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佐村河内事件について「日本人はウソつき」とフランス人に言われた

表題のとおりです。
佐村河内守事件は、とにかく私は興味があって、最近の日本のニュースの中では5本の指に入るほど興味津々なんです。
で、この事件を仲の良いフランス人に話しました。
そうしたら「日本人ってウソつきだ。いつもごめん、ごめん(デゾレ)と謝っているけど、ウソつき」
というので、すごーーーーくムッときて
「具体的にどういうこと?」
と聞いたら
「日本人と接していて、そう感じる」
ということでした。
頭にきたので
「それを言うならフランス人なんて搾取者じゃない。でも、私がそういう時は、ちゃんと具体例があるんだよ。アフリカでフランスがしていることとか。こういう事例があるから、そう思うとちゃんと説明できるよ。ちゃんと説明してよ」
というと
「そう感じる」
としか言いませんでした。
心底ムカつきました。

さて一夜明けて、このことを考えてみました。

もしかしたら本当にそうかも。

いつも思うのですが、「みなさんにご迷惑をおかけし、お騒がせしたことをお詫びします」と、幹部の人とか、当事者が並んで頭を下げる。カメラのフラッシュがばしゃばしゃばしゃっ!
すごく疑問。謝るのは「ご迷惑」に対してなわけ? ご迷惑とかお騒がせなんてどうでもいいんだよ。アンタが悪い事をしたから謝るんじゃないの?

私は西欧にいると、いつも「ああ私って日本人」と思うのだけど、日本に帰ると、かなり西欧化している私に気づく。日本の水に再び戻って慣れるのに、1ヶ月くらいかかる。

そのうちの一つが「なぜ謝らないのか」ということ。
「とにかくまずは謝りなさい」と家族によく言われるのよね。
西欧にいて、やたら謝る習慣が私から消えている。
でも「まず謝れ」といわれると、1ヶ月経っていない私は、反発を感じるわけ。
別に私は、自己正当化しようとか、謝るつもりはないとか、そんなことは言っていない。
でも、齟齬が生じたら、まずは自分の立場を「説明」する。全然そんなんじゃないよとか、そういうつもりじゃなかった、こういうつもりだった、とか。そういうのは西欧では「コミュニケーション能力」なのだ。
説明した結果、相手はあっさり「そうなのか。××だと思った。それならいい」と、何事もなかったかのように話は進む。向こうがまだ何か納得しなければ、「でもこうなんじゃないか」と言ってくる。私がそれに答える。
お互い納得すれば、まったく後腐れなし。すごくさっぱりしていると思う。

私はこの「さっぱり」感が、欧米文化で一番好きなところだ。ぐじぐじ根にもたない。日本文化はウエットだといわれるが、本当にそう思う。ちゃんと話して、あとはさっぱり。すっきりしていていい。
このさっぱり感は、まだ語学が上手じゃなかったときから感じていた。
語学力があがって説明能力がついてくると、ますますそう思うようになった。
まあでも日本人なので、骨が折れるところではありますけど(苦笑)

でも日本人は違う。
「まずは相手が感情を害しているのだから、何はともあれ謝れ」なのだ。
「言い訳するな」「まず謝れ」。
確かに謝られると、感情が落ち着くことは落ち着く。
でもそれでいいのだろうか。
思うに、昔昔の村社会の日本では、とりあえず謝る、謝られた側も謝るが、そのあと話し合いをしていたんじゃないかと思う。周りの人間が「まあまあ」「話せばわかるから」とか言いながら仲介に入って、話し合う。まず謝るのは感情を沈めさせて場をなごませるための方便で、一番大事なのはそのあとの「話せばわかる」話し合いだったんじゃないか。主役はこっちだったはずだ。
でも今は、その後の「話し合い」文化が欠落しちゃったんじゃないか。大事なところが無くなって、サブのほうが残った。

「こんなに私は傷ついた。だから謝れ。傷つけたあんたが悪い」というのは日本に横行しているようだ。
そういわれると、謝らないほうが悪いみたいな印象を与える。そこに、道徳や論理はない。感情だけだ。
すごく日本的。「日本人はセンチメンタル」と言われるが、本当にそうだ。

これは、日本だけの話だ。もしこんなことを西欧でいう人がいたら、当然のように「何に傷ついたのか」という質問が出るだろう。そして議論となるだろう。それが普通なのだ。こんなことをいう人から議論を引き出すのは、子どもをあやしてケンカの原因をさぐるような感じになるだろう。大人なら、ちゃんと説明するのが当たり前だからだ。

日本人というのは、もともと冷たいところがある。それは「村八分」的な冷たさだと思ってきた。五木寛之さんの「朱鷺の墓」という作品に、よくこれが表現されている。映画だかドラマにもなったので、有名な作品らしい。私は親戚の家にあった本を読んだ。五木さんは、外地で生まれて、幼少時代を外地で過ごした。だから「外からの目」をもっているのだと思う。
でもそれだけじゃないかもしれない。最近では、こういう「私はこんなに傷ついた。謝れ」というモンペのような人が横行し、日本人自身が辟易しているのではないか。だから「自己責任だ」「勝手にしろ」と、つきはなすようになっている。できるだけへんな要素がある人とは関わらないようにする。「話し合えばわかる」という村の文化は消滅し、都会化した日本では、ただただめんどくさく、突き放すだけ。どんどん冷たくなっていく。

最も大事だったはずの「話せばわかる話し合い」文化は無くなっても、「まずはともあれ謝らなければいけない」という文化だけは消えそうにない。
これが外国人から見ると、「謝っているくせに、実は反省なんてしていない。何も考えていない。ただ口先だけだ」=日本人はウソツキ と見えるのではないか。見えるというか、実際そういう人だらけになっている感じもする。

よく日本人が日本人に対する批判で「倫理観にとぼしい」「論理にとぼしい」と言われるけど、私もまったく心からそう思う。
謝ればそれでいいのか。最初に戻るけど「ご迷惑」「お騒がせ」なんてどうでもいいんだよ。「悪い事をした」と謝れ、と思う。

佐村河内守氏も記者会見を開いたら「ご迷惑をかけて、お騒がせしてすみません」と謝るのだろうか。「とりあえず謝れりゃOKだ」と思いながら。


(追伸・よく外国人は道でぶつかっても謝らないといいますが、これは違うと思います。フランスとイギリスに関していえば、ちょっと当たっただけでも、実はこちらが悪くても、「パードン」「ソーリー」という人は大勢います。これは教育やエレガンスの問題かなと思います。)

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