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日々のつれづれ


ここ最近、なんだか変な感じ。
全体としては、仕事運はあがっていると思う。
でも、体がついてこない。
この前、ふらっとしてよろけてしまった。
何日か後には、朝目が覚めてベッドから起きようとしたら、なんだか宙を歩いている感じになったかと思ったら、ばたんと電気スタンドとともに倒れた。
直後のショックが去った後、意識はあったので、ベッドによじのぼって横になった。
目が覚めたら午後だった。

全部の仕事と論文を中断して、しばらくの期間休むことにした。

こうしてまた、一つ思い通りにいかない、挫折してしまった。
担当教諭によると、論文は9月提出か留年だという。
秘書課もいってたけど、上層部の許可がないと留年できないそうだ。
でも、先生の話しぶりでは、たぶん大丈夫みたい。
前期は受かっているから、それも良い判断材料になるみたいだ。

ちょっとというか、かなり無理しすぎた。
医者にいったほうがいいかな・・・。
原因は過労だとわかっているんだけど。
医者にいくのも面倒で、こちらは病院予約とったら、そこで全部検査ができるわけじゃないから。

ところで、この前の仕事で、初めてアルバニア人に会った。
アルバニア人とマケドニア人だ。
マケドニアの人はアルバニア起源の人で、二人はアルバニア語を話しているという。
私が「アルバニアって住民はイスラム教徒が多いんでしょ」と聞いたら、アルバニア人の女性は「今は半々くらいかな。私はキリスト教徒だし、彼(マケドニア人)はイスラム教徒だよ」「そういうのがとてもバルカンっぽいの」という。
二人とも完璧に白人で、そういえば、私はあそこまで白人らしい白人でイスラム教徒という人に、もしかしたら初めて会ったかもしれない。カビル人は、北アフリカのイスラム教徒でも、白人っぽい。カビル人には今まで何人か会っているけど(ジダンみたいな人ですね)。

今回あった先生は、アルジェリア系の人だそうだ。フランスの歴史をあまり話したがらない、先史時代や、人間の起源はアフリカというところから話し始めた。私たちは同じ市民で、ヒューマニティの観点を強調する人だった。
フランスにおいては、コミュニティ主義は差別であると。フランスは一つなのだと。
それをじっと聞く、スカーフをかぶった女性達。
いつも見る光景だ。
この先生はかなり教養があるなと思った。どの先生もそうなのだけど。

今はラマダンのせいで、お昼を食べない人が結構いた。
そのせいで力が入らないのか、だらっと椅子に座って活気のない人が多かったような感じだった。

西城秀樹さんが、亡くなりました。
ご冥福をお祈りします。
息の長い歌手だったというが、本当にそうみたい。
20代はずっと活躍していた。
他のアイドルより、ずっと長いようだ。
(でも沢田研二のほうが長いな。テレビ白黒時代のグループサウンズの時代から30代前半までだから。30代でスターの一線にいたのは、歌謡界史上でジュリーくらいじゃないか)。

大学のオペレッタ専門の先生が「西城秀樹は、良い俳優になれる」と言っていたのを思い出す(当時秀樹は何歳くらいだろう。40代かしら)。

ヤングマンとかエンドレスサマーなんかは記憶があるな。
その前の曲は、今回いろいろ聞いてみたら、知っているのと知らないのがあった。
例えば「ローラ」は知っているけど、「炎」と聞かれても「?」だった。でも聞いてみたら「あれ、私この曲知ってるわ」だった。
絶叫型と言われるらしいが、あんな風に「バカやろう」とか「抱いてやる」とか叫んでいるとは知らなかった。
一番気に入ったのは「炎」だ。いやー、かっこいい。これじゃあ、失神して倒れる女性がいるのは無理ないわ。
私はどうも、馬飼野さんという作曲家が好きみたい。炎の作曲家もこの方。
この人、アニメのベルばらの曲をつけた人よね。

この時代の歌謡曲の作曲家というのは、有名な人が何人かいるけど、みんな豊かな家庭の学歴の高い人が多い。
歌手が一応高卒という人ばっかりだったのと対照的。
家が長唄とか三味線奏者だったとか、そういうのがまだ一部残っている時代でもある。
こういう日本の伝統は、ほとんど死んでしまったけど・・・。

この時代のスターは、みんな歌がうまいな。
聞いていて気持ちいい。
それと当時って、その場で演奏しているのよね。
そういえば、ドリフも、あれは「演劇の中継」だった。
同じ曲を何度も、どの局でも流していると飽きるけど、それでも数ヶ月は平気だったのは、ライブ中継だったからかもしれない。ライブって絶対に同じにならないので。(当時も「口パク」はあったけどね)。
前に志村けんが「何度もはやるまで、人々が覚えるまで、同じギャグをやるのが大事」と言っていた。私はそれを聞いて「なんて古臭い」と思った。でも、今こうして昔のビデオを見ていると、それは時代のテンポというよりも、ライブ中継だったからできたんだと思った。

当時の歌謡界というのはつくられたもので、商業主義の最たるものだったけど、それすら今から見ると、ちゃんとつくっているだけマシという感じがする。つくられたアイドルは、欧米のロック歌手を前にすると霞んで見えたかもしれない。でもスター性のある人をみつけてきて、その人に最高の詩、曲、衣装、振り付けを一流の人から与えることでうまれた「スター」は、確かにスターで輝いていたと思う。みんながみんな、フルセットの才能をもっているわけじゃないからね。

ただ、似てくるというのはある。
曲はともかく、歌詞は圧倒的に阿久悠が多く、ほとんど彼の世界で動いている感じすらする。
でも曲はバラエティに富んでいて、メロディーの黄金時代だなと思う。

私がリアルに感じるのは、その後のたのきんトリオやチェッカーズの頃なのだが、この時代になると、もう歌が下手すぎて聞いていられなくなる。ジャニーズは歌が下手なのか。そのころ私はもう、欧米の音楽ばかり聞いていて、日本の音楽はほとんど聞かなくなっていた。上がいるので、上の影響は大きくて、ませた子供だったなーと思う。

その後には小室の時代がやってきたが、それが終わったら、もう何もなくなってしまった。
正確には、テレビと分離したというべきか。
音楽の才能がない人がバンドという形で大量に登場し、ビジュアル系に走る時代が来て、その後は・・・謎。
テレビはお笑いばっかり。

音楽って不思議。
聞いただけで、「あれ、この曲、聞いたの初めてじゃない」ってわかる。
前に見たエピソード。
アメリカ人の父と日本人の母の間に、日本である男の子が生まれた。
2歳くらいまで日本にいたけど、その後一家はアメリカへ移住。
でも、親は離婚して、母親は子供をアメリカに残して日本に帰国してしまった。
その後、母には会っていない。母の記憶はない。
成人した息子は、日本にやってきた。
日本に来れば、何か思い出せるかもしれないと思って。
でも、日本のことも母親のことも、まったく思い出せない。日本はただの外国だった。
母親はこの日本のどこかにいるはずだが、どこにいるかもわからない。
そんなある日、公園で、ある母親が赤ちゃんを抱いて、歌を歌っていた。
「ねんねんころりよ、おころりよ」と。
それを聞いて、息子は雷に打たれた。
自分はこの歌を知っていると。

今後、もし才能をもらって生まれ変わることができるなら、音楽家がいい。
ずっとそう思ってきた。
そうすれば外国でこんなに苦い思いをしなくてもいいんだろうなー、と思いながら。


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