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国が生まれるとき:2 幽霊民族、クルド人のなぞ(2)

なぜかこのところ、国が生まれるとき3:幽霊民族、クルド人のなぞ(1)(2)へのアクセスが増えている。
ずいぶん昔に書いたもので、続きがないまま終わっている。
そういえばこの前シャトレの近くを歩いていたら、クルド・レストランをみつけた。

そんなこともあって、簡単に続きを書きます。
その後詳しく調査はしていないのですが、当時から「こういうことを書きたかった」という結論があるのです。

その結論とは「山」です。

キーワードは「山岳地帯」です。

山岳地帯の特徴とはなにか。

交通が不便。
だから、各村が特色を保ちやすい。
各村が孤立する。
下界の文明・喧騒が届きにくい。
敵が来にくい、というよりまず来ない。

クルド人がすむのは、そんな山岳地帯でした。

バルカン地方も似ています。

なぜバルカン地方が「民族の火薬庫」と言われるのか。
世界史で、さんざん「第一次世界大戦のひきがねになったのは、バルカン地方の民族問題」「バルカン地方は民族の火薬庫。小さいところに、たくさんの民族がたくさん住んでいる」と習いました。

なぜなのか。

それは、山だからです。山岳地帯だからです。

こうして、ある意味では、各民族、各部族が、閉じこもって生きることができた。
自分たちの独自の文化を保持しやすかった。
隣の村は離れていて、険しい山道を長い時間をかけて歩いたり、ろばにのったりしないとたどり着けないのだから、異民族だろうと異宗教だろうと、それほどいさかいは起きなかった。
「村」意識は強烈にもっていても、山の向こうの隣村の人たちと「国家」をつくる意識はもたなかった。

車も飛行機もなく、「国民国家」もない時代は、問題は起きなかった。

でも20世紀にはいって、時代は変わった。

とはいいながら、今でも山は相変わらず山なので、ものすごくは変わらないのかもしれない。
道路がなければ、自動車はとおれない。
でも誰がどんな利益があって、高いお金を費やして険しい山に何本も道路をつくるのか。
飛行機で行きたくても、山だから飛行場がつくれない。

それでも、現代は最低限の道路はあるし、テレビもラジオもインターネットもある。
山に住むからと言って、グローバリセーションから逃れられるわけでもない。
いまだに19世紀のようにヤギを飼って、自給自足で生きるわけにはいかないのだ。

このことに私が気づいたのは、バルカンの問題を考えたからでした。
疑問は簡単です。「なぜバルカン地方は民族の火薬庫なの」です。

何度も書いたように、民族というものは、あいまいです。
世界史の教科書を見ると、初期の段階で出てくる民族、ヒッタイト人とかフェニキア人とか、今はない民族だらけです。民族はなくなるのです。正確には、名前が変わるのです。それは国が興っては滅びるからです。国が興るのも滅びるのも、他の国や民族との交流、あるいは戦争があるからです。

でも山岳は、その険しさゆえに、そういう文明史を拒否するものがある。

私が調べたかったのは、同じ山岳地方とはいえ、バルカン地方の山岳地帯の性格と、クルド人がすむ地方の山岳地帯では違いがあるかもしれない、このことを調べてみたいと思ったのです。
バルカン地方では、宗教までもが異なる民族が山岳地方にたくさん住んでいるのに、クルド人が住む一帯の山岳地方は、広くクルド人が住んでいたようです。なぜなのかな、どういう違いがあるのかな、と。

それと、山に住んでいると、単位が小さくなるというのもあります。平原であればこそ、大きな土地、大きな人口、つまり大規模な文化や文明がうまれる。100人が何かに属しているよりは、100万人が属してれば、力になるし、目にもつき、影響力ももちやすくなります。

クルド人は独自の文化をもっているにせよ、単位が小さかったのではないか。
でもそれにしては人数が多い。。。どうなっているのでしょうか。

その点は、まだ調べていません。今後の宿題にします。

ちょっとすっきりしました。
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