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日本のサッカーが強くなることはない

いつも立ち寄ってくださっている方、お久しぶりです。今、フランスより日本に一時帰国中です。
以下は、「久しぶりに日本に帰ってきて思ったこと」という内容で書いたのですが、とりいそぎサッカーに関係あるところだけ取りだしてみました。

●気の毒な中田くん(サッカーです)。日本チームで思いっきり浮いているらしい。彼はもともと向かっていく根性のある人だったのだろうけど、外国に行って、もっともっと研ぎ澄まされたのだと思う。彼は「何か言ってもみんな黙っていて、自分の意見を言わない」と嘆いているらしい。

そりゃそうだよな。私はいっつも思う。よく「日本チームは最後の一歩で強さが足りない」とか、「パスばっかりでゴールに向かわない」とか「当たっていく根性がない」とか「チームワークは良くても強い個人の選手がいない」とか。そりゃあんた、現代日本の欠点でしょ? 今時の若者なんて、ニートだとか、就職口がないほど経済は悪くないのに、働かないでダラダラしている、そーいう時代だよ。それなのに、なんでサッカー選手にばっかり、色々と社会にないものを要求するわけ??? いくらサッカーの才能があったって、彼らは現代日本の若者なんだからさあ。

根性もあって才能もある中田くんは、外国にいく実力もあって、外国であのドライで個人が強い社会でもまれたんだよ。で、日本どっぷりの選手と合流したわけだ。かわいそうに。。。

余談ですが、外国風の個体が強い生き方で、日本社会になじんでいなくも、中田くんにはみんな優しくて、村上氏には厳しいわけね。やっぱりサッカーは持って生まれた才能がはっきり出るから羨ましがりようがないけど、株だと誰でもやれて、かなりの人が失敗して損してるわけだから、嫉妬されやすいのかしら。。。

●いま、小さなバイトを日本でしているけど、なんだか人間関係がウエット。フランス社会に疲れていたくせに、日本に帰ってくると「出る杭は打つ」みたいな横並びの姿勢の強さにつかれる。
フランスだと言いたいこと言って、あとはすっきりしている。物事を「そりゃ理にかなっている/かなっていない」で捉える傾向が強い。自分の自由を束縛されたくないから、相手の自由を尊重するために我慢する。

日本は「理」よりも「あんないいかたしなくたって」という「情」が先に立つ。日本人が我慢するのは、「理」ではなくて、「あんまり言い過ぎるのは良くない」「まあ、仕方ないよね」と感情の問題で相手に優しくしようとするためだ。
日本社会は、そのウエットさと横並びに耐えられる人にとっては、とても優しい住みやすい社会だと思う。でも私はちょっと無理みたい。といって、まったくのフランス流は本当に疲れる。むずかしいなあ〜。地上に楽園はないみたいね。。。

●──と書いているそばから、日本はオーストラリアにまさかの3ー1で破れてしまった。あ〜あ。見ていてあらためてがっくりするのは、いいボールが来た時に、敵が奪いにやってきても、「このやろう」根性で、たとえダメであってもゴールに突進することが実に少ないこと。後半、高原が絶好のボールをつかんだのにもかかわらず、途中で、たいして良いポジションにいるわけでもない他の選手にパスをまわしてしまった。8年前、岡田(岡本だっけ?足のはやい選手)もそういう場面があった。だめだなあ、もう……。

私の意見では、「本物の気の強さ」や「なにくそ根性」というのは、生まれもったもので、増やすことはできない。動物と同じ、身近で言えば、犬ネコの世界と同じである。生まれついた時から、目がまだ見えていないのに、他を押しのけてでもふんづけてでも母親のミルクをのもうとする個体と、そうではない個体にわかれるものだ。基本はあれだ。
ましてやサッカーなんて肉体の疲労のなかで瞬時の判断になるのだから、よけい際だつと思う。

ただ、この気質は、後天的に増やすことはできないが、減らすことはできるというのが私の持論。日本の社会って、後者なんだと思う。協調性を重んじるあまり、個人の「本物の気の強さ」や「なにくそ根性」を減らしまくっている、いやむしろ禁じていると思う。

でもこれは、他の国には珍しい、日本人の良さでもある。動物ではないのだから、8匹子供が産まれたら、仲良く8匹、同じレベルで同じように仲良く生きていきましょうよ、というやり方があったっていい。
だからこの日本人の良さを失わないでいようと思うなら、永遠にサッカーは強くならないと思う。「おそらく、日本のサッカーが強くなることは永遠にない」と、昨日の試合をみていて思った。「それでいいんだ」とも。

「個体」の強さでは、絶対にサッカー強豪国にはかなわない。サッカー強豪国は、もともと個体が強く、個を尊重する社会だからこそ、なにくそ根性でゴールに攻めていくサッカー選手があらわれるのだ。日本が先進国であるためには、彼らと同じ土俵にあがってはいけないのだ。彼らと違うからこそ、発展できたのだから。

言い方をかえれば、日本人にサッカーが合っていないのかもしれない。でも人はないものに憧れる。現代の日本人は、がんじがらめの「協調性」に膿んでいるからこそ、サッカーが好きになったのかもしれない。
日本が貧しかったころは、まだハングリー精神が活かされる社会だった。その精神と、日本人ならではの協調性がうまくかみ合って、日本は世界でも有数の豊かな社会になった。そして今は、豊かになりすぎてダラけ、閉塞感が漂う社会になっている。だからサッカーが新鮮に映るのだ。

なので、これから社会が変化すれば、多少はサッカーが強くなる可能性はあるだろう。でも、強くなってベスト8入りするなんてことは、100年たってもありえないような気がする。

結局、これからワールドカップが来るたびに大騒ぎして盛り上がるが、低いレベルで一喜一憂するしかないのだ、と思う。でも、4年に1回だから、まあいいか。サッカーが弱くたって、先進国でいることのほうが大事だもんね。


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コメント 1

NO NAME

>日本人ならではの協調性

せっかくフランスに住んでいるのであればトルシエ監督が「和」について興味深い発言をしているので調べてみてください。

>日本はオーストラリアにまさかの3ー1で

「まさか」よりは、「大方の予想通り」あるいは「期待を裏切って」という表現が妥当かと思われます。
by NO NAME (2006-07-21 09:07) 

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