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国が生まれるとき:2 幽霊民族、クルド人のなぞ(1)

国が生まれるとき:その2 幽霊民族、クルド人のなぞ(1)

クルド人のことを書こうと思ったのは、「国をもたない最大の民族」というのがキャッチフレーズだからでした。

キャッチフレーズなんて不謹慎かもしれませんが、何を見てもこの表現が使われているので(日本語、フランス語とわず)、やっぱりキャッチフレーズです。

何でも、2000万人〜3000万人(!)もクルド人はいるそうで、クルド人独立国家を目指すベルリンの団体に言わせると、クルドの領土は、フランスとほぼ同じ面積になるのが妥当なんだそうです。それほど中東の広い地域に住んでいるんですって。
(この団体によれば、クルド人は4000万人だそうです?!)

2000万人〜3000万人ってすごいですよね。。。カナダの人口だって3000万人弱くらいだというのに。
そんなにたくさんいるのに、国をもっていない民族・クルド人って、どういう人たちなんだろう。

それが私の好奇心の始まりでした。

そもそもクルド人が世界の話題にのぼるようになったのは、1990年の湾岸戦争からです。もともとイラクにはたくさんのクルド人が住んでいたのですが、戦禍を逃れて、一斉に難民になってしまったのです。
そして、米国が今回のイラク戦争でサダム・フセインを追放してからも、また注目を集めるようになりました。米国は、「敵の敵は味方・利用価値あり」という有史以来の大原則にもとづいて、イラクによる支配に反感をもっていたクルド人をイラクの大統領にしたからです。

そして、今では一番たくさんクルド人が逃れたドイツのベルリンに独立運動の本部があり、独立運動が盛り上がっています。

なので、クルド人問題はあいかわらず世界情勢のホットな話題になっています。

クルド人は、フランスにもたくさん逃れてきました。ミッテラン大統領が亡くなったときは、クルド人たちが「私たちを助けてくれてありがとう」というプラカードをたくさんもって、葬列を見送りました。彼は、湾岸戦争時に、たくさんの難民を受け入れる決断をしたからです。

さて、国をもたない民族というと、まず思い浮かぶのはユダヤ人です。ユダヤ人も国をもっていませんでした。(今はイスラエルという国がありますが)。
彼らは約2500年も国をもたなかったのに、ユダヤ人であり続けました。

これは、ものすごいことなのです。

私はフランスで、よその国や土地から来たのに、完全にフランス人になってしまった人にたくさん会いました。もちろん彼らは「××系フランス人」と思っているのですが(「××系」のところには、ヨーロッパ・中東・北アフリカのほとんどの国名をいれて大丈夫です)。その意識すら3世、4世と時間がたつにつれ薄くなっていきます。次第には、忘れていくのでしょう。

日本だって同じです。なんでも私が読んだ月刊『現代コリア』の記事によると、いまは、そもそも在日コリアンという存在が、消滅の危機をむかえている時代なのだそうです。それは、日本に住んで、日本人との同化が進んでいるからです。

時の流れとともに、これこそが自然なことなのでしょう。

それなのに、ユダヤ人だけは、ユダヤ人であり続けた。住んでいる国はそれぞれ異なるのに、「ユダヤ人」というものが常に存在した。ユダヤ人をユダヤ人たらしめてきたのは、宗教です。ユダヤ教を信仰するものが、ユダヤ人なのです。

それなら、クルド人は、どういう歴史をもっていて、どういう人たちなんだろう。

私はこの問いは、調べれば簡単に出ると思っていました。だって、クルド人の記事はたくさんあるんですから。

ところが。

調べれば調べるほど、わからなくなってきました。何がわからないかといって、いったい、クルド人って何者なの????? クルド民族ってなに???──ということです。

私が読んだすべての日本の記事は、「クルド民族というものが存在する」ということが大前提で書かれています。クルド民族なるものの存在基盤=アイデンティティに、何の疑いも抱いていません。

「ああ、日本人って、本当に幸せな民族」と、またしても思いました。日本人は、安全と水と国と民族は、あって当たり前だと思っているのです。
(私のこの感慨については、「アイデンティティと靖国問題」という記事で詳しく書きました)。

書かれていることは、

「クルド人が住む地域は、イラク・トルコ・シリア・イランという4つの国に分割されている」
「少数民族として、トルコでは文化的迫害を、イラクでは肉体的な迫害をうけた」
「この地域は石油がとれるので、支配者である4つの国に加えて、米国や英国、フランスなどの大国の思惑にふりまわされる歴史をあゆんでいる」
いわく
「国をもたないがゆえに、2000万人以上もいるのに、迫害をうけ苦難を味わってきた民族」

ということです。

私がまず一番最初に思ったのは、「クルド人は、今は国がないけど、昔は国をもったことがあるのだろう」ということです。

ユダヤ人だってそうです。意外に知られていないのですが、紀元前11世紀に、イスラエル王国という国をもったことがあります。のちにイスラエル王国から分離したユダ王国が紀元前6世紀に滅びる(バビロン捕囚)まで、国をもっていたのです。
ソロモンの指輪やシバの女王などのお話は、この国があった時代に生まれました。

先ほど私は「ユダヤ人をユダヤ人たらしめているのは、宗教だ」と書きましたが、宗教なかには、歴史も含まれるのです。

というと、「なんのこっちゃ」と思われる方もいるかもしれませんが、ユダヤ教の聖典である「(旧約)聖書」というのはものすごい量なんです。百科事典20巻/30巻みたいのを想像してもらうと、近いようです。ここには、神様のことだけではなく、ユダヤ人の歴史が書かれているのです。

イスラエル・ユダ王国が滅ぼされ、バビロンに強制的に連れて行かれるなど民族としての苦難を味わうと、「ああ、救世主(メシア)が現れて、私たちを救ってくれないか」という思想があらわれて、ユダヤ教の特徴のひとつになっていきます。
これは要は「ああ、昔はよかった」「あの栄光よ、もう一度」ということで、つまり「昔は、わが民族はすばらしい王国をもっていた。栄華を誇っていた。それなのに、いまは自分たちの国が滅んだばっかりに、こんな目にあっている。ああ、ソロモン王のような偉大な救世主があらわれて、私たちを救ってくれないだろうか」ということなんです。

なので、ユダヤ人が20世紀にイスラエルという国をもつまでユダヤ民族であり続けることができた理由のひとつは、この「かつてはすばらしい栄華を誇る国をもっていた」ということなんです。

このように、国をもったことがある歴史は、民族が消滅することなく民族であり続けるために、とても大事な要素なんです。

前に書いた『国の生まれかた:1 マケドニア共和国』の記事で、セルビア人とマケドニア人の話をちょっと書きました。
「両者ともスラブ系で、宗教は東方正教会。それぞれ独自の言語をもっている。でも、セルビア人の民族意識がとても強いのに対して、(スラブ系)マケドニア人の民族意識は育たなかった」と。

あそこには書きませんでしたが、この違いは、セルビア人が12〜15世紀に国をもったことがあるのに対し、スラブ系マケドニア人は国をもったことがなかったから生まれたのです。

ところがですよ。クルド人は今まで一度もちゃんとした国をもったことがないというではありませんか。普通ですよ、国をもったことがないと、マケドニア人のように、民族意識は薄いままのことが多いのです。

それなら、宗教?
クルド人の大半はイスラム教のスンニ派だそうです。民族固有の宗教じゃないですね。

それなら言語?
これはやや近いようです。クルド語というものがあるそうですから。フランス語のある資料には「クルド人とはクルド語を話す者だ」と書かれてありました。
ただ、クルド語はバラエティがありすぎて、あちらのクルド語とこちらのクルド語では全く通じないくらい違うそうです。一説にはフランス語とドイツ語くらい異なるとか。つまり全然違うってことね。

結局、何一つ、「クルド民族」を定義するものがみつかりませんでした。

いったい、なぜ彼らは「自分たちはクルド人だ」という自覚をもっているのでしょうか。民族の存在基盤(アイデンティティ)は何なのでしょうか。
それなくして「国をもとうと独立運動」ということは、ありえないと思うのに。

このことを知るには、彼らが今までどのように生きてきたのかを、つぶさに調べなければいけないと覚悟しました。頼りはフランス語の資料です。

あるフランス語の資料には、『UNE NATION FANTOME』と題されていました。
いわく、「幽霊の民族国家」。

幽霊の正体をさぐるべく、これから辞書もって図書館に格闘にいくことになります。

そういえば、クルド人って会ったことない(マケドニア人はありますよ)。友達にききまくって、だれかクルド人の知り合いがいないか聞いてみようかな・・・。一人くらい見つかりそうな気がします。

(続く。続きはいつか……不明。。。)


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コメント 3

rika

昨日パリでクルド人と知り合いになりました。
キュルト人でトルコからきたけど、トルコ人じゃない。
彼らはそういっていて、私は全然キュルトが何か知らなかったので
今検索して調べていたところこのページにきました^^
色々調べて、昨日彼らと話した内容がやっと理解できました。
彼らはキュルト人である事をトルコでは言えない、キュルト語を一切使ってはいけないんだ。と言っていました。
だから今フランスにすんでいてすごくいい。
って言っていました。
彼らの両親はまだ、トルコに住んでいるそうです。
また色々詳しく調べてまた話を聞いてみたいと思っています☆
by rika (2007-04-08 18:03) 

Sally

コメントありがとうございました! クルド人の話も(3)を書いて完結したいんですが、その後忙しくて忙しくて、調査が必要なものは、なかなかブログに書けなくなっています。。。でも(3)にはトルコと、あとできれば、あの辺りの地理についても書きたいんですよね。。。
その方のことも、もし興味深いことをお聞きになったら、コメントで教えてくださいね! またこのブログにもよってください。
by Sally (2007-04-09 16:05) 

rika

また彼らにあってきました。
一人クルドの知り合いが出来ると
周りがみんなクルド人というので
意外にいっぱいいるんだな〜って思いました。
しかもクルド料理屋さんでみんな働いていると言うので今度行ってみたいです。
今回はビザについて話をしていて、私は労働ビザとかなの?と問うと5年、10年ビザだよ、といっていました。
これはフランスがクルド人を救っているということなのですかね??
そういう関係でフランスにはいっぱいクルド人がきたのですかね???
あとbonjour=フュージュバッシュ
と教わりました☆
by rika (2007-05-13 09:02) 

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