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国が生まれるとき:1 マケドニア共和国 〜叶うことのない偉大な夢の記憶〜

さて、このブログのなかで、新しい連載をはじめようと思います。
南仏やモナコとは関係ない、固めの話題のほうです。(もちろん、南仏・モナコの話題もこれからいっぱい書いていきたいです!)

私が何よりも関心があって、フランスで勉強していることは、「国とは何だろう、民族とは何だろう、文明とは何だろう」ということです。

これが基本となって、比較文化が大好きだったり、ヨーロッパ連合の勉強をしたり、海が好きなので海を中心とした文明論にまず関心がいったり、バラエティが出てくるのです。

連載は題して『国が生まれるとき』としました。

ネットなので、とりあえず書き終えたらアップロードして、後からどんどん改訂していく形にしようと思っています。なので、もし気付いた点、ご感想などがあったら、教えて下さいね。

今回はマケドニア共和国の話です。これからの予定としては、以下を考えています。不定期にアップロードします。よろしくお願いしますね!

サウジアラビア:創国者サウードと不可思議な国境線のナゾ

クルド人:あと一息で国をもちそこねた、お化け民族

フランス:「ローマ帝国に支配されなかった国」の想像

ナイジェリア:国の数が増える? 細胞分裂現象のなやみ

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『国が生まれるとき』その1

マケドニア共和国 〜叶うことのない偉大な夢の記憶〜

私がマケドニアに興味をもったのは、みょうちきりんな国名からでした。

ソ連の崩壊後、マケドニアは1991年に独立を宣言しました。ところが、フランスの地図には「マケドニア共和国」と書かれていないのです。「前のユーゴスラビアでのマケドニア共和国」という長ったらしい国名になっているのです。

あまりにも長いので、普通は頭文字をとって、
「ARYM」(ANCIENNE REPUBLIQUE YOUGOSLAVE DE MACEDONIA)となっています。

初めてこの頭文字を見たときは、何の国だか、さっぱり見当もつきませんでした。
地図帳ではなくて、何かを説明するための地図だと、ここの国名がぽっかり抜けているものすらあります。

この長ったらしい国名のいわんとしていることは、「むかし、冷戦の時代に、ユーゴスラビア連邦という国がありました。連邦を構成する国の一つがマケドニア共和国でした。ソ連の崩壊後、ユーゴスラビア連邦はもう存在しなくなったけど、前に連邦のなかでマケドニア共和国と呼ばれていた所の国である」という意味です。

わけがわかりません。

そして、日本では何の疑いもなく使われている「マケドニア共和国」という国名は、フランスだけではなく、ヨーロッパの正式地図でみることはないと知りました。なぜなら、ヨーロッパ連合は、この国名を認めていないからです。

「マケドニア共和国」という名を認めているのは米国です。

私が2005年にこのことに気づき、日本の外務省のHPを見たときは、「マケドニア共和国」と書かれていたはずです。「ああ、ほんとに日本は米国流ね」と思った記憶があるので、確かです。2006年に見たら、「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国」になってましたが。(これが日本語での正式名称です)。

どうしてこんな名前になってしまったのでしょうか。だって国の名前ですよ! 海だとか島だとかとはわけが違います。

原因はお隣の国、ギリシアにあります。ギリシアが、「マケドニア共和国」という国名に抗議したのです。

ギリシアの抗議の理由としては、ギリシアの北部の州に、マケドニアという名前があることでした。(州都はテサロニック)
ギリシアのアテネ州も、マケドニア共和国憲法について、とりわけ国境に関する条項に反対をとなえました。

1993年、マケドニア共和国の首都、スコピエでは、「最終的な解決方法がみつかるまで」ということで、抗議された憲法の条項をひっこめて、先の長ったらしい国名を認めることにしました。妥協です。国名変更を認めるとは、ものすごい妥協ですね……。

(でもこの妥協のおかげで、マケドニア共和国、じゃない「前のユーゴスラビアでのマケドニア共和国」は、ヨーロッパでの孤立を免れ、1993年に国連加盟を果たしたのですが)。

でも、これだけなら、ありふれた隣国同士の争い、ギリシャ人×マケドニア人の争いに過ぎないのですが、ことはそんなに簡単ではないのです。

この問題には「××人とは何か」という問題が横たわっているのです。

ギリシアは、マケドニアが国旗に使った、「ヴェルジナ(山)から太陽が昇る模様」(「ヴエルジナの星」と呼ばれています)にも抗議をしました。これは、古代マケドニア王国・アレクサンダー大王のシンボルで、ギリシア人にとって、民族の、愛国のシンボルの一つだというのです。

1995年、ギリシアからの経済封鎖にまけて、マケドニアは国旗の模様すら変えざるを得ませんでした。

でも待ってください。マケドニア人が、古代マケドニア王国のシンボルを使って、いったい何がいけないのでしょうか。ギリシアに文句を言われる筋合いはないではありませんか。
国名だけではなくて、民族のシンボルにまで、ギリシアはケチをつけようというのでしょうか。あまりにも横暴じゃありませんか。

これらの事情をよく知るには、紀元前4世紀にさかのぼらないといけません。

マケドニアに生まれたアレクサンダー大王は、大帝国を築きました。もともとは小さかった国ですが、アレクサンダーの父親フィリポス2世がいしずえを築き、アレクサンダー大王が飛び立っていったのです。
ただ、この大帝国は、アレクサンダーが亡くなると、あっというまに崩壊していまいました。

その後、マケドニアの地の支配者はスラブ人、キリスト教徒のビザンチン帝国、イスラム教徒のオスマントルコと変わりましたが、だれもこの土地の名前を変えることはしませんでした。
紀元前4世紀から20世紀までの24世紀間(!)、いしにえのマケドニア王国があったところの地名は、ずっとマケドニアだったのです。

しかし、19〜20世紀に変化があらわれました。

バルカン半島の人は、「民族自決」のもと、それぞれの民族が国家をもとうとしました。バルカン半島で戦争がおき、オスマントルコの勢力がおとろえると、このマケドニアの地は、ギリシャに51パーセント、セルビアに39パーセント、ブルガリアに10パーセントと、分割されてしまったのです。

第2次世界大戦がおわると、共産主義陣営に属したユーゴスラビア連邦のチトー大統領は、セルビアがもっていた39パーセントのマケドニアを、「マケドニア共和国」として、連邦国家の一つの国にしてしまったのです。つまり、前よりも61パーセント分、小さくなったわけです。

なので、1946年にギリシアで内戦が起きると、チトーはギリシア国内の共産主義者を支援して、テサロニックが州都になっているギリシア北部の州を併合しようとしたのです。

チトーは、ユーゴスラヴィアを大国にしようとしていました。ソ連型の連邦をマネして、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、アルバニア、そして共産化したギリシアを一つの連邦にまとめようとしていたのです。

スターリンはチトーのこの野心に激怒し、1948年、ユーゴスラビアを共産主義の連帯・コミンフォルムから追放しました。そのせいで、チトーのギリシアに対する野心はとん挫しました。でも、隣のギリシアでは恐怖心がやむことはなかったのです。

ギリシアだけではありません。冷戦時代の地図を見て下さい。離れてぽっかり、ギリシアだけが西側の陣営に入っています。いまの地図をみても、たいしてリッチな国でもないのに、ギリシアだけがヨーロッパ連合に最初っから加盟していて、まわりの国はいまだ加盟をはたしていません。

それは、西側の民主主義国家にとって、自分たちの歴史の教科書のいちばん最初にでてくるギリシアが、アカになってしまっては困るからです。ギリシアは、「われらがヨーロッパ文明の発端の地」「民主主義の発祥の地」なのですから。共産主義は民主主義の敵であり、北方の野蛮人・ソ連のコントロール化などに入ってもらっては、面目がまるつぶれだからです。

だから、西ヨーロッパは、ギリシアだけは赤化から守ろうとしたのです。

こんにちヨーロッパ連合では、前述したように、ギリシア側の主張が勝って、「マケドニア共和国」という名前は公認されていません。これは、ギリシアがヨーロッパ連合のメンバーなのに対し、マケドニアはいまだ加盟をはたしていないことと関係があるでしょう(今は加盟候補国になっていますが)。

でも、米国は、「マケドニア共和国」の名前を承認しています。これは、米国がニューヨーク・テロ事件後に行ったイラク戦争を、マケドニアが支持したからなのです。

マケドニアもこの長ったらしい名前は、本当はやめたいようですね……。当たり前か。

でも、これだけでは、マケドニア人が自分たちの国旗に古代マケドニア王国のシンボルを使ってはいけない理由になりません。
いくらマケドニアが共産主義側に入ってしまって、ギリシアはさんざん恐怖を味わされた歴史があるからといったって、マケドニア人にとっては民族のシンボルでしょう?
それともギリシアは、紀元前の大昔のギリシャ文明を、20世紀になっても盾にとって、ヨーロッパ連合での強い立場を利用してマケドニアをいじめようというのでしょうか。国名だけではなく国旗まで抗議するとは、いくらなんでも傲慢なのではないでしょうか。

ところが、問題はもっと複雑なのです。なんと、古代マケドニア王国のマケドニア人と、いまのマケドニア人は、名前が同じでも民族が異なるのです。

紀元前356年、アレクサンダー大王が生まれた当時、マケドニアはギリシアの都市国家の一つでした。つまりギリシア人だったのです────と歴史の本には書いてありますが、当時の代表的なギリシアの都市国家(アテネ・スパルタなど)は、決してマケドニアをギリシアの一員とは認めませんでした。マケドニアは、二流国家の扱いだったのです。

アレクサンダー大王は、教師であるアリストテレスの影響をうけて、世界をギリシア化=文明化する夢をもっていました。
でも、アリストテレスは「野蛮人どもにギリシア文明を押し付けて当然」という方法をといたのに対し、アレクサンダーは、文明の融合という方法をとろうとしたのです。

実際にアレクサンダー大王は、ペルシア帝国を滅ぼしたあと、両者の平和的な融合をはかろうとして、集団結婚を決行し、自分もペルシアの王女を妻にしたりしました。

アレクサンダーの姿勢は、さんざん自分の国マケドニアが「野蛮な後進国のぶんざい」扱いされたことと関係あるでしょう。でも、「世界をギリシア化すべし」と唱えていたアリストテレスだって、マケドニア人だったのです。
そのせいで、彼が活躍した「最大の文明都市」アテネでは、つねに外人扱いされていました。

自分の出生に関してイヤな思いをすると、寛大になる人と、硬直してより保守的になる人にわかれるという、典型的な例のように思えます。

この二人は、決裂しました。

しかし、アレクサンダー大王が亡くなると、「下等な二流国ふぜい」に恐怖と屈辱を味わわされたアテネ人の復讐心によって、アリストテレスはアテネを追放されてしまいました。アリストテレスもまた、国家と民族のはざまで、自分の存在基盤に悩む一人だったのでしょう。

かの時代から約2400年がたちました。もう当時のマケドニア人は存在しません。いまのマケドニア人は、7世紀ごろに南下してマケドニアの地に定着したスラブ人です。

バルカン半島は、民族の火薬庫といわれていますが、セルビア人、クロアチア人などにくらべて、マケドニア人というのは民族意識が薄いといわれています。

たしかに、マケドニアという地名の所に住んでいる人はいつもいました。彼らはスラブ人ですから東方正教会の信者で、長いあいだには、スラブ言語のなかで、マケドニア地方でのみ使われる固有のもの、つまり「マケドニア語」が育まれていきました。

それなのに、マケドニアでは先鋭な民族意識は育ちませんでした。
セルビア人が、マケドニア人と同じ状況──スラブ系で、かつ東方正教会の信者で、固有の言語をもっている──なのに、とても民族意識が強いのとは対照的です。

民族とは、血統や、言語・宗教に存在基盤をもとめることが多いけれども、それだけでははかれない場合があるという、よい例だと思います。

なので、第一次世界大戦のまえ、バルカン半島の民族自決の時代にも、マケドニアの地は最後までオスマントルコ領に残っていました。マケドニアの地に住み、マケドニア語を話す人達はいても、自決するマケドニア「民族」がなかったからです。
そして、オスマントルコの勢力が弱まると、3分割されしまったのは、先にかいたとおりです。

マケドニア人が新たに生まれたのは、チトー大統領が、1929年、ユーゴスラビア連邦をつくり、そのなかに「マケドニア共和国」をつくってからなのです。明らかな「マケドニア人」意識がうまれたのは、チトーによって明確な国というかたちができたあとでした。この場合、民族意識いうよりは、国民意識といったほうが正確でしょう。チトーのマケドニア共和国ができてからは、100年もたっていません。もともと強くない民族意識が育つには、まだ日が浅いようです。

だからこそ、ギリシアの厳重な抗議に対して、「戦争も辞さない」ほど対立するのではなく、国旗の模様も、国の名前も、妥協をして変えることができたのかもしれません。

世界には、国を求めてもかなわない民族がたくさんいるのに対して、国ができてから国民意識が生まれたという、実に幸福な生まれだと思います。

一方、ギリシアの側ですが、古代マケドニア王国が存在していた時代は、マケドニアをギリシアと認めなかったくせに、いつのまにか「マケドニアはギリシアの誇るべき歴史・愛国の象徴の一つだ」と主張が変化しています。

古代のマケドニア人は、ギリシア人だったのでしょうか、それともマケドニア人だったのでしょうか。

学問の立場からは、ギリシア人のなかに入ります。マケドニア人も、オリンポスの神々(ギリシャ神話)を信仰していたのですから、宗教的にもギリシア人です。

でも、もしアレクサンダーの帝国がもっと長く生き延びていたら、東西が融合した新しい文化──ヘレニズム文化の創造者として、「マケドニア人」という強い意識の「民族」が生まれていたに違いありません。

でも、帝国は、あまりにも短命でした。アレクサンダー大王は32歳の時、饗宴のさいちゅうに突然たおれ、10日間高熱にうなされたあと亡くなり、彼の築いた大帝国は、後継者あらそいをめぐって分裂し、消滅してしまいました。

彼らが何人だったのか、古代マケドニアという国家がなくなってしまい、古代マケドニア人もなくなってしまっているのですから、もはや決着のつけようがありません。

それなのに、マケドニアという名前だけは24世紀ものあいだ残りました。
そして、現代のマケドニア人は、アレクサンダー大王のシンボルを国旗に使おうとしました。

この名前は、アレクサンダーの王国とはまったく関係ない民族の出であるチトー大統領が、24世紀もたった1929年に、「マケドニアという名前で国をつくってしまえ」と考えて本当につくってしまうほど、そして、子孫でもなんでもない人達が、「古代王国の帝王のシンボルをひっぱりだして来よう」と考えるほど、栄光にみちた存在であったのです。

しかし、なんといっても24世紀が経っています。その間、大きな帝国など数知れず登場しては永久に消えているではないですか。
いくら古代マケドニア王国が栄光に満ちていたからといって、その後の支配者も、
ギリシア・ローマ教徒から、キリスト教の東方正教会、イスラム教徒と宗教もかわったのです。しかも、ビザンチン帝国も、オスマントルコも、アレクサンダーの帝国にまけない大帝国です。そのうえ、これら大帝国の支配の間、マケドニア「民族」は存在すらしませんでした。

それなのに、なぜマケドニアという国だけが2400年もたったあとに奇跡的に蘇ったのか。しかも別の民族の手で。

それは、アレクサンダー大王の「文明の融合」という、壮大な夢にあったのだと私は思います。

たくさんの民族がいきかうヨーロッパ大陸では、つねに民族・国家間の争いがたえません。いまこうしている間にも、大陸のどこかで、争いが起きている。殺し合っている。殺さないまでも、憎しみあっている。特にバルカン半島は、あのせまい場所に、あまりにもたくさんの民族、たくさんの宗教が混在していて、どうすることもできない。

異なる人たちとの融合など不可能だとわかっていても、それでも夢はみる。摩擦がたえない厳しい現実を日々生きなければいけないからこそ、素朴がゆえに力強い願いにかられる。たとえ叶うことがないとわかっていても。「民族だの宗教だの、そんなのにこだわらずに、みんなが仲良く暮らせたら、どんなにいいか」と。

異なる文明の融和と共存──若く、強く、理想に燃えながらも、たった32歳で人生を閉じてしまったアレクサンダーの偉大な夢の記憶は、24世紀もの長き間、「マケドニア」という地名とともに、人々に語り継がれたに違いありません。そして、マケドニアという名前への尊敬の念はいまの時代もまだ生きていて、2400年後に一つの国、一つの国民までもつくるに至ったのではないでしょうか。

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最後に。いま、ヨーロッパの若者のなかには、ヨーロッパ連合こそが、この叶うことがないはずだった夢を叶えるのだと、かがやく希望にもえている人達がいることを、付け加えたいと思います。アレクサンダー大王も若かった。そして今、ヨーロッパの若者たちが、彼の夢を引き継ごうとしているのかもしれません。

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(注1)
「マケドニア共和国」という名前を承認しているのは、米国のほかに、ロシア、中国があります。ロシアは同じスラブ民族としての利益から、中国は、国連の一票がほしいためのごきげんとりではないかと想像しています。

(注2)
フランス語の「ARYM」(ANCIENNE REPUBLIQUE YOUGOSLAVE DE MACEDONIA)は、英語だと「FYROM」(FORMER YOUGOSLAV REPUBLIC OF MACEDONIA)となります。

(注3)
「マケドニア共和国」という名前は、ヨーロッパ連合内でも一般では使われています。でも公式には使われることはありません。
国連は「前のユーゴスラビアでのマケドニア共和国」(マケドニア旧ユーゴスラビア共和国)を正式国名としています。
「国連がそう決めているのなら、それが世界で正式国名だろう」と思うのは、日本の外交が国連主義で、日本人が国連を最高のものとしているからです。世界には「国連より自分の国の決定が大事」「国連よりヨーロッパ連合の決定が優先」と思っている国があることは、気付いたほうがいいと思います。(私も以前は知りませんでした)。

▼問題になっている古代マケドニア王国・アレクサンダー大王のシンボル「ヴェルジナの星」を見たい人は、以下をクリック!
http://fr.wikipedia.org/wiki/Mac%C3%A9doine_(pays)


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