新しい民主的な議会制度を尊重し、維持したであろう」と。

チャーチルの自伝には、当時、ドイツの大統領だった老ヒンデンブルグ元帥の描写が出てきます。彼は「自分は皇帝陛下から一時、この地位をあずかっているにすぎない」と思っていたそうです。また、ドイツ国民は、この老元帥に心のより所を求めた、とも。そして当時のドイツ首相は、立憲君主制を模索しようとした人であったことも。

これらを読んで「あっ」と思ったわけです。
第一次大戦後、ドイツの民主制度を考えた人が、このことを意識して「大統領」をつくったのかどうかは知りません(これから調べます)。
でも、人々は、皇帝が消滅したことによって失われたものを求めていたのです。それがヒトラーの時代を経ながら、結果的に今日(こんにち)まで「大統領」という形で残ったではと思い至ったのです。

もともと、ドイツの革命は、第一次世界大戦の敗戦という、激情とゴタゴタの中で起きました。そして、その後に続く「超民主的な政治体制」(ワイマール共和国)は、日本の戦後と同じように、戦勝国から「押し付けられた」という意識がドイツ人のなかにあったようです。

ここが、決定的にフランスと違います。フランス革命は、外国(戦争ふくむ)とは何の直接的なかかわりあいもないところで起きました。

フランス人は、自分たちの意志だけで王様の首をギロチンではねました。

それでも、何度も王制が復興したり、ナポレオンが帝王になったり、紆余曲折を繰り返しています。王制→共和制→帝政→王制→共和制→帝政→共和制といった具合です。
絶対者(王様・皇帝)がいなくても全く平気な民主主義国家に心も政治もおちつくまで、200年近くかかったと思います。人の心の在り方、落ち着き方を完全にかえるのに、200年必用だったのです。

それに、どうも人間って、一度こりると、さらにいっそう保守的・反動的になる傾向があるようです。皇帝をほうむったものの、その後の混乱にこりて、皇帝よりいっそう強い絶対権力者が復活してほしいと望むという反動のことです。

そう考えてみると、スターリンが絶対専制君主かのように君臨したのも、フランスにナポレオンが生まれたのも、ドイツにヒトラーが生まれたのも、「うしなわれた君主の穴埋め」と考えられないこともないです。(この3国を一緒にすると、怒る人が多いだろうなあと思いつつ)。

さて、ここでわが日本です。
ここで思いついたことをひとつ。

米国が第二次世界大戦のあと、日本に「超民主的な制度」を押し付けつつも、天皇制を残したのは、第一次大戦の敗戦処理で、ドイツに関して大失敗したことに、米国が学んだんじゃないのかしら。敗戦国に超理想的な民主主義体制をおしつけたのはいいとして、皇帝をふぬけとしてでも残しておかなかったのは失敗だった、反動でヒトラーを生んでしまった、という教訓です。

私の意見では、米国というのは、世界でいちばん、他国の失敗に学ぶことが上手な国です。なぜかというと、他国の敗者がみんな米国に亡命してくるからですよ。彼らは、いかに権力者にしてやられたか、いかに悲惨な拷問をうけたか、どういう方法がいちばん屈服させるのに効果があったか(政治的にも肉体的にも心理的にも)、身をもって知っているわけです。そして、権力者とわたりあった人達ですから、頭いいです。

これらすべて、米国の頭脳になって蓄積されてきたわけですよ。
なので、「敗者・失敗に学ぶ」という姿勢が伝統として定着している国なんじゃないかな。
「自由を求めて米国にやってきた」とか、表のうるわしきところばっかり見ていてはいけないと思います。

だから、ドイツの失敗のケースを学んで、二度目の大戦では日本でいかしたのではないだろうか。ナチスが政権とって、たくさんの頭脳がドイツから米国に亡命したし。そして結果は大成功、と。
これはあくまで、仮説なんですけどね。
(この私の思いつきに答えをくれるような本、どなたかご存じないですか)。

なんでこういう考えをもつに至ったかというと、ヨーロッパの片隅にすんで、つくづく思うからです。「ああ、新大陸を、新しい国を、若い国民を、ヨーロッパ人は心から欲したのだ」と。この狭いヨーロッパ大陸にいろんな民族、歴史背景の人が混在して住んでいて、陸続きだから移動して、摩擦が生じて、戦争して・・・の繰り返し。心が膿むのですよ。

私なんて平和で楽しい時代に、ニースなんていうのんきな所に住んでいるのに、それでもこの「膿み」を痛切に思うときがあります。

だもの、昔のヨーロッパ人にとって、いかに米国が希望の星だったか、最後の逃げ場だったか、なんだか想像できるような気がしてしまうのです。
(ついでに言えば、ヨーロッパが植民地を欲したのも、心の膿みの持って行き場を探した側面もあるんじゃないのかな、と感じるわけです)。

でも、もう米国も、若い国でも希望の国でもなくなってしまいましたね。

「9,11では世界は変わらない」という意見には賛成なのですが、ただ、心の奥深くに流れる部分で、あの米国ヒステリーを見て幻滅を感じさせたのは、やはり人々の心に鋭い爪痕をのこし、今後大きな影響を残すんじゃないかな・・・という感じがします。この世界には何も希望もなくなってしまったなあという感慨もこめて。
こういうのって、他の人はどう感じているのかな。

全然かんけいない所に話が発展して、今回はおしまいです。読んでくださった方、ありがとう。
続きよもう。


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