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佐村河内事件について「日本人はウソつき」とフランス人に言われた

表題のとおりです。
佐村河内守事件は、とにかく私は興味があって、最近の日本のニュースの中では5本の指に入るほど興味津々なんです。
で、この事件を仲の良いフランス人に話しました。
そうしたら「日本人ってウソつきだ。いつもごめん、ごめん(デゾレ)と謝っているけど、ウソつき」
というので、すごーーーーくムッときて
「具体的にどういうこと?」
と聞いたら
「日本人と接していて、そう感じる」
ということでした。
頭にきたので
「それを言うならフランス人なんて搾取者じゃない。でも、私がそういう時は、ちゃんと具体例があるんだよ。アフリカでフランスがしていることとか。こういう事例があるから、そう思うとちゃんと説明できるよ。ちゃんと説明してよ」
というと
「そう感じる」
としか言いませんでした。
心底ムカつきました。

さて一夜明けて、このことを考えてみました。

もしかしたら本当にそうかも。

いつも思うのですが、「みなさんにご迷惑をおかけし、お騒がせしたことをお詫びします」と、幹部の人とか、当事者が並んで頭を下げる。カメラのフラッシュがばしゃばしゃばしゃっ!
すごく疑問。謝るのは「ご迷惑」に対してなわけ? ご迷惑とかお騒がせなんてどうでもいいんだよ。アンタが悪い事をしたから謝るんじゃないの?

私は西欧にいると、いつも「ああ私って日本人」と思うのだけど、日本に帰ると、かなり西欧化している私に気づく。日本の水に再び戻って慣れるのに、1ヶ月くらいかかる。

そのうちの一つが「なぜ謝らないのか」ということ。
「とにかくまずは謝りなさい」と家族によく言われるのよね。
西欧にいて、やたら謝る習慣が私から消えている。
でも「まず謝れ」といわれると、1ヶ月経っていない私は、反発を感じるわけ。
別に私は、自己正当化しようとか、謝るつもりはないとか、そんなことは言っていない。
でも、齟齬が生じたら、まずは自分の立場を「説明」する。全然そんなんじゃないよとか、そういうつもりじゃなかった、こういうつもりだった、とか。そういうのは西欧では「コミュニケーション能力」なのだ。
説明した結果、相手はあっさり「そうなのか。××だと思った。それならいい」と、何事もなかったかのように話は進む。向こうがまだ何か納得しなければ、「でもこうなんじゃないか」と言ってくる。私がそれに答える。
お互い納得すれば、まったく後腐れなし。すごくさっぱりしていると思う。

私はこの「さっぱり」感が、欧米文化で一番好きなところだ。ぐじぐじ根にもたない。日本文化はウエットだといわれるが、本当にそう思う。ちゃんと話して、あとはさっぱり。すっきりしていていい。
このさっぱり感は、まだ語学が上手じゃなかったときから感じていた。
語学力があがって説明能力がついてくると、ますますそう思うようになった。
まあでも日本人なので、骨が折れるところではありますけど(苦笑)

でも日本人は違う。
「まずは相手が感情を害しているのだから、何はともあれ謝れ」なのだ。
「言い訳するな」「まず謝れ」。
確かに謝られると、感情が落ち着くことは落ち着く。
でもそれでいいのだろうか。
思うに、昔昔の村社会の日本では、とりあえず謝る、謝られた側も謝るが、そのあと話し合いをしていたんじゃないかと思う。周りの人間が「まあまあ」「話せばわかるから」とか言いながら仲介に入って、話し合う。まず謝るのは感情を沈めさせて場をなごませるための方便で、一番大事なのはそのあとの「話せばわかる」話し合いだったんじゃないか。主役はこっちだったはずだ。
でも今は、その後の「話し合い」文化が欠落しちゃったんじゃないか。大事なところが無くなって、サブのほうが残った。

「こんなに私は傷ついた。だから謝れ。傷つけたあんたが悪い」というのは日本に横行しているようだ。
そういわれると、謝らないほうが悪いみたいな印象を与える。そこに、道徳や論理はない。感情だけだ。
すごく日本的。「日本人はセンチメンタル」と言われるが、本当にそうだ。

これは、日本だけの話だ。もしこんなことを西欧でいう人がいたら、当然のように「何に傷ついたのか」という質問が出るだろう。そして議論となるだろう。それが普通なのだ。こんなことをいう人から議論を引き出すのは、子どもをあやしてケンカの原因をさぐるような感じになるだろう。大人なら、ちゃんと説明するのが当たり前だからだ。

日本人というのは、もともと冷たいところがある。それは「村八分」的な冷たさだと思ってきた。五木寛之さんの「朱鷺の墓」という作品に、よくこれが表現されている。映画だかドラマにもなったので、有名な作品らしい。私は親戚の家にあった本を読んだ。五木さんは、外地で生まれて、幼少時代を外地で過ごした。だから「外からの目」をもっているのだと思う。
でもそれだけじゃないかもしれない。最近では、こういう「私はこんなに傷ついた。謝れ」というモンペのような人が横行し、日本人自身が辟易しているのではないか。だから「自己責任だ」「勝手にしろ」と、つきはなすようになっている。できるだけへんな要素がある人とは関わらないようにする。「話し合えばわかる」という村の文化は消滅し、都会化した日本では、ただただめんどくさく、突き放すだけ。どんどん冷たくなっていく。

最も大事だったはずの「話せばわかる話し合い」文化は無くなっても、「まずはともあれ謝らなければいけない」という文化だけは消えそうにない。
これが外国人から見ると、「謝っているくせに、実は反省なんてしていない。何も考えていない。ただ口先だけだ」=日本人はウソツキ と見えるのではないか。見えるというか、実際そういう人だらけになっている感じもする。

よく日本人が日本人に対する批判で「倫理観にとぼしい」「論理にとぼしい」と言われるけど、私もまったく心からそう思う。
謝ればそれでいいのか。最初に戻るけど「ご迷惑」「お騒がせ」なんてどうでもいいんだよ。「悪い事をした」と謝れ、と思う。

佐村河内守氏も記者会見を開いたら「ご迷惑をかけて、お騒がせしてすみません」と謝るのだろうか。「とりあえず謝れりゃOKだ」と思いながら。


(追伸・よく外国人は道でぶつかっても謝らないといいますが、これは違うと思います。フランスとイギリスに関していえば、ちょっと当たっただけでも、実はこちらが悪くても、「パードン」「ソーリー」という人は大勢います。これは教育やエレガンスの問題かなと思います。)

うわあ・・・佐村河内守事件 壮絶な浮世離れ

フランスともイギリスとも欧州とも関係なくてすみません。

佐村河内事件・・・すごすぎる。

ネット配信の「記者会見ノーカット」を見て

新垣隆氏が、ぼそぼそと

「1枚のCDにまとまる作品を頼まれて・・・そのあと音沙汰がなくて・・・そうしたらヒロシマというタイトルになっていて・・・」

というところを聞いたとき

「え''え''え''え''え''え''え''え''え''え''え''え''え''え''~~っっっ」

と叫んでしまいましたとさ。

あんたねえ・・・浮世離れにもほどがあるよ。倫理とか道徳とか良心ってものはないわけ?

でも、20曲もかいてたったの700万円。
作品を一生懸命かいて渡したのに音沙汰がない、でも抗議もせずにそのまま・・・って。。。

普通、自分が作品かけば、「私の作品です」といとおしく思い、主張もしたくなるものでしょう、なのに、18年間も無名で渡し続けたという壮絶な浮世離れ。「ヒロシマ」詐欺を聞いても、すぐに怒ったり対処しなかったという非常識も、「浮世離れ」のキーワードのもとに、納得してしまったりする。

ちょっと救われた感じがします。

高橋選手の曲は、良い曲じゃないですか。この曲のフルバージョンを買ってくれと頼まれたら、値段によっては買ってもいいですよ。それくら聞きやすくて良い曲です(独創性はあまりないけど・・・)

ヒロシマも、第一楽章はよいと思いました。感動する人がいても当然です。ただそれ以上聞くと、退屈に感じて、気がつくと他のことをしだしている。単調なのかな。もっとも私は、ワーグナーでも途中で寝るけどね(笑)。

ピアノのほうは、ヴァイオリンのほうに比べていまいちかな。前半が映画とかゲーム音楽みたいというか。ちょっと軽いかな。後半のほうがいいかも。

でもねえ・・・こんな詐欺があったから、私も今聞いているわけで。こんな機会でもなかったら聞かなかったでしょう。

才能はある人なんだと思います。天才じゃないけど。本人に営業力とかコミュニケーション能力があれば、映画音楽とかゲーム音楽とか、つつましく食べていける程度の収入は得られる人なんじゃないでしょうか。でもあの浮世離れでは、無理でしょう・・・。そういう意味では、佐村河内氏を頼っていたというのは本当なんでしょうね。

頼っていたといっても、18年で700万では、たまに臨時収入が入る程度の感覚でしょう。お金というよりは、むしろ場を与えられたことに頼っていたのかも。場を与えられないと意欲もわかないというのは、すごーーーーくわかります。
私も自由業で、営業活動はすごく消耗するし、不安定だし。誰かから依頼があると、それだけで嬉しいもの。自分の作品を良いと言ってくれる人がいるんだな、自分は価値があるんだなって。だから新垣氏のきもちはすごーーーくよくわかるのよ。
でも、私は、自分の作品があんなふうに他人の名前で出るなんて、絶対にがまんできないわ。曲と文章という違いは大きいのでしょうけど。
芸術活動のほとんどは、本人や支援者の情熱や意欲にのみ支えられていて、金銭的な後ろ盾などないことがほとんど。

でも、新垣氏が浮世離れした人ってわかっただけでよかった。

美しい曲には永遠にケチがついてしまいましたが、曲をかいた人はまじめな人で、まじめにつくったんだというだけでも、音楽は救われたと思います。

そういえば、ヴェネチアの有名な作曲家の隠れた作品を掘り出したとかいう、あの美しい曲。名前忘れました。聞けば誰もが聞いたことがあるというような、美しいあの曲。あれも別人で現代の人間がつくったという説があるよな~。

なぜかアングレーム漫画祭のことを思い出してしまいました。
あれって・・・韓国政府がお金だして作らせたのだろうか。
主催者の人は「韓国政府から依頼されて出展を決めた。でも作品は自由につくられたものだ」と言っているけど。
著作権上の問題はないので、今回のとは話が違うのだけど、「何がアートか」「アートの倫理」という問いという意味では共通点があると思いました。

それと、いくつかの「反響」を見て、芸能界がいかに腐っているか、よくわかった。
「ゴーストライターと良好な関係を保てないのが悪い」とか、「墓場までもっていくべき」とかさ。
そりゃ、私だってすべてのゴーストが悪いとは思いませんよ。
友達でゴーストライターしている人がいます。でも、相手は有名な実力者で、ただ文字で書くということではプロではない人なのです。友達は優秀で、的確な質問をばんばんします。そうすると、相手は良い答えをします。「さすがだな」と思わせる答えだったり、「これはあの作品がうまれたエピソードとして、ファンは知ったら喜ぶだろう」という話をしてくれるわけです。これを文章にまとめます。本には、彼の名前は出ていません。でもこのゴーストだったら有りですよね?
でも、程度というものがあるでしょう。
芸能人の発言を聞いて、いかに彼らが自分の実力じゃなくて、周りに助けられて名前をはっているか、よくわかりました。それなのに、感謝の念もなく、「墓場までもってけ?」。うぬぼれるにもほどがあります。きっと「飼い犬に手をかまれた」くらいにしか思っていないのでしょう。聞くだけで不愉快です。レベルの低い、クズ芸NO人とはっきり言わさせていただきます。動画サイトに音声がありますから、興味のある方は聞いてください。

あと、私は音楽の世界は知りませんが、文字の世界で言うと、いろいろな人がいます。

・アイデアも文章力も知識あるのに、営業力がまったくない人。一人でしこしこ書いているだけ。これが一番気の毒。
・アイデアも文章力も知識あるのに、書くという意欲がない人。自分の文章なんてものにならないと思っている。(でも書きたいという意欲がないなら、才能がないという言い方はできる)。
・文章力も知識もあるのに、アイデアがない人。(+営業力がある人とない人がいる) 無難な社員記者向き。
・アイデアも知識もあるのに、文章力があまりない人。(+営業力がある人とない人がいる) 黒子に徹する産婆役に喜びを感じられるなら編集者向き。
・アイデアも文章力もあるのに、知識の裏づけがない人。(+営業力がある人とない人がいる) 知識がないというのは、知識への欲求が少ないという意味になります。広告代理店向きかもしれません。文章力があれば、良い企画書は書けますから。チームワークでよい仕事ができる可能性あり。また、情報系なら執筆者にもなれるかも。(情報と知識は違うという意味です)。

それ以外の方は、「才能がない」ので、論外とします。

アイデアがない人の場合、人から言われるとアイデアが膨らむ人と、人から言われてもダメな人がいます。
音楽はよくわかりませんが、新垣さんという方は、人から言われるとアイデアが膨らむタイプだったのかもしれません。営業力はゼロに見えます。20曲以上も書いて、たったの700万円か~。18万枚売れたんだって? 音楽の印税ってよくしらないんだけど、あのヒロシマのCDだけで3000万円以上収入が入ったはずと聞いたけど。

今みると、あちこちの「交響曲ヒロシマ」の賛辞がすべてむなしい。人間って、言葉にこれほど左右されるんだね・・・。気をつけよう。

それはそうと、ヤフーの「ノーカット会見放送」って、全然ノーカットじゃないじゃない。
カットだらけ。
あちこち虚構だらけだな~(苦笑)

アングレーム国際漫画祭。フランスのメディアの反応 その1

なんだか「アングレーム国際漫画祭」の話題と質問が多くなりました。

「フランスでは話題になっているのか」と聞かれます。

お答えしますと、あまりなっていません。

以下に、2月1日に、グーグル・フランスの「ニュース」カテゴリーで「アングレーム(国際漫画祭)」のキーワードで出てきたものを、簡単に紹介します。
全部じゃないですが、私が「メディアらしいもの」と感じたものを紹介します。

イスラエルのスポンサーともめている話のほうが多いし、がぜん関心が高いですね。

●ル・モンド紙
(現在、これがル・モンドのネット版で、「シェア数」で3位ですね)

タイトル「アングレーム国際漫画祭におけるソーダストリームの支援が問題になっている」

ソーダストリームというのは、ガス入りの水で、イスラエルの会社だそうです。公式スポンサーに付きました。そうしたら、漫画家が共同で抗議の公開書簡を発表した。アメリカ人漫画家、 Joe Sacco, フランス人、Siné,  チュニジア人、Willis From Tunis, イスラエル人Amitai Sandyなどの署名からなるもの。内容は、この恥ずべき会社とのスポンサー契約に怒りと失望を覚えるから、すぐにスポンサー契約をうちきれ、というもの。日本でも出てくる、漫画祭代表のFranck Bondouxは、「この会社が何において恥ずべきものか、全然わからない」と反論しているようです。
何が問題なのだろう・・・と思ってル・モンドの記事を読みましたが、予備知識のない私には、難しくてよくわかりませんでした。ただわかったのは、この会社は、「イスラエルの占領によって脅かされているパレスチナの支援者たちに非難されている会社」だそうです。何か会社がヘンなことをしたのかと思いましたが、問題になっているのは、この会社の位置のようです。イスラエルとパレスチナの間で問題になっている工業地帯にある会社だからみたいです。
ボイコットや制裁を唱える国際的なキャンペーンがあって、同社は2月3日からはアメリカのスーパーボールのスポットCMもやっているけど、既にこの会社と契約を結んでいるアメリカ人女優スカーレット・ヨハンセンをめぐって、問題が起きているそうです。
確かに欧米では、日韓なんてどうでもいいよくて、こっちの問題のほうが大事かも。

●ポピュラーな新聞「ル・パリジャン」(地方でもオウジョウデユイという名前で売っています)

やはり、ソーダストリーム問題をとりあげています。日韓の問題はなし。
読んでみたら、この抗議の公開書簡に署名したのは、なんと40人だそうです。そりゃあニュースだわ。。。
奥歯にものがはさまったような(と私には見えた)ル・モンドの記事と違って、大衆紙だからわかりやすいわ。こちらには「国際法の力でパレスチナの領土となった土地にある、ソーダストリームの工場」だそうです。このキャンペーンをはっているフランスの事務所があるようですね。そこが中心になって動いた。
女優の話はさっぱりわかりませんでしたが、この記事を読んだらちょっとわかりました。彼女は「イスラエルとパレスチナの平和のかけはしのために工場は建設された」「イスラエル人もパレスチナ人も同様の権利で働いている」と反論しているそうです。でも、Oxfamという英国のNGOの大使を降板させられたそうです。

ル・モンド紙でも、ル・パリジャン紙でも、公開書簡がちゃんと載せられていますね。ううう、すごいなあ。力もすごいし、やり方もうまいし、メディアが載せやすい書簡の長さも、すべてのお手並みが鮮やかだ。
それに比べて、内容の是非はともかく、日本のやり方は素人っぽいというか貧相だなあ。比べるのもあれなんだけど。。。

●RFI 国際フランスラジオ放送局

こちらは、フェスティバル全体の紹介をしていました。日韓問題に関することはゼロ。
今年の座長はWillemという、オランダ人で、風刺的なマンガを描いている人だそうです。

特に注目に値するのは、Jacques Tardiという、35年間第一次世界大戦についてのマンガを描き続けた作家だそうです。戦争のルポともいえるマンガのようです。この展示会のために描かれた「Putain de Guerre !」(戦争のくそったれ)という作品が、展示会の目玉のようです。例によって漫画祭代表のFranck Bondouxは「私たちにとって、それを復元して、いまの作家にインスピレーションを与えることのできる偉大な作家を探すのは、重要なことだ」とコメントしたそうです。
後は子ども向け展示の説明とか、全体的にバランスのとれているフェスティバルの紹介内容でした。

●「リベラシオン」

サルトルで有名な左派の新聞です。前に出てきた座長のWillemを大きくとりあげています。この人は、長年同紙に書き続けてきた人のようです。
ところで、このフェスティバルは、去年、グランプリの投票方法を変えたようですね。新しい規則では、リストに掲載されている人の中から選んで投票するようになったそうです。審査員の漫画家33人中16人が抗議を表明したそうです。そっちのほうを、同紙はむしろ取り上げています。
グランプリの有力候補は、Bill Watterson (Calvin et Hobbes), Katsuhiro Otomo (Akira) et Alan Moore (V pour Vendetta)。アキラの大友克洋さんが入ってますね。
うわ、今回の日韓問題が、影響を与えたりして・・・。

●Le Huffington Post (元はアメリカ。フランスのル・モンドと提携していて、独自サイトをもっています)

今年のグランプリは誰になるかという記事です。日韓問題の記述はゼロです。グランプリをとった人が、来年の名誉座長となる。名誉座長は外国人と決まっているそうで、今年の座長はWillemさん。大友さんを含む3人の有力候補にスポットをあて、3人の紹介がかなり詳しくのっています。

【追記】今、フランスで土曜日22時ですが、40分前に配信された情報によると、 ほぼ間違いなく、明日のアングレーム漫画祭グランプリ発表では、「アキラ」の大友克洋さんがグランプリをとります。
3人の誰かがとるといわれたのですが、配信されたニュースによると、そのうちの一人、Alan Moore 氏は「もし賞をいただいても、辞退する」と言ったそうです。「私を選んでくれようと思っている方には感謝するが、私は他の人が私に望むことではなく、もう私が望むことしかしない」と表明したそうです。で、もう一人のBill Watterson氏は、最近は外界と遮断していて、メディアとのコンタクトを全然とっていないそうで、めったに世間の賞賛とか社交とかに感心を示さないそうです。
だからこの記事は、「グランプリは大友氏だ」と言っています。ここでグランプリをとった人は、来年の名誉座長になります。社交をしてくれないと困るのです。

【再追記】 グランプリはBill Watterson氏がとりました。この人も、すごい実力者です。
漫画の内容からして、層や世代が、大友さんとは異なるように思います。

●SUD-OUEST 当地をしきる地方新聞

この地方新聞は有名ですね。フランスでは(日本もそうですが)、地方には、その地方をしきっているような有力地方新聞があります。これもフランス南西部と言えばSUD-OUEST、というほど有名な新聞です。

こちらでは、従軍慰安婦問題について載っています。あれれ??? 朝見たときは、確かにグーグル・フランスのニュースカテゴリーには、この問題に関する記事が2つあって、両方全文見られたのに。1つは途中からフェードアウトして見えなくなっている。この仕様は・・・やっぱり「定期購読者のみ」のページになっていた。

この記事は「Un sujet brûlant hôte du Festival BD d'Angoulême」(アングレームフェスティバルの主催者に火をつけたテーマ)というタイトルです。韓国から来た「Cho Yoon Sun男女平等大臣」(女性)がフランス人女性や他の人を案内している記事ですね。案内されている女性は、なんだか市の人っぽい感じです。

ただ、SUD-OUEST紙には、他にもたくさんフェスティバル関係の記事が載っていて、日韓問題にばかり焦点をあてているわけではありません。ネットで見る限りでは、たくさん掲載されている記事の一つ、という感じです。
ただ。紙の新聞を見ていないので、よくわかりません。(ネットでは小さく見える記事が、紙面ではものすごく目立っている。その逆で紙面では目立っていないのに、ネットでは目だって見える、ということはあります)


他には、ヌーヴェル・オブゼルバター誌や、AFPの配信記事としてル・モンドのネット版に載っています(これは新しい。朝にはなかった)。

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もう時間がないので、この内容の続きは、あとで続けて書きます。

知り合いの情報によると、反論のためのマンガを用意していて主催者に拒否されたのは、某新興宗教団体がからんでいるそうです。でも、私も知っている団体名でしたが、新興宗教といっても色々あるわけで、公共良俗に反するというイメージはない(と思う)団体です。
フランスに住んでいるせいでしょうか、公共良俗に反しない団体やグループが、何かを主張をするための活動を積極的にしても(それが宗教団体でも)、ごく普通のことにしか思えなくなっています。日常茶飯事というか。日本だと感覚が違ったっけ?

5万人の町に、200人の作家が招かれて、20万人(多い!)の来場者が見込まれているそうです。グランプリの発表は2月2日。

フランスのメディアを通してみて、全体の感想を言うと、ほとんどはフェスティバルの紹介。慰安婦をめぐる日韓問題をとりあげているものは、いくつかある。ただ「問題」としては、イスラエルの会社のガス入り水、という印象です。

うーん、、、主催者側はどんな人たちなのか。なにか問題がある人たちなのか、それとも本当によく知らなかっただけか。まだよくわかんないです。
ただ、今年の展示の目玉が「戦争のくそったれ」ですか・・・。確かに今年のテーマは第一次世界大戦100周年ですが。
でも、その作者Jacques Tardi氏は、英語圏でも有名な人で、生涯を戦争を描くマンガにささげている人です。2013年にはレジョンドヌール勲章を授けるといわれたのに「現代の権力からも、たとえどのような政治権力であろうとも、私は何も受け取らない」といって辞退した人ですよ。これぞ本物。真の芸術家、真のジャーナリスト魂をもった人です。そういう方の作品と、国家主導の作品を、一緒に漫画祭に並べていいんですかね・・・。

【追記】
Tardi氏は、後ほど「イスラエルのスポンサーの件は知らなかった。知っていたら、この申し出は引き受けなかった」と回答しました。ル・モンドの紙面でも、かなり大きく紹介されていました。ただ、なぜ引き受けなかったかの理由は語っていません。韓国の問題については、どう思っているのだろう・・・。

オランド大統領の不倫と、ファーストレディ

訳あって、ここ最近、オランド大統領の不倫の話ばっかり調べていた。
もしかしたら私は、この事件に関して、いま一番詳しい日本人かもしれない(笑)。
不倫と言うか、結婚していないから不倫じゃないんだけどね。

今回エリゼ宮を去ったのは、バレリーさんという恋人。
明日発売のパリマッチに何か独占記事が載るらしいから、絶対買わなきゃ!

この人は、「大統領の良き妻」を演じるのに、抵抗があったみたい。
確かに、ファーストレディっていうのは、要するに「内助の功」よね。
現代の自立する女性には、がまんがならない地位なのかもしれない。
ある雑誌上なんて、批評家が「エリゼ宮は黄金の牢獄」と言っていた。

歴史上、一番驚いたのは、サルコジ大統領の離婚でしょう。
任期中ですよ?
もともと、サルコジも、相手の女性セシリアさんも再婚だったんだけど、任期中に離婚しちゃった。
セシリアさんは、「エリゼ宮の生活が合わない」みたいなことを言って、今は再々婚してニューヨークに住んでいるとのこと。ファーストレディを捨てる女。すごい。
ただし、エリゼ宮を去った後も、ファーストレディにもたされたカードを使って、問題になった。
でも二人の間にできた小学生くらいの子ども・・・。あの子どうしているんだろう。かわいそうに。
サルコジのほうは、やっぱり再々婚して、元モデルのカルラ・ブルーニがファーストレディになった。

カルラさんは、色々批判もあったけど、結構人気があった。何しろ容姿がいい。フランスのエレガンスを体現できる女性だったわけです。グラビア向け。フランスのブランドを美しく着こなして、外国で賞賛を浴びれば、そりゃあフランス人としては嬉しいわけです。一応、職業は「歌手」だから、職業をもっている女性ということになっているし。
前に私が、クリニックの待合室で、カルラの特集をしている雑誌を読んでいたら、女医さんが出てきて「そうなのよね、なんだかんだ言って、みんなカルラが気になって仕方がないのよね」と笑っていた。

今から思うと、あの人はぶっとんでいた。だから批判もあったけど、許されたのだと思う。
サルコジについて「愛に落ちたの・・・激しい愛よ・・・(沈黙)」とか語っちゃって。
理性より、感性の人。
なんでも「私は14歳が自分にあっていると思う。何もできない子どもじゃなくて、「体を」もちはじめた年齢」「私はいつも、自分じゃないもう一人の自分を演じてきたように思うの」だそうです。
この人に「女性の権利」とか「男の付属物でいいのか」とか言っても、まったく話がかみあいそうにない(笑)。
それに、フランス人は芸術家に優しいから、受け入れられやすいでしょう。

対してバレリーさんは、もっと等身大、庶民的に感じる。
職業は元パリ・マッチの記者で、人々があこがれるものかもしれないけど、頭がいい普通の人なのよね。
「ファーストレディになったからって、私を黙らせられない」とか言っていて、反感をかったらしいが、そんなのは男の論理よね。もちろん、自分が選挙で選ばれたわけじゃないという謙虚さは必要でしょうけど。
この人は、一歩下がって男をたてるというファーストレディができなかったのかもしれない。
でも実際は、慈善活動とかそれなりに頑張っていたと思う。
わかりやすくて、身近な感じさえする。
オランド大統領も、社会党のせいか、庶民的。
結局、セシリアさんもカルラさんも、大金持ちのお嬢様だったのね、と今になって思う。

でも、オランド大統領というのは、強い女がすきなのかしらね。
セゴレーヌ・ロワイヤルという女性と学生時代に知り合ってから、30年近く一緒に過ごし、子どもも4人いる。
二人とも社会党の要人だった。
しかし、セゴレーヌさんは、前前回の大統領候補。結局サルコジが買ったけど、史上初めての女性大統領になったかもしれない人。
そうしたら、二人は離婚しちゃった。結婚してないから正確には離婚じゃないけど。
妻が大統領候補・・・普通の人にはない体験だわ。
おそらくセゴレーヌのことがなかったら、オランドは一念発起して大統領への野心はもたなかったかもしれない。
そして大統領になったときの彼女は、バレリーさん。結局強い女性じゃないの。
オランドっていうのは、優柔不断らしいのだが、自立タイプの女性が好きみたい。
でも今度のお相手は、ジュリー・ガイエという女優。
選挙戦のときにオランドについて「すばらしい男性よ!」と目を輝かせて語るビデオがネット上に残っている。
もっとも、スクープ誌によると、二人の仲は2年前から始まっているそうで、それが本当なら、就任前から続いていることになるけど。

なんでも、昔の大統領夫人というのは、陰にひっこんでいて、あまり表に出てこなかったそうです。
それが出てくるようになったのは、世の中がメディア化したのと、アメリカの影響のようですね。
日本もそうかな。日本の首相夫人なんて、別に昔は表に出てなかったのでは。

今回、オランド大統領は、二度目のアメリカ訪問をする。
だからさっさと破局宣言をしたのでしょう。
そりゃあ、オバマ大統領夫妻から見たら、一時の恋人を連れてこられたんじゃ、迷惑よね。
ミシェルさんやアメリカの市民が「一緒にするな!」と怒っても、当然だと思う。
結婚しているのなら、愛人が発覚しても、「妻をつれていきます」で外交上は済んだのでしょうけど。

日本だって同じ。
天皇皇后両陛下が、宮中にオランドとバレリーさんを迎えたのは、私は正直言ってムッときたのだ。
でもこれも、その前にアメリカが二人を公式に迎えたから、政府と宮内庁は右にならったんだと思う。
大統領と皇室じゃ違うんだから、最初の段階からバシっとしてほしかったわ。
フランス国家元首への敬意のために、できなかったのだろうけど。
結局、女性は「おまけ」と思っているからこうなったのかしらね。
宮内庁も政治家も男だらけ。情けない。
そして今回も、バシッと裏で断ったのがアメリカだったのでしょうね。
結局、アメリカ様。世界の警察官だけじゃなくて、世界のプロトコル決定者。
でもくどいようだけど、アメリカに皇室・王室はないから!
結果論だけど、一時の大統領の恋人と、あの美智子皇后陛下を同列にしたんだからね。
フランスにも頭にくるけど、受け入れたのは日本側。
日本の関係者には、猛省してもらいたいわ。
-----------となぜか怒ってしまいました。

でも、難しいわよね。
日本だって、次の皇后陛下は引きこもりだし・・・。
英国の次の「王妃」は、、、あの人ですか???
ロンドンで過ごして、エリザベス女王と、ウイリアム&キャサリンの写真はあちこちで見るし、お店にも自然に飾ってあることが多いけど、チャールズ夫妻は見たことがない。
スペインの王妃は元キャスターだし、あちこちでどんどん庶民化している。
こうなると、本当に王室って何? ファーストレディって何? と言いたくなってくる。
メルケル首相の夫は、あまり出てこないらしい。
「カップル」というのをやめたほうがいいのかもしれない。
フランスじゃ「ファーストレディなんていらない」とか言い出したけど、それも悪くないかもしれない。
別に、大統領や首相が一人でも(男であっても女であっても)いいんじゃないか、という気がしてきた。
もともと日本にはカップル文化はないし。
それに、世の中の政治家と王の半分が女性になれば、配偶者同伴である必要がなくなるかも。
もともとカップル文化というのは、政治の世界は男だけでやり、政治の話が終わった後に、パーディーなどで妻を呼んで華やかな場をつくって、社会的に交流を深める、というものだったのだと思う。
「社会的に交流を深める場」をなくす必要はないけど、確かに女性が華としてくっつかなくてもいいかもしれない。フランスの今の報道見てると、そんな気になってくる。

フランス2のニュースでは、キャスターがアメリカ特派員(女性)に向かって「大統領が夫人なしに一人でいってもいいんでしょうか」とか聞いていた。特派員は「まったく、まったく、外交上は問題ありません」と力を入れて答えていた。
やっぱり、「一人」というのは、欧州的にはものすごく奇怪なことのようだ。若い独身ならともかく。そう簡単に、文化は変えるのは無理かもしれない。
そう思うと、いつも一人で欧州を訪問する皇太子さまは、外交上は問題ないにしても、もしかして相当肩身の狭い思いをされていたのだろうか・・・。

確かに、時代が変わるにつれて、ファーストレディも変わるのでしょう。
アメリカに女性大統領が登場したら、世界のプロトコルはがらっと変わるかもしれません。

【追記】
今日、アフリカ系のフランス人が「フランス男はみんなあんな感じさ」と言っていた。私が「彼女がちょっとかわいそうだと思う」と言ったら、「なんで? 彼女はジャーナリストだろ」(自立した女だ、と言いたかったのかな)。「大統領は独身だし、ファーストレディなんてアメリカの考えさ。次は若い女優だ。たいへんすばらしい」とか言ってた。これが男の本音かもしれない。別の男性は「私はフランス人じゃない」とか言って、「え、じゃどこの人なんですか」と聞いたら(フランス人にしか見えなかった)、「マルセイユ人だ」だって。「フランス人と違うんですか」と言ったら、「違うよ。愛人は4人いるんだ」だってさ。まあね。確かに地中海文化ってそうよね。カトリック文化というのだろうか。でもそれは、「妻」がいて、そのほかに4人という意味でしょう。
他の人は「何も変わらないさ」とか言っていた。
なんだか、ムカムカした。昔は妻は守ったけど、愛人がいてもよかった(ほとんどの人はそんな甲斐性なかったでしょうけど)。今の時代は、女性が自立しているから、自由なんだから浮気してもいいのか。要するに、いつの時代も男が好きにやっているということ? でも一応、国が福祉国家で、飢えないようになっている。なんかさあ、なんだよあんたたち、って感じ。この国で女をやるのは大変だよ~。
ただ、日本ほど若い女をロリコンみたいに追い回す風土はないけどね。マダムの居場所がある。でも、オランドの相手の女性はどんどん若くなっている・・・。まあ大統領を例に出しても意味ないんだけど。
次から次へと恋人を変える女性にはいいかもしれないけど、まじめな女性には住みにくいと思う。でも、男性より女性のほうがまじめというのも、もしかしたら既成概念なのか?????訳わかんなくなってきた。
そういえばこの前、テレビで、年配の男性のお見合いパーティーを取材していた。彼らは、この年(40以上か50以上)になるまで、女性と一緒に住んだことが一度もないという男性たちで、「少年」とか呼ばれていた。数字は忘れちゃったけど、、、確か1割だか2割弱、そういうフランス人男性がいると言っていたように思う。
こんな社会で、生きづらいと思っている男性もいるのよね。なんだかほっとする話だわ。
そういえば、前にフランス人に、「男性って、みんなどのくらいで初体験するの。高校卒業時には、みんな終わってるの?」と聞いたら、まじめだけど今風の女性は「うーん、、、9割は終わっているんじゃないの」と言い、フランス的には普通にまじめな男性は「そうだなあ。7、8割くらいじゃないか?」と答え、ものすごくまじめな男性は「みんなフリをしているけど、実際は半分くらいだと思う」と言っていた。ちなみに最後の人は上流階級と言っていい人で、家族でたまに教会にいくような家で、同じような家の女性とこのまえ結婚しました。彼は離婚しそうにありません。こういう人と出会えたら、女性は幸せよね。めでたし、めでたし。(?)

ルーブル美術館通い8

「8」でいいんだっけ。

このごろは、閉館の1時間くらい前に行くことが多くて、ゆっくり見られなかった。

今日は久々に16時ごろにいったので、ゆっくり見られました。

その前にイタリア料理店でピザを食べた。すごく感じがよい店で、カウンターに来ているおじさん二人が、ワインを1杯おごってくれるというので、カウンターで一緒に話していました。
一人はギニア人。もう一人はノルマンディー出身のフランス人。なんだか、くどかれました(笑)。
しかも、お店のおじさんまで参加して冗談を言い合ってしまい、そしたらピザ代をタダにしてくれました。

なんだか久々に、ニースの日々を思い出しました。
なんかこの、ラテン的というか、地中海っぽい豊かさというのかなあ。
(やっぱりここで、バックミュージックでしょう。La Mer行きましょう!
http://www.youtube.com/watch?v=MqJDd9VinY0 )

そんなわけで、気分良くよっぱらってしまい、やっぱここは、イタリア彫刻でしょう!と思い、イタリア彫刻のところを見ました。日ごろ、モナリザとかナポレオンの戴冠とかに行くために、がしがし通っているところも、一つひとつじっくり見ましたよ~。

うぅぅぅぅぅぅ・・・・・・・・すごいなあ。

なんというか、、、「文明」「シビリザシオン」という言葉を何度もはんすうしてしまった。
力で屈服させることができないもの。
それが文明。
武力で、敵や他国や他民族を征服することはできる。
でも、人の心は征服できない。
征服するのは「すごい」「すばらしい」「進んでいる」という、感動なのだ。
そして「自分たちは遅れている」「こんなすばらしいものを、自分たちももちたい」「つくりたい」と思う。
「文明とは伝播力をもつもの」という定義があるけど、そのもとは「人を感動させる力」だと思う。

もともと私は、文明とは何か、民族とは何か、国とは何か、ということに興味があるのです。

太陽のにおいのする、風光明媚な「文明」。

イタリアと南仏じゃ違うんだけど、でも「地中海」よね。
パリに来て、地方で過ごしたハンデを感じることが多くて、ちょっと後悔したこともあった。
でも、地中海文化を自分のなかにしっかりもてたのは、本当に私の人生にとってすばらしいことだったんだと思った。やっぱり好きだな。ああ、ヴィラ・ケリロスに行きたいわ。モナコまでバ・コーニッシュを車かバイクで走りたいわ。ニースにまた帰りたいなあ。

ところで、もちろんヨーロッパ彫刻の起源は、ギリシアとイタリアにあるんだけど、私はフランスのもっと後の時代の彫刻は、ちょこっと違ってうねうねしていると思っていた。今日見たボルゲーゼの部屋(正式名称はマネージュの部屋)は、ローマ帝国時代のものが多いけど、エジプトもちょっと混ざっている。「あれ、これフランス?」と思ってみたら、古代ローマのものでした。

それと、ミケランジェロの部屋には、脇のところに、誰もみないけどミケランジェロ製の頭像があるのよ。
それから、同じ部屋には、、、あら、なんとラファエロ様がいるじゃあありませんか!
ナルディーニ製のコピーで、ロンドーニ製だって。でもどちらの人も、ラファエロが亡くなった後の時代の人よ。ムードンのお城で見つかったんですって。
私はラファエロが好きなんですよ~。ルーブルでやっていたラファエロ展、ほんといけなくて残念だった。今でも後悔している。若くして死んじゃった。ミケランジェロやダヴィンチに比べて控えめで穏やかな性格だったというけど(彼らより年下だったしね)、ほんとうに性格が作品にあらわれていると思う。

このルーブルの部屋でまで、控えめに外を見てらっしゃる。
raffaello.jpg

ほとんどの人が気に留めないで、ミケランジェロのでっかい彫刻や、プシュケの像ばっかり見てるけど。

ラファエロ様、また会いに行きますね!

ついしん 昨日、アクセス数が大台に乗りました! 嬉しいです! みてくださっているみなさん、ありがとう!

退化している? 洋菓子の味覚

この前、病院に行った。
あまりにもお腹がすいたので、病院の近くのあるレストランで遅めのお昼を食べることにした。

その店は、下半分のガラスがくもりになっていて、中がよく見えないけど、上半分を見る限りではきれいな内装で感じがよさそうだった。なので入ってみた。

ところが・・・入った瞬間。「うっ」。いや、ちゃんと清潔な感じだったんだけど、なんというか、男くさいというか、女っ気ゼロというか。店の内装がきれいなのは、持ち主がそうしたというよりは、きっとそういう内装の店を買った(借りた)のだと思う。

いまさら逃げられないし、お腹がすいていたので、そのまま食べることに。いるお客は、男二人(友達?)が二組、一人で座っているおじさんが二人。うーん。ちょっとマグレブっぽいお客だし、給士さんもそう見えないこともない感じなので、きっと持ち主はマグレブ系が入っている人なのだろう。

出てきたパンは、あまりおいしくなかった。美味しいレストランは、必ずパンもおいしい。
「あまり期待できないけど、立地からいっても、まあこんなもんで普通かな」と思った。

注文したのは、ランチメニューのブッフブルギニヨン。
出てきたら、お皿も普通の白いものだし、どんと肉、どんとじゃがいもののふかしたもの3つ。色気や飾りなし。男っぽいというか、センスなしというか・・・。

「いただきます」っと。
・・・・・・・・びっくり!!! おいしい!!!
ちゃんとワインで似た味がする。
牛肉はほっこりやわらかくて、とろけるよう。
見かけは悪いけど、ちゃんと真面目に手抜きをしないで作った味だ。

いやあ、これだからパリは好きよ。
意外性にとんでいる。すべて料理人次第。

東京やロンドンでは、平均的には美味しいけど、チェーンの味になっちゃうのよ。

東京では、おしゃれを気取る人の間では、手作りのお菓子をもっていくと、「貧乏臭い」とか「汚い感じがする」とまで言われて、敬遠されるらしい。その感覚はわかる。私がそうだったから。
でも今は「は? 何言っているの?」と思う。
一番美味しいものは、常に量産できない手作りなんだよ。

一流シェフの一流手作りおかしが一番美味しいけど、アマチュアの手作りと、そこそこ良い店の量産品とどちらが美味しいかというと、、、ケースバイケースかしら。
少なくとも私は、素人の手作りのちゃんとバターの味がするお菓子のほうが、ちょっとくらい有名な店のバターの風味すらしないお菓子よりずっと美味しいと思う。たとえ見てくれが悪くてもね。でも、こじゃれた店に慣れた東京の人間は、今はもうバターの味すらわからないのだと思う。

この前クリスマスのとき、NHKラジオのアナウンサーが「私が子どものころ、出身地の田舎では、クリスマスしかケーキを食べられなかった。ケーキ屋がなかったんです。だから楽しみで楽しみで。あのバターケーキの味、もうわかる人は少ないんでしょうね」と言っていた。でもこの年配のアナウンサーは、現代の東京のおしゃれな人より、ずっと味覚はしっかりしているはずだ。

洋菓子が日本で遅れているのは仕方がない。歴史的なものだから。でも一昔前は、もっと「町のケーキ屋さん」があった。そこでは、職人さんが手作りしていた。それと、手に入りにくい分、家で手作りしていた。今はチェーン店が発達し、見かけはどんどん美しくなり、その分日本人の洋菓子への味覚が退化したような気がする。

私はチョコレートが好きで、パリの有名店のものを食べるのが好き。でもチョコレートっていうのは、他のお菓子と異なり、違いが出しにくい。でも店によって違いはやっぱりあって、そんなのを発見するのが楽しみになっていた。

あるとき日本から友達が、東京の、とある有名でお洒落と言われるブランドのチョコをもってきてくれた。あちこちにあるほどのチェーン店ではないけど、日本に15店くらい店をもっているブランド。包装も含めたすべてのデザインがとってもおしゃれ。

食べてみて思った。

「・・・まずい」。

いや、十分美味しいお菓子であることは認めますよ。
でも、チェーン店菓子は、しょせんチェーンの味なのだ。

「何件くらいまでを手作りというか」というのは難しい。
私の意見だと、パン屋だと2件くらい。
お菓子屋だと1,2件くらい。
チョコレート屋はもう少し多くて4,5件くらい。
レストランだと2件、、、1件という人もいるかな。

手作りとチェーンでは、もう味が違うのです。「美味しい」は、「チェーン」というカテゴリーの中での味の判別になるのです。それがフランスに来て、よーーくわかった。

そういう意味では、「素人の手作りお菓子の方が、有名ブランドチェーンより絶対的に美味しい」という意見も可能だと思う。

そういうのがまだまだ生きているフランス。
だからフランスは好きなのよ。

実を言うと、私がフランスに住んでお菓子を買うようになったとき、思い出したのは、子どものころ母親がつくってくれたお菓子の味だった。子どものころの記憶がわああああっとよみがえった。別に有名シェフのお菓子ではない。フランスでは、石を投げれば当たるほど、あちこちにパン屋があって、そこでは、その店の奥で職人がパンを焼いている。お菓子もつくっている。パン屋ほど多くはないけど、お菓子屋もある(こちらのほうが、パン屋のお菓子よりも高い)。全部、職人の手作りなのだ。
不思議なことだと思う。私は東京で会社員をしていたとき、さんざんブランドのお菓子を食べた。それでも、この味を思い出すことはなかったのだ。20年近く食べていない味だったのだ。それは良質のバターの味であり、クリームの味であり、卵黄の味だ。私が多少は味覚がちゃんとしているとしたら、小さい頃に母親が手作りのお菓子をつくって食べさせてくれたおかげだ。

そういう「正しい味」の味覚が衰えている東京は悲しいと思う。自分がそうだったので、そういう風潮がわかるだけに、よけいに悲しい。和菓子なら「町の和菓子屋」がまだあるのにね。減ってるけど。そして日本人だって「デパートで買った高い和菓子より、うちの近くのだんご屋のほうがおいしい」ってわかるのにね。洋菓子だと、途端にブランド崇拝になってしまう。

いまは外国に洋菓子の修行に行く人も多いから、そういう人が自分の味にこだわって、自分の店をどんどんもってほしい。でも、そういう人は「成功」もしたいだろうから、有名ブランドチェーンの「総シェフ」とかになっちゃうのかなあ。自分で店をやるのは大変だし、そういう法律というか土壌が日本では難しいせいもあると思う。

前に、東京の超有名ホテルのフレンチ・レストランのシェフと話したことがある。フランスに研修に来てたのです。「自分も店をもちたいと思ったことがあるけど、日本では難しい。フランスだと、このシェフの変わらぬ味が好きで、何度も来て、子どもも連れてきて、その子どもも大人になって常連になって、ということがある。でも、日本人はすぐに新しいものを好む。維持するのは大変だ」と言っていた。
これだって、和食なら、例えば「あそこのそばの、何十年も変わらぬ味が好きだ」というのがあるのにね・・・。

新しいのを好むのは、人々のエネルギーだから、悪い事じゃないんだけど。
もっと洋菓子も洋食も、成熟してほしいなあ。

英語とフランス語で頭がヘンになる

最近、忙しいです。
ここ最近は、英仏のビジネスに関することに携わっているので、英仏の資料を読むことが多いです。

でも本当に頭が混乱します。

今日はフィナンシャル・タイムズの過去の記事を読んでいたのですが。
solicit という単語が出てきて、「これ、フランス語にもあるわ」と思って辞書で確認。
そしたら・・・ない。
soliciterという単語はあるはずなのに。どうして?
そしたら、 solliciter とLが二つでした。あ、そうか。

merge という単語がありました。「合併する」という意味です。
merger ていうフランス語がありそうな感じ。辞書を見てみる。
そしたら・・・ない。
あれ? 私何かと勘違いしている?あったような気がするけど。
あれはemerger か。
「水面に浮かび上がる→頭角をあらわす」というような意味です。
意味が違うわよね。ということは、まったく別の単語?
でも、意味が違う単語と思っていたら、実は元の意味は同じなんだけど、どんどん派生していって別の単語になったということはよくある。

例えばこんな話がある。
ジェラール・ドパリュデユーというフランスの有名な俳優がいる。
彼がハリウッド映画に出るようになって、アカデミー賞の候補になったときのことだ。
彼は「私はレイプをアシステしたことがある」と言ったのだ。
(確かなんだかそういうテーマの映画に出たのだと思った)
これがメディアで大問題になった。
「彼はレイプをしたことがある!!!」と。
ところが違うのだ。
フランス語で「アシステした」といったら、「目撃した」という意味になる。
彼は「レイプを目撃したことがある」と言いたかったのだ。
ところが、英語で「アシストする」といったら「助けた、参加した」という意味になるのだ。
フランス語だと assiter。
英語だと assist。
そりゃ同じと思うわよね・・・。
実際、同じとしている仏英辞書もあるし。
仏和辞書と、英和辞書を見ると、どちらも「目撃する、参加する」と書いてある。
大元の意味は同じだったわけですが、国によって用法が次第に異なっていったのでしょう。
(ただ仏英辞書、英仏辞書を見ると、違いをちゃんと書いてあるものもあります。)
気の毒なドパリュデユーは、もちろんちゃんと釈明したけど、「このせいでアカデミー賞をのがした」と言われているそうな。

それで話を元に戻すと、英語にもemergeという単語がありました。
ということは、merge とemergeという二つの語が英語にはあるのね。
語源を正すと何かありそうだけど。

どうも、単語の頭が違うと、意味が違って別の単語のような感じがする。
単語の中ほどとか語尾は、大した問題じゃないのかもしれない。
このあたりも、「語のなりたち」を見ていくと、きっとクリアになるだろうな。

そういえば、前に韓国人の卒業旅行中という女の子とパリで会ったことがあるけど、大真面目な顔で「あれはなんと読むのですか。読めません」と、アルファベットのフランス語の駅名を見て言っていた。
はっ、と思った。同じアルファベットなのに読めないってどういう感じだろ。
確かに、私もドイツ語とかになると、読めない=発音できない。
日本語だったら、「かるともぴ」(テキトーです)という語があったら、「?」とは思うけど、少なくとも発音できるわよね。
うーん。。。アルファベットの奥は深い。

でも頭が変になりそう。
ここ最近は、「フランス語を読むとき」「英語を読むとき」と時間と資料を分けて、一緒に読まないようにしていた。でも慣れてきたのと、「あれ、これに関することを読んだな・・・どっちの資料だっけ」と探していると、両言語がどうしても混ざってしまう。

フランス語が母語、英語が母語の人なら、こんな混乱は起きないでしょうに。「自分の母語の言葉にない」とはっきりわかるわけだから。

日本にいたとき、「5ヶ国語がわかります」とかいう欧米の人を「すっごーーーーい!天才!」と思ってみてたけど、いまじゃ「けっ」と思う。私が今まで語学に費やした時間とお金と努力をもってすれば、もし私の母語が英語とかフランス語とかドイツ語とかスペイン語とかイタリア語だったら、いまごろ7ヶ国語くらい話してるわよ、、、日本人だから、こんな血のにじむような(笑)努力をしても、3ヶ国語で「外国語のせいで、寿命が絶対縮んだ」と息切れしているけどさ、、、。

資料読みはまだまだ続く。われながら、読み始めた1ヵ月半ほど前に比べて、英語を読むスピードがあがったなあ~と思う。昨日の夜、気づいたら30枚ほどの資料を読み終わっていて、びっくりした。前はこんなのぜいぜい言いながら読んでいたのに。うれしくなった。
しかしあれね、実際の英語は、that とカンマをほとんど使わないのね。読みにくいこと極まりなし。慣れてきたけど・・・。
ああ、でも英語話せないわ~。フランス語も英語も、読むことばっかり進歩するけどね・・・。

ウイーン・フィルのニューイヤーコンサートを見ながら思うこと

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

どんな方が読んでくれているのかな~と思います。
全然アップしない長い期間があったのに、アップするようになったら、また以前のようなアクセス数に戻りました。
実は結構なアクセス数で、なんでだろう・・・と思っています。ネットは不思議ですね。

新年の最初はルーブルのことにしようかなと思ったのですが、別のことにします。

ウイーン・フィルのニューイヤーコンサートを見ました。
欧州だと、お昼が終わったあとくらいの時間に生中継です。日本だと、夜ですね。

見ていて思ったんですが・・・・・・。

なんでオーストリアは王室をやめてしまったんだろ。
いや、革命を起こして、民主主義を手に入れたのはいいのです。
でも、王室を戻したっていいのに。
スペインは戻しましたよ。
二つの大戦前と後のヨーロッパの地図を眺めていると、どう見ても一番没落したのはオーストリアです。

ウイーン国立歌劇場(とウイーン・フィル)の保守主義は有名です。
前々代の総監督ヴェヒターは、国民の一部からも「ヒトラー2世」と毛嫌いされる人でした。在任期間が短くてすんだけど。
前代のホーレンダー(ルーマニア出身)はマシだったけど、それでも日本人音楽家はいじめぬかれたといいます。関係者情報によると、小澤 征爾さんがウツ病だったのは、いじめのせいだったそうです。
(今の総監督はドイツ人で、Dominique Meyer という人だけど、どんな人なのだろう)
ウイーン国立歌劇場=オペラの牙城=白人の牙城、ということで、日本人など「イエロー・モンキー」ということなんでしょうか。
(もっとも、一般市民から見たら、脅威になるほど日本人もアジア人もいないでしょうけど。)

オーストリアの政治そのものが、とっても右より。
保守的というか排他的というイメージ。
どこの国の人に対して特に排他的なのかしら。

確かに、伝統はすばらしいですよ。
伝統を残すことも、大事なことですよ。

でも、伝統「も」残すのではなく、伝統しかない。伝統にしがみついている。
「伝統を失ったら、自分たちにはもう何もない」といわんばかりに。
そんなくらいなら、王室戻せばいいじゃないか、と思うのです。
失われた栄光を嘆きしがみつくよりも、王室もっていれば、「威勢は衰えたけど、まだ生きている力」になりますよ。
王室外交をとおして、国に力が加わります。外交パイプも増えます。下世話な話だけど、色々イベントやれば、観光収入にもなる。国民だって伝統の美しいイベントや儀式を見るだけでも、誇らしい気持ちになれるでしょうし。
ハプスブルク家ともなれば、いくら衰えても、欧州の人々は一目おきます。

オットー・ハプスブルクさんは、帝国の最後の皇太子で、数年前になくなりました。98歳。
欧州議員で、欧州連合を強く支持していました。
葬儀の模様は、帝国の最後の栄光を見せるようなものでした。
記憶が間違っていなければ、確か、彼がかつてもっていた、たくさんの「××国(公)皇太子」の肩書き、その××国(公)の旗(だったと思う)が一堂にかいしていました。
↓私が見た写真は、お葬式が行われた聖堂の中だったので、もっと華やかに見えました。
otto.jpg

右翼になるくらいなら、王室を復古させればいいのに。
そのほうが、人々の心が安定すると感じるけど・・・。

でもきっと、一度没落すると、大変なんでしょうね。
確かに、ハプスブルク家のあり方(連邦国家)は、欧州連合の発展とともに見直されてきた。
東方に拡大したことで、きっとさらに見直されているのだと思う。
でも、オットー氏は世代から考えても、「皇太子」という出自からも、「帝国」の思想から完全に自由になることはなかったのでしょうね、きっと。
だから、彼が王位に戻ることは絶対になかったのかなと想像します。
でも、だからこそ、一市民となっても、ある種の「権威」はあったのでしょう。
家をついだのはカールという長男ですが、彼が生まれたときは、もう帝国はなかった。
しかも、普通の人と結婚している。
でもこれは、他の王室も同じよね。
日本の皇室だってそうだし、欧州の王室も同じ。
権威って一度失墜すると、大変だわ。もう取り返しがつかないみたいな感じ。

王家がなくなるのって大変みたい。
前もこのブログのどこかに書いたけど、フランスは何度もゆり戻しを経験した。王政復古、帝政を経験して、200年近くたって、やっと今の形に落ち着いた。王室を倒してでも得るべきものがあったと、この国にいると感じる。
それは「平等」。
「自由」も大事だけど、自由よりも平等かな、と感じる。

ほとんどの国は、もちろん革命のおかげで民主主義国家になって、それはとても大事なことだったし、必要なことだった。でも、フランスほどの「苦難の中で勝ち取った、世界に誇れる輝かしい大義中の大義」まではもてない国がほとんどで、やっぱり大変だと思う。
結局、「王室を保ち、でも主権は市民に」というのが、一番順当というか、摩擦のないやり方かなと思う。(もちろん、もともとの状況によって、できる国とできない国があったのですが・・・。)
イタリアもドイツも、一応いるかいないかわからない大統領がいるのは、王室のかわり。

それにしても、イタリアの大統領は「ここぞ」という時に出てくるけど、ドイツが出てくるの聞いたことないわ。
私が知らないだけ? メディアが報じないだけ? それとも元々ないの?
(イタリアの大統領は、、ナポリターノと言う人です。一度聞いたらすぐ覚えられる。イタリアにぴったりの、なんだかおいしそうな名前・・・)

フランスに長くいると、「なんで王室があるの」という発想になってくる。
こんな発想、日本にいるときはもったことがなかった。発想の転換だなあ。
アメリカとかに暮らしても、こんな発想はもたないでしょうね。もともとないんだから。

王室を倒した国は大変だ。
20世紀の後半は「アメリカとソ連の対立」の時代だったけれど、欧州に関しては「王室をたおした穴埋めを模索した時代」とも言えるでしょうね。
私には一番わけわからないのは、スウェーデンの王室だけど・・・。あれはほんと謎だわ。
他の地域の王室はどうなっているのでしょう。
あの美男美女の、心優しくめちゃくちゃ頭が良いブータンの国王夫婦のことを思い出しちゃった。
東日本大震災のお見舞いに、自ら出向いてくださって、ありがとう。
やっぱり王室外交は、あると国の強みだと思う。

ちょっと色々調べてみることにします。
でも、王室の現在を知るのには、フランス語は向いていないな。
自分の国にないから、圧倒的に感心が低いのよね。
まったくないわけじゃないんだけど。王室ニュース専門の雑誌も2つくらいあるし。
王室ゴシップが好きな人とか、なんだか華やかなイメージがあこがれという人はいる(女性に多いかも)。
フランスの場合、モナコ王室が代用(?)みたいになっている。
でも、ただの好奇心レベルかな。
王室関連の今を知るなら、やっぱり英語のほうがいいでしょうね。
ロンドンにはますますなじんでいるから、良い機会だし、今年はちょっと調べてみようかな。

みなさん、よいお年を。

いよいよ2013年も終わりですね。
今年もいろいろありました。
なんだか毎年激動だわ・・・。

当面の目標は、ルーブル美術館を全部見ること。
それから、本を書きたいなあ。

つらつら思ったことを書いているので、まとまりに欠けると思いますが、いつも読んでくださっている方、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

よいお年を!

つらつらフランスとイギリスのことなど

イブの夜中に変なことを書いてみます。
あまり訳わからなかったら、途中で読むのやめてくれていいです。

最近ロンドンに行くことが多いのだけど、正直言ってフランスは遅れているなあと思う。
もうすっかりフランスに慣れてしまい、当たり前になって感覚が鈍っていたのかもしれない。

ここ最近書いてきた郵便局もそう。
ロンドンでもトラブルがあったのだけど、郵便局にメールを書いたら返事がきてびっくりした。
しかも次の日に返事がくるとは。
それで「不便をかけて申し訳ない」などと書いてあって、天地がひっくり返るほどびっくりした。
フランスじゃ考えられない。

この前友達に聞いた話だけど、郵便局の小さいトラックが泥棒の襲撃にあったことは書いたが、その続報とも言える。襲撃にあったのは複数のところで、1ヶ所であったわけではない。あちこちぱらぱらという感じ。

ある地域では、労働組合が「そんな危険な配達を労働者にさせられない」ということで、配達人が配達を拒否したそうだ。それで友達の親が住む郊外では、クリスマスの直前というのに配達がまったくなくなってしまった。友達は車で親のところに行き、遠くの郵便物集積所まで親をつれていったそうだ。近くの郵便局でも、本局でもどうしようもなく、集積所にいかないとダメということだったそうだ。
ところが、行ってみたら「この中から自分で探してください」と巨大な倉庫に案内され、荷物が山のように積み重なっていたそうだ。当然みつけられるわけもなく、帰ってきた。当然、送ったプレゼントは届かずじまい。もしかしたら、クリスマスが終わったら、1ヵ月後くらいに配達されるかもしれないが。
そりゃ配達人の安全は大事だけど、他にやりようがあるでしょう。今度私の荷物の顛末も詳しく書くけど、他に本当にやりようがないのかと心から思う。この国は、数年前に、クリスマスイブの日(日本で言うとおおみそかの日)に国鉄がストライキしていた。全部とまったわけじゃないけど。直前まで忙しく働いていた人が、故郷をめざして帰省する日だ。フランス人ですら「恥」と憤っていた。でもみんな、結局どうしようもなく、仕方がないとあきらめムード。(がまん強いよな~フランス人って。)

病んでいるんですよ。
なぜ病んでいるかと考えると、やっぱり「移民のせい」と思っちゃうんでしょうね。何度も言うけど移民にも言い分はあると思う。ただ、あながち間違いでもないのが難しい問題。
でもどう考えても、それだけじゃないでしょ。
もっと根深い、根本的な問題がある。
国がソ連ぽいっていうか。。。
(ソ連をよく知りませんけど)
社会主義が強すぎるというか。。。

ロンドンにいくと、日本と似ていると感じる。
資本主義ってこうだったわよね、サービスってこうだったわよね、民間の競争ってこういうことだったわよね、と思い出す。フランスにいると、すっかり忘れていたことだ。

政治や体制だけじゃなくて、ラテンの気質もあるのかもしれない。
フランスでは、「まず、いく」「まず、人と話す」ということが大事。
ロンドンで、フランス式に考えて「まずは、いく」ということで郵便局に行ったフランス人は、逆にひどい目にあったという。郵便局の人に聞いてもよくわかっていないと言っていた。中央の集積管理センターがちゃんと、全部を組織的に記録で管理しているのだ。
フランス的には「行ってみたらこう言われたから、機械の記録のほうが間違っている」と思うのが普通だが、イギリスでは逆のようだ。「機械の記録のほうがあっていて、関係ないところの局員がいうほうが間違っている」のだ。
ただ、これはイタリアとロンドンに長い人がいっていたのだが、「何か問題がおきたときに、イタリアでは、たとえば郵便でも仕事でも、一人自分に同調してくれる相手さえみつかれば、すいすい進むことが多い。でも、ロンドンでは、全然ダメだった」と。
フランスと同じだな、と感じた。イタリアとフランスは、ラテンの気質で似ているのだろう。
ラテン人はマニュアルな人々、イギリス人(ともしかしたらドイツ人)はデジタルな人々なのだろう。
別の言い方をすれば、ラテン人は人間的、イギリス人(ドイツ人?)は効率的なのだと思う。
効率のよいシステムというのは、全員が効率よく働くことが条件だ。一人でも乱すやつがいると、なかなかうまくいかない。(だから日本人は始終イライラしている)。全員が規則や規律のもとに従って働くなど、フランス人(イタリア人)にできるわけがない。そんな才能ない。だからこそ、彼らのつくるものは美しくておいしい。外交も上手。でも、一般に信用できない。個人では信用できる人がいても、組織は信用できない。だから公益に関する企業は、フランスではもうソ連。ほぼ国営。一般企業は、、、どうなんだろう。あまりにも問いがグローバルすぎて答えにくい。ただこの国は中小企業がやたら多く、大企業でもオーナー色の強いところが多いのは事実だ。まあ一応なんとかなっているのはフランスだからだろう。もっとラテンが強いイタリアじゃ、一般企業すらあまり育たない。

(企業はものすごく信用が大事だと思う。日本人への信頼と日本企業への信頼がイコールであるように、イギリス人への信頼やイギリス企業への信頼もイコールだと思う。こんな社会では、フランス人への信用がないから、フランス企業への信用もないのではないか。外国から見た話だけではなく、当のフランス人が企業を信用していないような感じがする。これはなんかそう感じるというレベルの話だけど・・・。だから大事な公益に関わる企業はソ連になっちゃうんだろうか。そうじゃないと信用も得られないし、安定も得られないし、運用できなくなるから。国には信用がおけるだけマシなのか。それすらない国もあるわけだし。だからエリートが必要になるのか。あとはカトリックの影響もあるだろう。お金を扱うことを蔑視するというか、銀行に対して敬意がないというか)

これが国家の姿勢の違いにもあらわれる。
イギリスは正しく資本主義のシステムが動いているように思う。
民間の競争が正しく運用されていると感じる。
それにひきかえフランスは、国の力、労働組合の力が大きすぎる。
個別のグループ、個別の企業というより、一つの単位、一つの概念になってしまうのだ。
(労働組合の力が大きいのは、日本人から見ればうらやましい感じもするけど、フランスのはいきすぎ)。
うまくいえないけど、イギリスが縦割りだとしたら、フランスは横割りというか。

これはフランス人が著しく個人主義だということも関係あるだろう。
だから一か百かみたいになっちゃうのだと思う。
イギリスみたいに、10が10個とかいうことができないのだ。

そもそも、ドゴールがつくった第5共和制がこういう体制なのだ。
だからフランスの歴史は、立法(議会)が強いばらばらの時代と、今みたいに行政(政治)が強い一局集中型を、いったりきたりしている。いつも極端から極端に走っている。
第5共和制の見直しは提唱されているけど、こういう一局集中の横割り体制にしないと、フランス人は10を10個つくることが苦手だから、イギリスみたいなやり方は無理なんだと思う。


でもどうなんだろ。

確かに、日本から来た私には、イギリスのほうが親しみやすいし、わかりやすい。進んでいるとも感じさせる。表面的なことかもしれないけど、ロンドンで驚くことの一つは、デジタル関係やネット関係がものすごく普及していることだ。
これは福島の事故のときもそうだった。英国大使館は、避難する英国人むけに、ツイッターやフェイスブックのアカウントを立ち上げたのだ。そんなものは、フランス大使館はつくらなかった。メールは活用していたけれど。

そういう新しいテクノロジーを使いこなす社会を見ると(個人ではなく)、進んでいると感じてしまう。
でも、そういうことだけで見てもいいのかなという思いがする。それは大きな要素ではあるけど、最も大事なことではないと思う。(人の心は、そういう表面的なことで動いていくんだろうけどね)
社会主義思想と、資本主義思想というのは、二つの大きな人間の思想だ。
どちらがいいという問題ではない。
どうしても社会主義的な国のほうが遅れて見えてしまうのは、私が日本人で、アメリカの影響を強く強く受けているせいもあるんだろうな。
でも、フランスの水がなじむようになって、これは思想の違いであって、どちらがよいかは単純ではない大問題だと思うようになった。

ソ連は失敗した。というか、ソ連はもともと後進国で、共産主義であそこまで発展できたのだから、ロシアにとっては成功だったのだと思う。共産主義は、思想としては悪くないが、人間の本性にあわないということが判明した。でも共産主義と社会主義は違うと感じる。
じゃあアメリカは? アメリカ的資本主義は、欧州にはあわないと思う。日本にもあわない。意外と中国ならうまくいくかも。でもアメリカと違って中国は大陸だから、無理だろうな、やっぱり。
アメリカやソ連のような極端な形じゃないけど、依然として欧州の中に、やっぱり思想の対立はある。

これはその時代の経済にも影響されるだろう。
日本だって不景気になり、少子化問題や、高齢者の問題が深刻になると、「個人の力」「民間の活力」ではもうどうしようもなくなって、「行政がめんどうをみる」、つまり社会主義的な社会にならざるをえないのだ。

でも、国の経済としては大問題だ。
フランス国を支えてきた国営みたいな企業の数々。
アレバだの、EDFだの、本当にどうなるのか。
アレバのウラミンはいったいその後どうなっているのか。
EDFのイギリスの原発は、将来なにごともなくすむのだろうか。
だって投資ですよ。民間企業としてやれっていう話ですよ。新興国みたいに政府が事実上買っているんじゃないのよ。
あれ、事故が起こったら、今日本政府が震災に費やしている出費を、フランス政府がイギリス市民のために払うのだろうか。単位が億円・兆円だけども。(人ごとじゃないのよ。日本の企業だってEDFと同じことをしようとしているんだから)。
ラファールだってブラジルで、グリペンに負けちゃったよ。
おそるべき爆弾をたくさん抱えて、ミリヤール(10億)ユーロの単位で損失を抱え込んでいるし、抱え込むリスクをもっている。
よくこの国はもっているなあと思う。
もうほんとやっていることがソ連だよ。
でも、税金が高いとかいいながら、それでもなんとかなっているのは、この国は基本的に豊かなんだと考えざるをえない。

最近痛切にわかったんだけど、これにメスを入れようとしていたのがサルコジだったのね。
当時から、民間企業にカツを入れて、アメリカっぽい社会を目指そうとしていたとは感じていた。
しかし、一般のニュースを見ていると、景気と治安のニュースばかりで、大統領は直接投票なので、社会党のオランドに負けてしまった。
今、イギリスのエネルギー問題を見ていて(スコットランドの独立問題とも関係してくると思う)、イギリス人から見たサルコジ評みたいな昔の資料をみつけて読んでいて、「なるほど・・・」と思った。
当時から「アレバの解体」がどうという、きなくさい話はあった。その時に名前がちらちら出ていたのはアルストムという会社だった。アルストムっていうのは、フランスのTGVとかつくっている、鉄道の会社として有名。メトロの車両にアルストムのロゴが入ってます。
↓これ
alstom.jpg

でもこの会社、実はエネルギーも大きな柱。フランスの公益に関わる大会社にしては、珍しくまともな株式企業にみえる会社。アレバだのEDFは、もうほとんど国営と言ってもいいような感じなのに比べると、エラい違いという意味。
企業名を小耳にはさんだ当時から、「ということは、英米の資本が入っていて、背後にそっちからの協力があるのかな」「そういう力をバックにつけて、このソ連みたいな国をどうにかしたいと考えているのかな」と思っていた。
サルコジが次の大統領選の出馬を狙っているという話が合って、今日のクリスマスイブでも、ツイッターで意味深なセリフをクリスマスの挨拶で流したとか、ニュースでやっていた。
サルコジが一定の経済人から強く支持されるのは当然だなと思った。「このソ連みたいな体制をなんとかしてくれ」という期待なのだろうか。風穴を開けたいという気持ちもあるし、本当に国が破滅(破産)しかねないからやめてくれという気持ちもあるだろうし(私がフランス人ならこれだな)、新しい産業を興したいという人だっているだろう。このガチガチに固まった社会の構造改革をしてくれ、と期待しているのだろう。一度敗れた大統領が復活するというのはほとんどありえないのに、サルコジがありえるとしたら、大衆の気持ちなどという浮気者のレベルではなく、切実な「界」というか「一群」の人々の期待をになっているからなのだと思う。

私の意見では、本当におおまじめに、イギリスの原発、フランスでこれが一番の爆弾だと思う。。国の借金がGNPの額に届くとか言っているのよりももっと大問題。本当に何かあったら、イギリスとフランスで戦争がおこりかねない。私はこの問題を知って、「ああ、こうして欧州は戦争を繰り返してきたんだな」と深く理解した思いがした。今と昔では時代も中身も違うけど、欧州では隣国同士で「のっぴきらならぬ関わり」をしてきたのは、いつの時代も同じなんだと思う。フランスの場合、がまん強い人たちだし、個人主義者だから、うみがたまるまでがまんにがまんを重ね、爆発すると、革命ということになるんだろうな。
そして、現実問題として、これをやめさせるには、EDFを完全民営化するしかないのではないかと感じる。イギリスはそれをやった。これだけが、EDFの暴走、しいては国の暴走をとめる道なのだ。本当なら社会党は緑の党とくっついだんだし、政治主導でもっとやってしかるべきなんだけど。でもいまは4分の3を原発に頼っているのを半分にまで段階的に減らすといっているだけで、あっちこっちから反発がおきているから、政治の力だけじゃ無理なんだと思う。日本とおなじくらい、フランスでも巨大な利権構造と表にでない内部腐敗があるのではないか。


違う国の社会を客観的に見るのに、数字をもちだしたくなる。
でも、システムが違うと、数字だけみてもあまり参考にならない。
私はいま、欧州(連合)のエネルギー事情について調べているけど、いくらフランスが原発超大国だからといって、欧州の原発だけ見ててもダメなのと同じ。確かに電気代だけみると、フランスは高くはない。でも、イギリスでは暖房も台所もガスが主流。電気代だけみて論じても、意味がないのと同じ。社会を知らないと。

経済と社会を語るのに、最も大事な数字は失業率。でも、失業率だけ見ていても、ダメなのだと思う。確かに失業はどの国の人にとっても大問題だけれども。
フランスの失業の雰囲気は大体わかった。私はイギリスの雰囲気がどんなものか、まだ全然よくわかっていない。
ほんのちょっと前まで、イギリスは階級社会だった。
同じパブで、労働者階級とミドルクラスでは、入る入り口がわかれていたのだ。90年代までそういうパブは存在していた。この階級制度を変えたのは、サッチャーの教育改革だと認識している。(サッチャーは偉大だったのね)。ひどい階級差別はなくなって(だからロックもなくなった)、まだ年数が浅い。労働者階級だった人たちは、いまどうしているのだろう。彼らは今、何を考えているのだろう。
イギリス社会を知るには、民間企業のありかたと、そのあたりを知るのがカギになるような気がする。

どの国も苦しんでいる。
第二次世界大戦が終わって60年以上。戦争に行って生き残った人は、もうほとんどいない。子ども時代に戦争を経験した人すら、残り少なくなっている。本当に、社会は根本から変革しなければいけない時代になったのだろうと思う。どの先進国でも、戦争を知る人間がつくった今のシステムには、理由があった。その理由を自覚して運用している世代は、もう亡くなってしまった。今のシステムは時代遅れとなり、腐敗だけが取り残されてしまったのではないか。どこの国でも。

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