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郵便局に完敗

いやもう。。。フランス郵便局には完敗しました。

やっとこうして落ち着いて書けるくらいになりました。

ついこの前まで、怒り狂っていたので。

もう、「郵便局(ポスト)にまつわるものは全部呪ってやる」くらいの勢いでした。

なので、郵便局の黄色(フランスの郵便局は黄色いのです)を見るたびににらみつけていました。
にらんでやる、呪ってやる、みたいな(苦笑)。

ところが、あまりその気持ちが強かったのか、黄色の物をみると反射的ににらむように。

郵便局の車は黄色と言っても山吹色に近いんだけど、そういう車が通るたびに「きっ!」とにらむ。

でも、そっくりなのに郵便局じゃない車が結構あるのね。

あれ、そういうモデルが売っているのかしら。それとも払い下げ?

あげくのはてに、通りにあるゴミ箱まで反射的ににらむようになってしまい。

(パリのリサイクルごみのゴミ箱は、ふたが黄色いのです)

さすがに「これはいかーん」と思い、「ちゃんと確認してからにらむようにしよう」と思い直し。

そう心がけているうちに、あやまったにらみは減り、正しく郵便局だけをにらむように。

そうしたら今度は、道の郵便箱まで反射的ににらむようになってしまった。

しかも最近、時節柄か郵便局の車が多く、ガール・ド・リヨンのところを歩いていたら、一台通り過ぎたとおもったら、反対側からもう一台やってきた。

地元の郵便局前には、5台くらいの車がつどっており。

にらみ疲れてしまった。はあ。

今日新聞で読んだんだけど、パリ地方では、ここ1週間くらいで10件以上、郵便局の車が武装した強盗に襲われているんだそうだ。私がよく知っている地域では、80個近い郵便物が盗まれたとある。

いまみんなクリスマスの贈り物を買っておくるから、それを狙った強盗だと思う。

「全部の車に警官を乗せるわけにはいかないし・・・」という郵便局の人の弁。

こんなのばかり相手にしているのでは、私の苦情なんて鼻○そレベルよね。。。
(汚い表現ですみません!でも本当にそういう感じなんだもの)

そう思ったら「完敗」と思ったのです。

つい昨日まで「ソ連だから仕方がない」と自分を慰めていたけど、ソ連には強盗はなかったのでは。ソ連政府なら厳しい処罰をもってのぞんだはずだから。

ソ連のほうがまだマシってことか。

というわけで、「完敗」です。

何があったかは、また詳しく書きますね。
端的に言うと
3回電話し
3回近くの郵便局に行き、うち2回は責任者と話し
1回、本局の責任者に手紙をかき(フランスは手紙が有効)、
1回、近くの郵便局の責任者に手紙を書き
1通、ネットで郵便局の苦情センターにメールを送り
2回、本局の郵便局にいき、そのうちの1回は責任者と話し
でも結局、「手違い」(爆笑)で、荷物は日本に戻ってしまいました。
本当に戻るかどうかも怪しい。
ほんと、この国バカじゃないの。
(やっぱ移民のせいなのか?でも移民にも言い分はあるでしょうね。)

ルーブル美術館通い6

今日は、コプト美術のところを見ました。

コプトというのは、エジプトのキリスト教徒のこと。
これがですねえ、すごーーーく面白かった。

イスラム美術を紹介するところのはじっこの方、展示品の背景が赤いところなんだけど。
いやいや、「ローマ時代? ビザンチン時代?」と時代があいまいな物がたくさんある。
おまけに「ビサンチン時代? イスラム時代?」とさらに時代があいまいな物も。

何が面白いかと言うと、物によるのだけど、エジプト風でもあり(鳥や生き物がよく出てくる)、ギリシャ風でもあり、キリスト教の文化でもあり、ビザンチンの東方の香りもあり、もっと時代が近づくとイスラム風でもあり。
何とも言えず混ざっているのが、面白いのよー。
コプトの美術はタペストリーが多くて、それも興味深かった。
コプトでは、ビザンチン時代にあれほど多かったモザイクはなくて、タペストリーなんだそうだ。

あと、奥のほうに部屋が続くのでびっくり!
コプト美術が紹介された赤が基調の小さい一画だけかと思ったら、とんでもない!
アリの穴と、地中の奥に展開されている巣みたいなの。
左のほうには、神殿が再現された部屋があり。
奥のほうには、ずーーーーっと、ローマ時代のエジプトや中近東の美術がつながり。
区分けがしにくいような美術品の部屋をすぎてずーーっと行き(ここは次回見る)、途中の階段を下りて出口方面にぬけると、別の階の「ローマ時代のエジプト」のコーナーに行き着く。迷路みたいで、楽しいよ。

もうここが・・・すばらしい。
ここには、エジプト王朝が滅びて、ローマに支配されている時代のエジプト美術が展示されているのだけど。
・・・もう感動した。

歴史の勉強では、エジプト文明について勉強し、クレオパトラとシーザー(カエサル)の恋愛を最後にエジプトは滅び、そのあとはローマ時代の歴史を勉強する。
でも、大文明が滅んだあとも、エジプトは存在し続ける。
そんなこと、まったく考えたことなかった。
ローマ支配化のエジプトでは、ミイラを入れたお棺に、彫刻をほどこすようになった。
亡くなった人の頭部の彫刻だ。
たぶん木製だと思う。
みなさんご存知のように、エジプトの美術というのは様式美である。
どれを見ても似ている。各自の違う個性というものは表現されていない。
一時、写実的で、自然な時代があった。アマルナ美術といい、ルーブルの中にも左にまがった階段の前の所の部屋に少しある。でもこれは例外中の例外。ほぼ全部のエジプト美術は、形式にのっとった表現だ。

真逆で、ローマ時代の彫刻と言うのは、写実的でそっくりにつくるのが真髄。
お墓は知らないけど、生きている人そっくりの頭部の彫刻をつくることはよくあったようだ。
その人が亡くなると、「ほんと、そっくり・・・」と言いながら眺めていたとか。
今の写真の代わりでしょうね。木製じゃなくて石製だけど。お墓はどうだか知らない。

ローマ美術の影響を受けて、ミイラが入る棺につける亡き人の頭部の彫刻も、写実的になった。
ひげがあった人はひげをはやしている。肌の色が黒い人は黒い。
(木製だから色をつけてカラーです。エジプト王朝時代の棺も色と柄がついていますよね)
ところがである。
彫刻に描かれた亡き人の顔は、にこっと笑っているのだ。
びっくりである。
ギリシャローマの彫刻は、一種の理想美で、にっこり笑っているものなど見たことがない。
みんなまじめな表情だ。
でも、古代エジプト人が「写実」を手に入れたら、にっこり笑うようになったんですよ!!!
しかも、死者なのに!
もう感動した。心から揺さぶられるような感動。
私は今まできっとこう思っていたのだ。
「古代エジプト人は、ミイラをつくって来世を願った。
死ぬのは苦しくて辛いことだ。
どんな最高権力をもったファラオでも、死には逆らえない。
みんな死んでしまう。
だからこそ、来世を願ってミイラをつくったのだ」
ーーと。
でも違うんじゃないか。
エジプト人にとって、「生」は、とても楽しく嬉しい、喜びだったのではないか。
この世に生を受けて、辛いこともあったけど、生まれてよかった、生きることは楽しかった。
だからもう一度、この世に生まれ変わりたい。
だからミイラをつくって、来世を願う。

1800年近く前につくられたミイラの棺。
そこに作られた死者の顔は、私たちに笑いかけている。
まるで「生まれてきてよかったよ。あなたも人生を享受して」と言っているみたい。
「死んじゃったけどね。また生まれ変わるよ。まためぐり会って一緒に人生を楽しもう!」と。

ルーブル美術館に何度も通って、すごいと思ったり、感動したり、感心したりすることは何度もあった。
でも、こんなに心が揺さぶられるほど感動したのは、初めてだ。

見る人はすごく少ないコーナーで、来た人もさらっと素通りしてしまう人が多いけど、ぜひ見てほしいです。

郵便局とのバトルは続く

もう書く気力もない。
郵便局に3度電話し(結構高い有料の番号)
3度行った。
そのうち2度は責任者と話した。
それでも着かない。
もうほんと、腐っている、この国。

フランス人の友達二人に訴えた。
「わかるよー」と一緒に悪口を言ってくれると思ったのに。
何を思ったか、ムキになって反論しはじめた。
やっぱり、外国人に指摘されると、フランス人としてはかばいたくなるのだろうか。
かばうというか、いかに難しい社会問題が横たわっているかの解説だったけど。

一言で要約すると「働かないのも、郵便物を盗むのも、悪い条件で働かざるを得ない貧しい人がいるからだ」「彼らか見れば、こんなに貧しいのだから盗んで当然と思っているんだ」ということだ。

私は言った。「郵便局員は公務員でしょ」と。

そしたら「公務員だからいいというわけではない。期限付きの雇用だったりするんだ」と。

それは知っている。公務員は一種の失業対策みたいなところがあり、半年とか1年のみ雇用の人が結構いるのだ。それでも一定期間働けば、その後失業保険がもらえる。失業保険は、働いた年数に応じるところがある。5年間失業者で、5年間失業保険をもらえるわけじゃない。だから国が短期間でも雇用すれば、彼らの救済になるのだ。

だからといって、まじめに働かなくていいことになるのか。呼び鈴を押すのがそんなに難しいことか。モラルの問題でしょ。そしたら「モラルは人によって違う」と反論された。

「殺してはいけない、盗んではいけない、は最低限の人間のモラルでしょ」と言った。

(自分で言いながら、聖書を思い出した。よく考えたら、こんな当たり前のことを、わざわざ書いて教えて伝えないといけなかったわけだ・・・。つまり欧州や地中海地方は、4000年近く前からこうだったということか)

「そのモラルも国や宗教、民族によって違う」と反論された。

なんで話がそこまで大きくなるのか。

疲れて黙ってしまった。

そしたら慰めるように「いや、君の言うことはわかるんだよ。プロフェッショナリズムの欠如は大きな問題だ」と二人そろって言う。

配達員が呼び鈴をおすだけでしょ。それが「プロフェッショナリズム」か・・・。

腐っている。完全に腐っている。

で、私が「そういうことになるのは、移民が多いからということになるよね。だから極右フロントナショナルがこれほど人気を集めるんだね」と言ったら、「彼らはニュル(アホ)だから・・・」みたいなことを言っていた。

なんでこういう発言になるかというと、パリの配達員って肌の色が違う人が多いからだ。フランスよりももっと暑い地域からやってきて、よく言えばのんびりしておおらか、悪く言えば怠け者の人が多い。でも彼らが「やってきた」人かどうかはわからない。2世、3世で、フランス生まれのフランス育ちかもしれない。彼らに言わせれば「まじめに働いたって、どうせこの社会で上に行くことはできないんだ」ということか。(それでも、フランスは大臣にも肌の色が違う人がいるし、かなり頑張っているということは、付け加えておきたい。)

まあ、、、パリの人は左よね。前にいたニースではむしろ右だったけど。なぜかはわかる。
もっとも、この巨大なパリで、他人への無関心が蔓延する大都会で、私みたいな外国人と利害のない友達として接してくれるのは、異文化に理解や関心がある人、日本が好きな人くらいよね。そういう人は当然、左。

あ、でも待てよ。もちろんニースだってそういう人が友達になってくれた。でも彼らはむしろ右であることが多かったかな。右左は、土地の雰囲気で決まることで、外国人とどうというのは関係ないのかな。

そんなことない。もし私が日本人じゃなかったら、右が強い土地では、私と友達になってくれる人はかなり限られてしまうだろう・・・。

それはともかく、郵便局、どうにかしてよ。

「まるでソ連だね」といったら、真顔で「そうだよ」と言われてしまった・・・。
(ソ連をよく知っているわけじゃないんだけど、イメージで)

これからフランスに行くみなさん、「フランスに行く」などと思わず、「ソ連に行く」と思うことをお勧めします。

あ、それと「民営化しろ」といったら、これも「民営化は解決にならない」と言われた。「もっと値段が高くなってしまう」と。「イギリスだって、サービスは何倍もいいのに更なる民営化をするよ」と言ったけどね・・・。話していて感じたのは、この人たちは「民営化」という概念がよくわかっていないということだ。中国にいる中国人に「民主主義」を話すようなものだ。やっぱりソ連かも。。。

フランス郵便局、民営化しろ~っ!

もうさ。。。
私は家にいたのよ。なのになぜ、郵便局の不在者通知が入っているの。
これでここ数ヶ月で三度目よ。
心の底から嫌になる。

そうすると、歩いて20分くらいの本局にとりにいかないといけない。
しかも小包。
私は今、病気が治りかけて、小包を運ぶのが難しい状態なのよ。
取りに行けっていうの?
本当に頭にくる。
いいかげんにしろ。

しかも、送ってくれた人は誰だか知ってる。
今回は私の家族。
うちの郵便受けは大きめで、ちょっとくらいの小包なら入ってしまう。
実際、前は入っていたことがある。
寸法をはかって知らせてあるから、今回も前と同じ大きさにしたと家族は言っていた。
ということは、郵便受けに入るはずでしょ。
マンションなんだから、下の呼び鈴鳴らせばいいでしょ。
何もしないで、ただ自動的に不在者通知を入れているだけなのよ。

しかも、問い合わせ番号に電話しても、適当なこと言われて3回もかけなおして、あげくのはてに「ダメ」と言われる。しかもこの電話、特別料金で結構高いのよ。
いいかげんにしろ。

だから、近くの郵便局に行って「再配達しろ」と文句を言った。
(高価な書留じゃないと再配達は存在しない。それすら、数年前まではなかった)
しかも受付したのが、見習いのくせに、妙に態度が大きくて「できません」とか繰り返しぬかしやがった。
これでまだとまどっていれば可愛げがあるものを。
最後に頭来て「シェフ(上司)を出せ」
「いません」
「いなくても出せ」
と問答になり、シェフじゃないけど彼女よりはベテランぽい人が対応。
「問い合わせ番号に電話しろ」といわれ、心から頭に来て「もう3度も電話した」と言った。
そうしたら「この局に配送はできる。ただし、来週になる」(おい! 1週間も先だぞ!)
もう疲れたので、仕方ないので承知した。
この国の礼儀として、この人が悪いわけじゃないので、「ありがとう」と言ったけど無視された。
普通大人なら、「どういたしまして」というものなのよ。

私は大変ムカムカした。
この人が悪いわけじゃないのに、この人に文句を言う理不尽はわかっている。
働かない人の尻拭いを真面目に働く人がとらされる、この理不尽さ。
だから、無視されると、まるで自分が悪い事をしたかのような気持ちになってしまう。
これってすごく日本人的。
でもそう思うと、ますますムカムカしてきた。
私は被害者なのに、なぜこんな思いをしないといけないの。

その日の夜、たまたまテレビ番組を見ていた。
アメリカ人の元外交官が出ていて、オバマのシラク政策を批判していた。
「本気でやる気がないのに、やるぞと脅すのは、もっとも悪いやり方。外交の基本」と。
あああ~、これって私だわ。
「自分は正しいのだから、何があっても相手に非を認めさせて、自分の要求をとおす」という強い意志がないといけないのだ。
「ああ、いいにくい。でもあまりに頭にきたから、怒りに任せてやっと言えた」
というのは、日本人にはありがちで、わかってくれるだろうけど、結局ただのバカなのよ。

私ってば、何年フランスに住んでいるのかしら。
どこまでも日本人だわ。
いやになっちゃう・・・。
ていうか、この国の郵便局、腐っている。
イギリスじゃ、完全民営化するんだって。
イギリスの郵便局なんて、フランスの100倍良いのに。
それでも民営化するんだよ。
フランスも民営化しろ!
(社会党政権じゃ無理だな。)

そして今日、ある役所にアポがあったので行ったら、工事中でしまってた。
住所は書いてあったけど、電話番号も地図もない。
どうやってわかれというのよ。
調べたら、歩いて30分くらいかかるところらしい。
なので「明日電話しよう」と思って帰ってきた。
バカじゃないのか。心からアホだと思う。
もうだめだ、この国、腐ってる!

ルーブル美術館通い 5

今回はどこを見ようかな~、そうだ、コプト美術のところを見よう、と思ったら、左に曲がるところを、なぜか右に曲がってしまった。

そこは主に、イタリアの11世紀~15世紀の彫刻の部屋。でも入り口には、一部、東ローマ時代の彫刻もある。ちょっとだけだけどね。

当たり前だけど、ほとんどがキリスト教に関する像。聖母子が多いかな。

ルーブルの地図だと部屋番号もついていない、脇の部屋があった。

入ってみると、天使と聖母子の彫刻がほとんど。なんだかつるつる光っていたり、汚れていたりした。

でもなんだか親しみやすい雰囲気がある部屋でした。

その時ふっと、「子どもって、昔は死んじゃったんだよな~」と思った。

私は天使というのがよくわからない。

確かにとってもかわいいのもいる。ノートの表紙にしたくなるような、にこっとかわいい天使ちゃん。

でもぶくぶく太った、それほどかわいくもない天使が、よくキリスト教の絵の脇のほうを飛んでいる。

こにくづらしい顔をしたのもいる。

あれはなんだろう。うーん、かわいくない、と思っていた。

でも、この部屋に入ったら、ふとそんな事を思った。

昔は、王様の子どもでも、8人生まれて成人したのは3人とか、長生きしたのはそのうち一人とか、そんな感じ。

昔は「人は順番に死ぬ」ものじゃなかったし、「いつ自分が死ぬかわからない」という感覚で日々を生きていたのだと思う。

子どもが先に死ぬのって、辛いでしょうね。

私の祖母は、生まれてすぐに死んじゃった子どもがいた。

「ぎゅーっと、手の中に入れた私の指を握って・・・」と思い出を話していた。

だから、天使の絵は、死んじゃった子どもの代わりをしていたのかもしれない。

かわいくないくらいの顔のほうが、感情移入しやすかったのかな。

ぶくぶく太っているのは、栄養失調や、病気で苦しんで体力を使い果たしたはてに死んじゃった子どもが多かったでしょうから、せめて天に召されたらたくさん食べて太ってね・・・という願いだったのかもしれない。

ところで、後で気づいたら、この部屋はルーブルで唯一「作品にさわってほしい部屋」でした。盲目の人のためなのです。どうりで点字の説明があると思った。だから、状態が何だか普通と違ったのか。

ローマ時代の銅像(天使とがちょう)もあって、触らせてくれる。太っぱら!

盲目じゃないけど、触りました。

なめらかな感じが人がつくったという感じ。でもあの銅像のひんやり冷たさは、西洋っぽいな。日本だと木だものね。

でも、触ってよい部屋という説明書きがフランス語しかなくて、しかも脇だったから、後から人が入ってきて、「この人が説明に気づかないで/フランス語がわからなくて、あら!この人ったら係員がいないと思って触っている! と思われたらどうしよう・・・」と気になってしまった。小心。。。

こういう施設は、日本だと横浜美術館にあったかな。結構あちこちにあるらしい。

ルーブルの半地階にあります。「触れて感じる彫刻ギャラリー」と書いてあるところです。

時間があったら寄ってみてください。

ルーブル美術館通い 4

昨日もルーブル美術館に行った。
この日は初めてリシュリュー通路から入った。

でも、仕事の興奮がなかなか冷めなくて、ゆっくり鑑賞する気分にならなかった。
イスラム美術の続きを見ていたけど、身が入らない。
しかも、あそこのコーナーはたくさんビデオがあって、音がうるさい。
ものすごい耳障り。鑑賞するのにじゃま。
私が見た範囲では、こんなコーナー、他にない。

でも、もしかしたら、わざとかも。
イスラム世界の人たちって、本当ににぎやかだものね。日本人から見ると「うるさい!」と思うほど。
気候のなせるわざかと思うんだけど。
だから、イスラムの人があのコーナーを見に来ると「静か過ぎて、寂しい」と思うのかもしれない。
誰に聞けばいいのかしら。見回りの人に聞いてみようかな。でも知らないかもしれない。

なので、カフェに行きました。ドゥノン館の2階の奥に一つあるの。一度座ってみたかった。
モナリザとか、ナポレオンの戴冠の絵がある階の奥です。
最初は外を見られる位置に座ったんだけど、逆側に座ったほうがよいと気づいた。
モリアンの天上画がすばらしい。その向こうには、絵画がかかっている部屋が見える。
とってもぜいたくな気分。
階段をおりていく、世界中からやってきた人々を見るのも楽しい。
カフェ(エスプレッソ)は2、9ユーロ。
たったこれだけで、こんなすばらしい気分を味わえるなんて。
(ただ、ちょっと寒かったわ。)

前に読んだガイドには、ルーブルの中にはちゃんとしたレストランが一つあったはずなんだけど。
もうないとのこと。残念。

帰り、特別展をみかけた。ジャン・クーザン(父と息子)の展覧会をやっていました。
あの有名な、《エヴァ・プリマ・パンドラ》 をじっくり見ることができました。
(名前を知らなくても、絵をみたら「ああ、知っている」と思う方が多いと思います)。
興味のある方は、ルーブル内で2014年1月13日までやっています。ルーブルの入場券だけで大丈夫です。

17時過ぎにルーブルを出たら、ちょうど日がおちて、照明がはじまったときだった。
天気が良い日の日暮れのルーブルは見たことがあったけど、天気が悪くて雨もぱらつく日暮れのルーブルは見たことがなかった。どんよりした中に、少しずつ暗くなって、照明がどんどん映えていく様子・・・・・本当に美しかった。

夜のルーブルも美しいけど、刻々と表情がかわっていく様子はとりわけすばらしい。

雨が降っていて天気が悪かったけど、思い切って行ってよかったです。


追伸 サモトラのニケが消えていて、一帯が工事中になっていた。ニケはいったいどこへ?

人質解放と乾燥らくだ

フランス人はあちこちの国で人質になっている。つまり、あちこちで現地の人に恨まれているという意味なのだが。

今回、アフリカのニジェールで、3年ぶりに人質4人が解放された。

みんなアレヴァ関係で働いていた。

ニジェールっていうのは元フランスの植民地で、ウランが産出するところ。

アレヴァの説明は必要ないですよね。福島で事故がおきたとき、サルコジ大統領と、アレヴァの女社長が二人でやってきたことは結構有名ですから。(あの女性はもう社長じゃありません)

まだ7人が人質として残っていて、その一人の娘は「アレヴァは大企業だから、彼らがまず解放されたのよ」と悲しそうで失望をあらわにした様子で記者会見で言っていた。生放送のテレビニュースでは、局に防衛大臣を招いていて、キャスターが大臣に「彼女は他の人は見捨てられたって言ってますけど」と言ったら、大臣は「気持ちはわかる。でもそんなことはない」とうろたえていた。

でもね、アレヴァ関係者だから助けたに決まっている。要するに、ヨーロッパの原発っていうのは、旧植民地のウラン鉱をあてにしているわけよ。アフリカの国は独立はしているけど、きっと現地の政権そのものが、フランスとの関係が「とてもとても深い」のだと思う。
ウラン鉱で働いているアフリカ人労働者の話は耳にすることがある。恨まれて当然というような話ですが。

そういう欧米の国々の尻馬にのって、「原発の電気は安い」と口マネしていた日本は、本当にアホだと思う。ドイツがさっさと脱原発をしたのは、日本と似ていて、旧植民地から安くもってくるウラン原料がないのも理由の一つだと思う。

ところで、今回はそれを書きたかったのではない。

この人質たちは、劣悪で惨めな環境にいた、とレポーターはいうのだが、食べ物は「パスタと乾燥らくだと紅茶」と言っていたのだ。

乾燥らくだ?!

アフリカでは、乾燥らくだを食べるのか?

考えてみたら自然なことよね。

わざわざ乾燥させなくても、ほっといたら乾燥するでしょうし。

暑くて乾燥しているから、変な菌はつかなさそうだし。

ほっておくだけで、あっというまに保存食のできあがり・・・・・・なのか?

それと、フランス語では、「ひとこぶらくだ」と「ふたこぶらくだ」では、単語が違う。英語だとキャメルしかない(たばこの名前です)。日本語も「らくだ」しかないから、英語と同じね。

ひとこぶぶらくだは dromadaire
ふたこぶらくだは chameau
ふたこぶらくだのメスは chamelle
ふたこぶらくだの子どもは chamelon

こういう風に「一つの単語」で表現できるのは、それだけ縁が昔からあるということよね。アラビア語でもきっと一語で、しかももっともっと豊富に単語があるんだろうなあ。「らくだ辞書」(らくだに関する語を集めた辞書)とかあったりして。

ちなみに、乾燥らくだは、ふたこぶらくだのほうでした。

それと、アラブ系の人が飲む紅茶って、中国のものよね。ルービックキューブみたいに真四角の、濃いモスグリーンの箱に入っているの。これが広く愛飲されているみたい。フランスでもたまに売っているのをみかける。アラブ系の人が買うのだと思う。なんでアフリカで紅茶か、ていうのも、歴史が関係ありそうね。イギリスがもたらしたのかな? 後で調べてみよっと。

乾燥らくだって美味しいのかな? 前にアフリカ料理の店で、だちょうとかは食べたことあるけど。

でもちょっとかわいそうな気もする。

砂漠で水も飲まずに散々歩かされたあげく、最期は食料になるなんて。
遊牧民の馬も似たようなものらしいが・・・。

やっぱりアラーの神様に感謝するしかない?
(キリスト教の起源、というのを2本書きましたが、それにも通じるかも)

らくだは、モロッコ旅行をしたとき、一度乗ったことがありますよ~。砂漠のほうに行くタイプのツアーじゃなくて、都市周遊のツアーでした。マラケシュが一番よかった。イマイチだったのはカサブランカでした。



がんばれ、モードおばさん!

フランス、特にパリには「モードおばさん」という種族がいる。

この種族は、東京やロンドンには生息しない。他の欧州都市でも、あまり見たことがない気がする。

「モードおばさん」という名前は、元ファッションエディターをつとめたことのある、不肖わたくしめが命名しました。

それではモードおばさんとは何か。

・年齢はたぶん30代後半以上。40代、50代、60代、上限なし。(でも西洋人はふけて見えるから、30代前半でもいるかもしれない。)

・若者の間にはやっている流行の格好に身をつつんでいる。今ならミニスカートなど。

・高い服に見えない。

・派手めなことが多い。

・年の功だろうか、若者よりも「私はこれが好きなの!」というアイテムが含まれている。

・体型は人によるが、努力しているふうには見えない体型の女性も多い。お腹が出ているとか。でもものともしない。

・センスは私から見ると、悪いとはいわないが、今ひとつな感じ。あるいは、コーディネートは悪くないのに、体型のせいで良く見えないケースもある。

・堂々としている。

・上述のように、欠点もあるものの、全体的に流行のモードな雰囲気はする。

以上が特徴です。
こういう人、東京にはほんとにいないです。ロンドンにもいないな。ロンドンは保守的だから。

日本だと「いい年して、恥ずかしい。みっともない」と100パーセント悪口を言われるファッションです(大阪は例外かもしれませんが)。
また、「流行の格好でも高い服ならともかく、安い服でみっともない」とあざわらう人もいるでしょう。

でもね、私はモードおばさんを応援したいのです。

そりゃね、年取って、マダムの素敵なブランドで毎シーズン服が買えるなら結構ですよ。例えばシャネル。私は断言しますが、シャネルは年取ってきたマダムが若々しく美しく見えるための服で、若い人には似合いません。それにシャネルの服って、一部をのぞいてわりと落ち着いていますね。シャネルで毎回買い物ができるなら、そりゃあ人生の理想ですよ。そんなこと、できるわけないでしょう。

私の今の理想は、「決して派手ではないが、センスと個性がきらりと光るきこなし」なんですが、もう本当に難しいです・・・。新しいのを見ると買いたくなっちゃう。でもそうやって、新しいのに目がうつって買っているようだと、自分のセンスは磨かれないのです。

でも、普通の人は、新しく服が出ると買いたくなるものだと思いますよ。若いときは、安いブランドで流行の新しいものがいっぱいあった。ただ着ているだけで似合った。いま、若くないからといって、値段をあげて高いものを買わないといけない、流行の服を着ちゃいけないというのですか。

確かにね、われながら若い安いブランドは服によっては似合わなくなってきたと思います。みんなそう思うから、30後半になると「何を着ていいのかわからない」と言い出して、もうそれは女性の合言葉みたいになっています。

着物の時代はよかったな~と思いますよ。帯と着物はいつものものでも、八掛とか帯締めとか半襟をとりかえて楽しめた。「年とったら着物をきたい」という人は多いのに、着る習慣がないから、いっこうに着物人口は増えない。伝統から断絶しちゃうと、本当に困るね。「年とったら」という意識がとりわけ強いのは日本文化の伝統のせい。それ自体は悪いわけじゃなかった。年に応じて楽しめる「着物」という存在があったから。でも日本の美意識に見合った伝統の服はすたれちゃった。

この悩みを「何をぐだぐだいっているの!」と一喝してくれる、破壊力があるのがフランス(パリ)の「モードおばさん」の存在です。

いやもう、実にフランスらしいと思うんですよね。洋服の本場らしいというか、個人主義というか。

日本ではいまだに「パリのマダムに学ぶおしゃれ」とかが雑誌にはびこっています。またかよ・・・と思います。確かに「なかなかステキだな~」というちょっとおしゃれなマダムはかなりいますよ。でも、雑誌でイメージあおっているみたいな麗しいマダムは探さないとみつけられない(ていうか、パリのマダムって迫力があって恐いんですけど。あるいはジェーン・バーキンみたいに気さく系かどっちか)。ちまたにあふれているわけじゃないです。それに、同じくらい保守的なファッションの女性もいますよ。そういうのには、日本の雑誌は目もくれない。一番多いのは、地味な普通の女性です。それでもなんとなくモードっぽいのがフランスらしいのですが。(ロンドンとは違う)。そして、日本人のメディアはみなさん、モードおばさんの存在は無視している。こんなにあちこちにいるのに。

私は声を大にして言いたい。「モードおばさんこそ、パリジェンヌだ!」と。

がんばれ、モードおばさん!

一例ですがこんな感じ。隠れてとってごめんね。
modeoba.jpg

ルーブル美術館通い3

今日は、リシュリュー館の日本式1階、ピュジェの中庭とマルリーの中庭にいった。

お天気も悪くなかったし、細かいものを見る気になれなくて。ここの二つは、元々野外に飾られていた大きい彫刻が多く、空間を楽しめるので、ここにした。

ピエール・ピュジェはマルセイユ生まれで、イタリアでバロックを学んだ、17世紀の彫刻家。画家でも建築家でもあるんだけど。父親が2歳のときに死んで、家庭はとてもつつましかったらしい。「フランスのミケランジェロ」と呼ばれている。

「アレクサンダー大王とディオゲネス」という彫刻というかレリーフがすごく有名で、ルーブルにある。

ディオゲネスは哲学家。大王に「私はディオゲネス、犬です」と答えたということだ。

「犬」とは、反骨精神をあらわす比喩で、大王に「なんでも望みのものを一つかなえてやる」と言われて、「そこにいると日光のじゃまだからどいてください」と答えたらしい。

ちょっと思ったけど、西洋というのは、キリスト教美術以外だと、ギリシャ・ローマになってしまうのね。近代になるまで他になかったというか、唯一それなら社会的に許容されたというか。近代になってくると、身近なものを描くことができるようになる。さらに時が進むと、抽象画が生まれる。
前にポンピドゥー美術館で座っていたら、男性が話しかけてきた。チェコ人の美術の先生だって。日本美術好きで日本びいきだから話しかけてくれたみたい。なんでも抽象画は、当時芸術のパトロンになっていた人が、アメリカの大金持ちのユダヤ人が多かったから、抽象画になったと言っていた。ユダヤ教は偶像崇拝をしない宗教だから、抽象画を好んだらしい。なるほどね~と思いました。でもその人は、「豊かな芸術を抽象画で壊された」みたいな意見をいっていて、あまりユダヤ人が好きじゃない雰囲気だった。

話は戻ってピュジェだけど、時の権力者ルイ14世の好みに合わなくて不遇だったというけど、ちゃんと国の保護をうけて作品をつくっている。一生不遇だったゴッホとは違うみたい。

大理石の彫刻を見ると「西洋」という感じがする。
日本で大理石の彫刻家になろうという人は、いないわけじゃないだろうけど、少ないでしょうね。
木彫りの像なら、アマチュアを含めてたくさんいると思うのだけど。

ピュジェは「じっとみつめていると大理石がざわついてくる」と言ったらしい。
同じことは木彫りの彫刻家も言っている(ガラスの仮面参照)
中から「出して」と素材が訴えてくると。
同じ感覚のように聞こえる。

彫刻家のエスプリは、洋の東西をとわないのかも。

追伸
ルーブルの無料案内地図に「すりにご用心ください」のタグがつくようになった。フランス語と英語でなんて書いてあるか知りたかったので、見たけど、このタグはなかった。「できたばっかりで、まだついていない物のストックがたくさんあるのかな」と思ったけど、違うみたい。ロシア語とか他の言語にもなかった。韓国語と中国語にはあった。案内の人に聞いてみたら「一番すりに狙われやすい人たちの所だけつけた」という。「アジア人は狙われやすいということですか」と聞いたら、にっこり笑った。行く方は気をつけてくださいね。

ウラジーミル・ヴィソツキー

ウラディミル・ヴィソツキーって知っていますか。

あまり有名じゃないですよね。

ロシア、じゃなくてソ連の反体制的な歌手です。

もう一つの私のブログに、最近ロシアのことを書くことが多いもので、思い出してしまった。そしてアマゾンでCDを買った。日本でもっていた「大地の歌」というタイトルのCDと同じ内容だった。フランスでは「逮捕された泥棒」。

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すごいんだよ、、、この人の歌。歌とギターだけなんだけど。

普段生活していると、絶対にであうことのない種類の音楽。魂を揺さぶられる音楽というのは、こういうのをいう。

彼は俳優でもあり、若い頃、ジーンズでアコースティックギターをかき鳴らしながらハムレットを演じたので、一躍有名になったと聞いている。

その後、何度もレコーディングをしたが、一枚も公式に発売されなかった。当局が彼の音楽を恐れたのだ。

それでも彼は、町や学校の集会所でコンサートを開き続けた。

人々はカセットテープで聞き、集会所で録音し、テープはダビングにダビングを重ねて人々に広まっていった。

彼は42歳で死んだ。ジョン・レノンが40歳で殺された年と同じ、1980年。モスクワオリンピックの年だ。

とても小さい死亡広告が新聞にのったそうだ。

すると、お葬式が行われた古巣のタガンカ劇場には、何十万もの人が最後のお別れに集まった。

葬儀の模様 http://www.youtube.com/watch?v=OYrDvBX77KI&feature=related

ドキュメンタリー http://www.youtube.com/watch?v=YqPGgVG-l24

あまり良いビデオが見つからなかったけど、「帆」という歌です。
http://www.youtube.com/watch?v=r90fqfHmwgY
同じ歌で本人が生で歌っているもの。3分くらいの所から歌です。1分半くらいの短い歌です。
http://www.youtube.com/watch?v=GHqD59N9ej8

今まで知らなかったんだけど、両親がロシア人のフランス人女性と結婚していたんだね。有名な女優だったらしい。それで外国でも彼の名前が知られることになったそうだ。

でも不遇の一生だったのだろう。俗なことを書くけど、いくら100万人が彼のテープを聞いても、公式に売れないと、収入が得られない。どうやって生計をたてていたのだろうか。俳優の活動は続けられていたらしいが。

でもだからこそ、彼の音楽は純粋なんだと思う。どうしても歌いたいから歌う。歌で伝えたいことがあるから歌う。たとえお金にならなくても。そして人々は自分を求めてくれる。

こういう歌手は、もう二度と現れないだろう。

「ロシアの声」(ロシアの公共ラジオ)日本語版にのっていた彼の説明。

http://japanese.ruvr.ru/2013_01_25/102461586/

以下、本文をコピーします。

【ロシアは今日、ウラジーミル・ヴィソツキーを思い出す】

タグ: 国内, 記事一覧, 社会・歴史


25.01.2013, 19:50

今日1月25日はウラジーミル・ヴィソツキーの生誕75周年の日である。祖国の文化史における重要な日が、ロシア全土で祝われている。

映画および舞台の俳優として、またシンガーソングライターとして著名なウラジーミル・ヴィソツキーは、1938年のこの日、誕生した。その短い生涯(享年42、死因は心不全)で、およそ100の詩、600の曲を作り、1000あまりのコンサートを開き、舞台で15余りの役を演じ(ハムレットを一例とする)、30本に迫る映画に出演した。

もしもロシアの文化史においてヴィソツキーの占める位置を一言で表すならば、最も適切なそれは、「民衆の良心の体現者」というものであろう。生前いかなる賞与も享けず、ソビエト政権からは敵視され、絶えずラジオやコンサートでの再生・演奏を禁じられた。しかし、にも関わらず、ヴィソツキーは真の「国民芸術家」であった。リア・ノーボスチは以上のように書いている。

没後33年が経っても、ヴィソツキーの芸術への崇拝者は後を絶たない。2010年に実施されたアンケートによれば、「20世紀のアイドル」の中でヴィソツキーはユーリイ・ガガーリン(ソビエトの宇宙飛行士、人類初の有人宇宙飛行を達成)に次いで第2位を占めている。

---引用終わり。---

ガガーリンについて二位とは。
知らなかった。
彼はペレストロイカもソ連崩壊も見ずに死んでしまった。
でもチェルノブイリを知らずにすんだのだけは幸せだったのかもしれない。
生きていたら、故郷を追われた人々、放射能の影響で死んでいく兵士や労働者たちのために、どんな歌を歌ったのだろう・・・。



追伸・ こういう無骨な男らしい反体制的なアーティストって、西側にはないね。
考えてみたら、西側で「反体制的」って、ヒッピーになっちゃうんだよね。ヒッピーまでいかなくても、髪の毛が長い男性というか。ドアーズはちょっと違ったかもしれないけど。
それに気づいたら、なんであっちこっちでチェ・ゲバラがシンボル化されているのか、わかった気がした。
もちろん、単純にカッコいいから男性はひきつけられるのはわかっているんだけど。でもチェ・ゲバラはどうしても私には「共産主義革命」というイメージがあり、どうもピンと来なかった。要するに、反体制のエスプリをもっているけどヒッピーはイヤだ、女々しい、という男性をひきつけるんだね。

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