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キリスト教の起源 その2

ユーロスターに乗ってロンドンに行った。
ドーバー海峡を渡って、田舎の風景を見ていて、ふと思った。

「人になすりつけて、その人を殺して、すっきりしたい罪」というのは、動物を殺して食べることじゃないだろうか。

日本と違って、欧州の肉屋はいかにも肉屋らしい。
肉屋への搬入のときに出くわすと、トラックの中はひきさかれてぶらさがっているでかーい肉。
足がついてて、足からぶらさがっている。ひづめなんか、そのまんま。
初めてみたのは、初めてフランスを旅行したときだ。
あまりに珍しくて、生々しくて、恐ろしい感じがして、度肝をぬかれて、反射的によけながらじーっと見てしまった。「なんだこの外人」と思われただろうなあ。

欧州では、あんなのは昔から身近な存在だったのだろう。
日本と違って、殺したり解体したりしているところを隠したわけではないだろう。
昔は田舎も身近で、動物も身近だったに違いない。
冷蔵技術もないから、町の中に殺して解体するところがあったのかもしれない。

今までいつくしんで育てた動物を殺す、生きている動物を殺す。前に聞いた話では、家畜は、毎日外に出していても、殺されるために外に出されるのはわかるそうだ。そして抵抗したり、悲しそうな声でないたりするそうだ。すべて自分が食べるため。罪悪感に襲われたのではないだろうか。

だから人間を殺す。いつも自分が生きるために動物を殺すから、あがなうには人間を殺すしかない。
でもそれだとあまりにも極道なので、神にささげるという思想や儀式が必要になった。
そういうことなんじゃないかな。

生きものが、生きるために、他の生きているものを殺す。
この罪をどうとらえるべきか。

それが宗教が必要だった、大きな理由の一つなんだろう。

このように考えると、キリストのことも多少理解できた気になってくる。
動物を殺す罪をあながうために、人間を殺す習慣があった。
みんなの罪を一身にあつめて、奴隷が殺された。
そういう伝統が、キリストの磔刑につながってくる。

こう考えると、「謝肉祭」=カーニバルのこともすごく納得できる。
謝肉祭とは、断食のまえに行うお祭りだ。(ニースに住んでいたときは毎年見ていたなあ)。
今はすたれたけど、キリストの復活祭の前に、40日間断食をおこなう習慣があった。
「キリストの苦難をともにわかちあうため、キリストが飲むことも食べることもできずに十字架を背負って歩き、貼り付けになったから」と言われると納得するが、文化的な起源はそこじゃなかったのかもしれない。

アテネの時代から、動物を殺す罪をあがなうために、人間を殺す習慣があった。ギリシャの神にささげるという名目のもと。
それの発展型だろうか、古代マルセイユなどでは、疫病がはやると人間を殺すという習慣があった。これも、ギリシャの神にささげるという名目のもとだった。
キリストがユダヤ人社会の中で殺されたのは、異端だったからだ。まるで疫病のように。
しかし、このことは「人間の罪をあがなうために、キリストは殺された」という思想につながっていく。
人間の罪とは、大元は、動物を殺す罪としたら。
だから断食という思想が出てくるのではないか。
自分の、人間の罪をあがなうために、せめて40日間は動物を殺して食べるのをやめましょう、と。
こうして、当時のさまざまな文化や伝統がまじりあって、一つの宗教を形作っていった。。。
------ということかな?

こう考えると、なぜ今かなりヒステリックなベジタリアンがいるのかも、わかる気がする。
動物保護に関しても、西洋人は「なんで?」と思うほどエキセントリックなことがある。
西洋の歴史とは、数千年も昔から「動物を食べる罪」と向き合っているということになるのかな。

勝手に理解したつもりになりました。

追記 肉屋についてですが、フランスの白人のお店では、店内はきれいですっきりしている。ぶらさがっているのはせいぜい生ハム。たまにトリやジビエがぶらさがっているかな。でも、アフリカ大陸からやってきた移民や移民系の人の店は、もっとラフな感じが多いと思う。ああ、肉って動物を殺して解体したものよね、と感じさせるような。。。これは昔の姿に近いんじゃないか。昔はもっともっと生々しかったんじゃないかな。

それと、フランス人のインテリで、たまに江戸時代の身分制度、エタ・ヒニンのことをしっている人に出くわす。それが今でもつながって差別になっていることも。なんでそんなことまで知っているのか、いくら日本文化の研究者がフランスには多いといっても、と驚いたものだ。調べて書いた人がフランス人にいるんだな~、と。
なんでまたそんなことに興味をもつのか。異民族の流入が多くて、差別との闘いがフランスでは欠かせないのに対し、日本は均質で差別のない社会に見えるから、「そんなはずはない、差別があるんじゃないのか」と探してみつけだしてきたのだろうと、ずっと思っていた。でも、それだけじゃないんじゃないか。日本では、肉を食べているくせに、肉を解体している場面や場所はタブー視されている。そして、近代以降、精肉工場で働く人は江戸時代に差別を受けてきた人が多かったという歴史がある。「生きている物を殺して食べる人間の罪」というのが、私の仮説どおり西洋思想の根幹をなしているとしたら、だからこそ西洋jんは「精肉を扱う人を差別する日本」の文化に興味がわくのではないだろうか、と思いました。











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