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ルーブル美術館の全室を見終わりました!!!

今日5月2日(土)、ルーブル美術館の全部の展示室を見終わりました!
あー、足掛け3年だわ。
メ・フェリシタシオン・ア・モワ!!!

いつも一人で見に行っているので、今日は座っている監視員の人に「お願いがあります。今日、私は3年かけて全部の部屋を見終わりました。おめでとうって言ってくれますか」と言ったら、美術が好きでこの仕事をやっていそうな彼は、パチパチ手をたたいて「おめでとう!」と言ってくれました。「でも、展示が変わるんですよね。この前久しぶりにドゥノンに行ったら、前になかった絵がありました」と言ったら「生きている美術館だからね」と言われました。

その後、某ちょこっと高級カフェで一人お祝いをしました。土曜日でバカンス期でしかも雨だったので、とても混んでいたのもあって、アイスコーヒーだけにしました。テーブルのお会計で、お店の葉書きカードをそえてくれました。給仕の男性は「どうも」とか言ったり、日本人に好意的で明るい人なのかなと思ったので、「すみません。今日は私にとって記念すべき日なんです。カードに「おめでとう」って書いてくれませんか」とお願いしたら、書いてくれました! お礼を言って、ちょっとチップを多めにおいて、出ようかなともそもそやっていると、なあんと!!! マカロンを4つ、お皿にのせてくれたんです!!! しかも、数分後に、生クリームをそえておいしいショコラも出してくれました!!! もう感激・・・・うるうるうる。。。。
忙しそうだったので、テーブルに敷かれた紙に「ありがとう!」とフランス語で書いて、出る時にそこにいた別の給仕の人に「同僚の方にお礼を伝えておいてください」と言ったら、彼がたまたまやってきて、「本当にありがとう。嬉しかったです」と言い、また見ていない作品がたくさんあることを言って、「でも全作品を見るのには10年かかるかも」と言ったら「またおいで!」と言ってくれたのでした。勇気をたくさんもらいました。

今日は私のルーブル記念日。

「人間史 90世紀を見終わったから、5月2日は(私の)ルーブル記念日」

・・・すみません、下手ですけど。。。


さて、長期閉鎖以外のすべての部屋を見終わって、ここで何を学んだか、総括して書いてみたいと思います。小さな事から、大きな事まで書いて行きます。

1、「ルーブルって宮殿だったんだ・・・!」

正直に告白します。私、美術館とばかり思っていました・・・(汗)。いや、美術館ですよ、もちろん。でもね、元々は宮殿だったんです。
あれは私が高校生のときだったか。外国人に東京を説明していた私は、「東京はものすごーーーく大きくて、中心がない」と言ったのです。でも後ではた!と気づいたんです。中心って皇居じゃない・・・。「居」の中に入った事がないから(というか見えもしない)、知らなかった。皇居って江戸城だったのか。知らなかった・・・。
今回も同じような感じです。ルーブルってパリのど真ん中、1区よね。王宮に決まっているじゃない。王宮ってベルサイユだと思ってた。不明を恥じるってこのことかも。

長期閉鎖をのぞいた公開している全部の展示室を見て、建築としてのルーブルの面白さを知る事ができました。それだけで「探訪」でした。あまり有名ではなくて人が来ない部屋々々で、遠い昔に存在した、もう失われてしまった文化の美術品が、ありし日を思い出させるように置かれていた展示室。あの独特の雰囲気、空気、、、、一生忘れられません。

2、絵の大きさ

本や映像で見ているとわからなかったのが、絵の大きさ。「この絵って、こんなに大きかったのか/小さかったのか」という発見。
単純な感想ですが、結構毎回驚いてました。
ただ、周りの環境による印象っていうのもある。ラファエロの聖母子像という有名な絵があります。このまえ下のナポレオンホールで、プッサン展に展示されてました。そこで見て「こんなに大きかったんだ」とびっくりしました。プッサン展は特別展だから、日本の展覧会と同じような感じ。いつも展示されているグランドギャラリーで見ると、そんなに大きい感じがしなかったんですよね。私はこの絵が好きで、前を通るたびに、必ず立ち止まって眺めていましたが。場所によって印象は変わりますね。
教会に飾られていた絵なんかは、実際に置かれていた教会では、もっと小さく見えたのかもしれません。
あと、「思っていたより色調が暗い」っていうケースは多いですね。撮影の時は細部が見えるようにかなり明るくしますのでね。印刷の具合もあるし。

(印刷物に関しては、これはなんとなくだけど、写真がデジタルになって、昔のポジからの印刷とちょっと変わったのかなという印象もあります。もっと昔の人なら、オフセットになった段階で変わったというでしょうね)。

3、何度も書いていますが、「知識として知ったものを見て確認」じゃなくて、「とにかく見て、感じて、あとから知識」という逆の方向に考えがかわったこと。

まずは見ると、いろいろな発見があったように思います。自分で考えられるというか。
今日の午前中に本を読んでいて気づいたんですが、「聖母マリアの戴冠」という絵があります。戴冠というくらいだから、ひと際上の存在になるのです。見ている時は「ふーん。こういうのもあるのか」と思って見ていましたが、昨日はた!と気づきました。私と同じように(前記事プッサン参照)、「神は永遠、キリストは復活、なのにマリア様は私たちと同じように死ぬだけなんて、あんまりだ!」と思う人々がたくさんいたんじゃないかと。もちろん聖母マリアは聖人ですけどね。それだけじゃ納得できない、物足りない、「我らが女性」(「ノートルダム」)なのに・・・と。
これが私の思い込みなのか、それとも宗教史の中ではとっくに言われていることなのか、全然知りません。でも、私はそう感じたんです。
「情報と知識は違う。情報は置き換え可能。知識は自分で体得したもの」という意見を読んだ事があります。これでいえば私は、本物の「知識」につながる大事なきっかけを、まずは見る事で得たのだと思います。

4、どのように歴史が描かれたかわかったこと

正確には、わかった「つもり」になったこと、ですけど・・・。
これはフランスに住むようになって割とすぐにわかったことだけど、日本で習う西洋史というのは、当の西洋で重用視されていること。当たり前と言えば当たり前なんだけど。
フランス史ならフランスで、ドイツ史ならドイツで重要な歴史的事項というのが、日本でも重要になる。ただ、欧州は日本と違って一国で独立して描けないので、「西洋史」を描くとなると、各国の見解が違うことがある難しさがあるでしょうが。
それは気づいていたけれど、さらにもう一方踏み込んでわかったと思う。

古代ギリシャローマが重要だと、同美術がたくさんあって、美術館でも大きなスペースを占めている。
イランは、イラン美術は独立して大きなスペースを占めることができるほど豊富。そして今も始終話題になる(問題になる?)ほど注目されている国。要するに大国なのでしょう。
キプロスなんて、過去に重要な文化があったことが美術館でわかる。今じゃ二分されているちっぽけな小さな島なのに、しっかり欧州連合の加盟国。

豊かな文化や文明があったから、それが美術品という証拠で残っている。
そのことが、ある国の現代の地位や、歴史での地位を決める。
いや、大きな影響を及ぼすような国があったからこそ、美術品の発掘や研究が盛んになったのか。
「卵が先か、鶏が先か」の議論になってしまうけど、どちらにせよ、美術品や発掘品というのは、何か重要な「あかし」であるということ。
ただ美しいというだけじゃない。
例えばですが。
いま、ウクライナが大きな問題になっている。ウクライナは「えっ、ロシアの一部じゃないの?」くらいに思っている人は、世界中に少なくないと思う。ほんの数点だけど、ルーブルにはウクライナの一部がローマ帝国領だったことを示す美術品がある。出土した場所は必ずプレートに書いてあるけれど、「ウクライナ」とあって私は驚いて、家に帰って調べてみた。・・・ほんとだ、現ウクライナの黒海沿岸部の地域は、ローマ帝国に入っていたんだ、、、と知った。全然知らなかったのです。
もちろん、ミュージアムはルーブルだけじゃないので、他の所にも美術品(出土品?)はあるのだと思う。でも、ルーブルに少しでもあることは実はとても大事なことなのではないのかしら。この本当に小さな展示が、ヨーロッパ人になりたいと切望する、今のウクライナ人のこれからの地位を決める「あかし」になるのではないか、と思いました。
私がいいたいのは、そういうことなんです。うまく伝えられませんが。。。

5、文明が去ったあとも、歴史は続いているということ

A civilisation, gone with the wind。(文明は、風と共に去った)。
アメリカの小説、「風と共に去りぬ」の映画の最初に出て来るセリフです。
風とは、この作品では戦争をさしました。

でも、この世から土地がなくならない限り、人がいる限り、そこに歴史は刻まれる。
これも、考えてみたら当たり前の話なんですけど。。。自覚がありませんでした。
例えばエジプト。古代エジプトが、クレオパトラの自殺によって滅亡というのは、よく知られている。
でもその後にエジプトがどうなったか。
私はそんなこと、考えた事がなかった。今もエジプトという国はあるというのに。
(もちろん、永久に無くなった国だってある。そのほうが、かえってわかりやすいのかもしれないけど)。
そういう「後のものがたり」というのは、実はすごく面白いんじゃないかと思ってます。

ルーブルで、私の目の前に存在したオブジェが「大文明は滅んでも、私たち人間はそこにいた。生きる営みを続けて来た。昔ほど素晴らしいものではなかったとしても、美しいものをつくり続けた」ということを伝えてくれました。
私は彼らの「昔ほど素晴らしいものではなかったとしても、美しいオブジェ」に人生観が変わるほどに感動しました。
この面白さに気づかせてくれたのは、ルーブルでした。

6、文明は融合する

5とも関係があるのですが。
偉大な文明が滅ぶと、たいていの場合、次に別の文明が占領します。
文明がおこるような豊かな土地を、他の人々がほっとかないからです。
そうすると、文明や文化の融合が起こります。
融合じゃなくて消え去る(つぶされる)ということもあると思います。
もっぱら力関係によるのでしょう。
ただ、前の文化が完全に一掃されるというのは無理なんじゃないかな。。。
日本だって、こんなに西洋化されて、例えば着物なんて日常で着ている人はいない。ほぼ消滅してしまったけど、それでも日本文化というのは存在している。そういうのに似ているのではないかな。
(日本は島国だから、大陸とは一緒に考えられないけど。。。)

「文明の融合」ーーこれは私のテーマとあっていて、とても興味があります。
この視点に興味をもったきっかけは、キューバでした。
ハバナで行なわれたキューバの宗教を描く写真展のおかげです。
ニューヨークのメトロポリタン美術館でインターンシップをしたことのあるオーストリア人の人が立てた企画です。彼とはすごく昔、アルルのユースホステルで出会いました。二人とも欧州最古と言われる、アルルで毎年開かれる写真展を見に来ていたんです。

ルーブルは、文明の融合という実例に満ちあふれていました。
ここにも、あそこにも。
私の前に繰り広げられる、人間が、思想が、文化が融合した確かな跡、証拠の品。
もう一度おさらいして、見直してみたいです。

7、知らなかった所が面白かった

西洋の絵画は、ある程度は知ってました。
それでも面白かったけど、やっぱりまったく未知のものが一番面白かったです。

館内も、どこかで見たような所じゃなくて、まるで迷路みたいな、まったく未知の空間が、いちばん興奮しました。

8、昔のものになればなるほど、ほとんど考古学。考古学と美術は違う。
考古学は「美術的価値や、当時の価値はともかく、古いだけで研究の価値がある」、美術は「鑑賞に耐えうるもの」という事だなと感じました。ルーブルでは両方展示されていることと、両者は違う事に、見ていて気づきました。

ルーブルは「美術館」、大英は「博物館」。どちらも英語ならミュージアム、フランス語ならミュゼだから同じ。でも日本語だと訳が2つある。実際には、ルーブルは博物館でもあり、大英は美術館でもある。でも、収蔵の品とか歴史を見ていくと、この訳は一応適していると思う。

考古学と美術があいまいなものも、結構ある。それに価値を与えるのは、見ている「わたし」。こんなにたくさんあるのだから、自分が好きなのを選べばいい。自分の好き嫌いや直観に頼っていい。
もちろん、ルーブルにあるということは、既に一定の価値は与えられているのでしょうけどね。
でも、全部が解明されているとはとても思えない。たくさんの考えるきっかけに満ちていると思う。
もし子どものときにこんなものを見ていたら、将来が違っていたかもしれないわ。
今さら私は研究者にはならないし、なれないけど、知識があるともっと自分が豊かになれると思います。


ルーブルは本当にみんなに愛されているのね。国を問わず、たくさんの人をひきつけるのだわ。芸術っていいな。
もちろん、当時はそんな大人しい存在じゃなかったものは多い。もっと生々しい、芸術家と依頼者や社会・政治との闘いだったものもたくさんあった。でも、年月がたって鑑賞にたえるものだけが残された(考古学の域のものは別)。

この偉大な存在の中で、自分はどこのピースに当てはまるのだろう。ただ見ているだけ。それで、もちろんいい。もともと見せるためにミュージアムは存在しているのだから。
監視員として働いている人と話す機会がわりとあったけど(自分から話しかけたんでですが・・・)、やっぱり美術が好きなんだと思う。たとえ複雑な仕事じゃなくても、美術の側にいたかったんだと思えるような風情の人が多い。
ルーブルとの関わり方は人それぞれ。旅行者として、2時間だけ見るのもいいと思う。でも私は、何かもっと自分にできることがあるのではないかと追求したい思いがあるし、それをしたいと思ってる。
うまくいくかどうかはわからないけれども。
でも、全部見られたなんて、それだけできっと私は幸せ者なんだわ。

今日は一つのお終いだけど、新たなスタートにしたいと思っています。



ルーブル美術館通い16 「Poussin et Dieu(プーサンと神)」「神聖なイメージの制作」という展覧会

追記/友達が「ホモは差別用語」と教えてくれました。知りませんでした・・・。すみません。以下の文章を「ゲイ」と直したうえで、読み直してみて、誤解を招かないように一部追記しました。書いていて「そういえばホモというのはヘテロの逆の語だから、ホモといったらレズも入るのだろうか」とは思ったのですが、「でも外国語ならともかく、日本語でホモといったら男性を指すから、まあいいかな」と思ったんです。まさか差別用語とは知りませんでした。ところで「ホモ」はダメだけど「ホモセクシュアル」ならいいのかな??? 言葉は難しい。。。

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ルーブルの特別展で、「Poussin et Dieu(プーサンと神)」というものをやっています。
同時展として、「 La fabrique des saintes images Rome-Paris, 1580-1660」(神聖なイメージの制作)」というのも、合わせてやっています。

ニコラ・プッサンは、17世紀、フランスで言うとルイ13世の時代の有名な画家です。
画家の人生の大半をローマで過ごしていて、一度ルイ13世に呼ばれてパリにいったんだけど、嫉妬やら何やらで嫌になり、ローマにまた戻ったそうです。

教会のために描いたせいか、大きい絵が多かったです。

でも。。。やっぱりキリスト教はわからない。難しい。
古代のテーマもあるんだけどね。

そこに「聖母の死」という、どこかで見たような絵がありました。
展覧会が始まる前に、ルーブルの常設展で見たのかな?
MortVierge.jpg

そこで思ったのだけど。
なぜ聖母マリアって死んだの?
すみません、変な質問で。

神は永遠だから死なない。
イエスキリストは、十字架にはりつけにされて殺されたけど、復活した。
で・・・聖母マリアは死んだままなの?
それって不公平じゃない?
なんだか納得できない。
あれほど讃えられていて、イエスを上回ると思えるほど芸術家によって作品がつくられて、人々の信仰を集めているのに、普通の人間と同じように死んだままなの?
納得できない。
女性差別だ!というのは言い過ぎにしても。
当時は子どもを産んで死んじゃった女性がたくさんいたんだから、蘇ってくれないと救いがないじゃないか。それとも「神の子を産んだマリア様といえど、死から免れられない」ということなのかしら。
そういえばこの前、ムッシューが「プロテスタントの人は、聖母マリアとは言わないんだよ。聖人はいないからね」と教えてくれた。
カトリックとプロテスタントの違いは、教科書で習ったようなことしか知らないのだけど、プロテスタントではマリア様を一人の人間としてとらえるのかしら。

でも、本当にプーサンは華やかな絵よね。彼は、宗教改革(プロテスタント)がおこって、それに対抗するためにカトリック界が絵などを使ってさらに対抗した時代に生きたとあったので、色などをふんだんに使ったものが求められたのかしら。

頭がごちゃごちゃしてきたので、まとめてみる。

1517年 マルティン・ルターによる『95ヶ条の論題』。宗教改革の始まりといっていい。
1545年ー1563年に3回「トリエント公会議」というのがあって、これが宗教改革(プロテスタント)に対抗するカトリックの反宗教改革の頂点らしい(最近は、対抗宗教改革というそうだ)
1549年 反宗教改革の有名な修道会、イエズス会の大物ザビエルが日本に来た。
1580年頃から17世紀にかけて、カトリック教会の反宗教改革の後押しをうけてバロック芸術が開花。

1594年ー1665年がプッサンの生涯だから、まさにバロック時代ですね。

面白かったのは、プッサンの受胎告知。大きい油絵と、小さいものがあったんだけど、大天使ガブリエルが「えいっ!」と何かこうマリア様に投げ入れ込んでいる感じ。なんだか微笑ましく笑えた。大きいほうはロンドンナショナルギャラリーにあるものだそうだ。

annonc.jpg
上と下が切れていますが。

同じく「 La fabrique des saintes images Rome-Paris, 1580-1660」(神聖なイメージの制作)」という展覧会が同時に見られた。
入場券見せて入り口をはいって、右がプッサン、左がこの展覧会。
ここで、カラバッジオの「聖母の死」がかかっていた。
あ、たぶんこれだ、私が見たのは。
プッサンの「聖母の死」とそっくり。

CaraVergine.jpg

カラバッジオのほうには、制作年がはっきり書かれていなかったけど、彼はプッサンが描く前に死んでいるので、間違いなくカラバッジオのほうが先。(これを確かめるために、往復。広くて結構疲れる)

今、家に帰ってみてみたら、ウイキ情報だけど、カラバッジオのほうが1605−6年制作、プッサンのほうが1623年制作だそう。
カラバッジオのほうは、そのへんのおばさんが死んだみたいで、天使も飛んでいない。唯一紅いカーテンや光の感じが荘厳といえないこともない。でも、本当に悲しそう。。。手前の女性(娘???)や奥の男性(夫???)が特に。
それに対してプッサンの絵は、ちゃんと天使も飛んでいるし、聖職者もいる。カラバッジオによって「町の女性のようなリアルっぽいマリア様」という斬新な絵がうまれていたのに、絵まで元に戻って反動しているのね。政治の影響ってすごい。人は社会や政治と無関係に生きられませんね。

プッサンのほうは、パリのノートルダム寺院のために描かれたけど、革命がおきて一時はルーブルにいったものの、その後色々あって行方不明だったのが、ベルギーの教会でみつかったそうです。

でも、カトリックは、本当に文化は豊か。お金と権力がありすぎて、腐敗があって大変だったのでしょうが、芸術的には素晴らしい。プロテスタントはこういうものを否定した。教義も芸術も極めてシンプルになった。これも、前に書いたイスラム教の興りと似ているのかも。はっきり言うけど、やっぱり当時はドイツは芸術がとぼしいものね。オランダにはあるのに。
もちろん、プロテスタントの基本思想は、腐敗を正すことだったのだと思う。でもそれだけではなくて、何もない所から新しい事始めるのならミニマリズムに走るというか、他にやりようがないというか。

いや、それにしても、カラバッジオはゲイよね。ミケランジェロもゲイだったそうですが。
こんなこと書いたら怒られそうだけど、キリスト教ってゲイを誘発するものがあるかも。。。だって磷り付けの絵なんて痛そうじゃない。しかも裸体。
弱々しく描けば、あまりにも痛そう。仏教の穏やかな像を見慣れている日本人の私には「あれを崇めるのか・・・」とどうしてもわからない。
聖なる存在だからと、たくましく描けばなんだかマゾっぽくなる感じがする。
なんかこう・・・男の世界だわ。母体のユダヤ教がマッチョなのか。当時の社会はそれが普通だったのか。これも私の理解の域を超えている。「そういうものを崇めた外国」という姿勢でしか理解できない。

なぜこんな事を言うかというと、もう一つの「神聖なイメージの制作」展のほうを見ていて、なんだかそんなことを考えさせられたんです。

貼付けになったイエスの表情とか、十字架に貼付けられた筋肉の感じを、練習で素描で丁寧に描いている作品が色々あって、「こんな細かく考えながら描いているのね」と思った。「あの筋肉一つとっても、考えがあって描いているのだろう」とわかったような気持ちになった。どの程度の筋肉具合にするか、ちゃんと考えて、一本一本の線を描いているということは、男の画家が男の裸体を一生懸命考えて描いているわけで、、、「うーん・・・」と思ったのです。
私、女性の裸体を一生懸命描くなんて、まったく趣味じゃないわ。もちろん、絵の上達のためなら練習で描くのは構わないけど。でも、当時はみんな信者だから、絵の練習とかそういうものではないでしょう。信者が誠心誠意、魂をこめて、男が男の裸体を描くわけで・・・。いやいや、こんなのは不信心者の不届きな考えなのだろうけど、でもねえ。

それを言うなら、古代ギリシャローマだって同じ。
ただ、古代は彫刻が多い。絵は、壷に描いてあるのは残っているけど、わりと自然に近い感じ。ちょっと様式化されているところもある。絵はほとんどない。あったのに失われてしまっただけかもしれないけど。
男も女もムキムキした彫刻。さすがに女の裸の彫刻はないとはいえ、一応男女ともにリアルな感じ。でも、中世のキリスト教芸術は様式化されている感じだけど、それ以降のキリスト教芸術は、そういう感じじゃない。
(まあ、日本の仏教界もゲイの様相があったけど。お稚児さんとか・・・なぜそうなる??? 洋の東西で同じ要素と違う要素を比べたら興味深いかも)。

何年か前にオルセー美術館でゲイの系譜みたいな特別展をやっていた。詳しく覚えていないけど、「ああ、やっぱりキリスト教芸術には、はっきりゲイの跡があるんだな。単なる聖なる存在というだけじゃない。勇気ある展覧会だなあ」と思ったのは覚えている。
聖セバスティアヌスはよく出ていた(三島由起夫が好きな)。でも、現代においてすら、公けに堂々と言っていいと許容されているのは、せいぜい聖セバスティアヌスまでなのかな。それに、いくら現代でも、オルセーだから出来るのかも。あの展覧会、ルーブルじゃ絶対にできそうにない・・・。

やっぱり、女性の私としては、ゲイらしい芸術ならそうだと、ごまかさずに言ってほしいわけです。ミケランジェロの「奴隷」なんて、ゲイの人にはたまらなくセクシーな男性、そういうものをミケランジェロは描いたのだろう、と堂々と言えばいいじゃないの。
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「魂は肉体に閉じ込められた奴隷云々」「新プラトン主義の影響が云々」。そういう面もあるのだろうけど、あの実物みて本当にそれだけと思うのか。高尚な解説のみをしているプロの方々、本当にあの像をルーブルで見て、なんてセクシー(あるいは、なんだかヤラしい)と思わなかったのですか。思わないのなら、変なんじゃないですか。思ったのなら、なぜ言わないのですか(とケンカを売ってみる)。
「確かにそうだわ。でも、本当にエロチックでよく出来ている。私の趣味じゃないけど(というか女性なのでゲイになれない。レズにはなれるけど)、美しい芸術作品だわ」と見ている私は思う。美術だから、ミケランジェロだから、古代をテーマにしているからと、ゲイという彼の嗜好を無視した高尚な解説をしなくても別にいいじゃないの。
でもさすがに、古代をテーマにした作品ならまだ言えても、キリスト教がからむと何かとまずいのでしょうが・・・。でも、日本はキリスト教文化圏じゃない。だからはっきり言って風穴を開ける事ができるのに。現地の人にはできないことでも、外国人だからできる。それが外国人に期待されている役割でもあるのに。現地の研究文献を訳して日本に紹介するだけが研究じゃないでしょう。

それに、はっきりさせないと、異議も唱えようがない。女の私としては、ゲイと同じくらいレズがいて、彼女達の存在感があるのならまあいい。まったく趣味じゃないから実際あったら嫌だろうけど、そういう問題ではない。私の趣味なんかどうでもいいのだ。私は社会の話をしているのです。男性が政治社会を牛耳り、しかも芸術家にゲイが多いのでは、女性がいる場所がないじゃないの。しかもそれを「あれはあの方の嗜好/芸術の傾向」ととらえていいのではなくて、「聖なるものとして・芸術として崇めよ」とされるなんて、ひどい。納得できない(こればっかり)。
当時はどんな反応だったんだろう。人々はどういう受け止め方をしていたんだろう。

(でもね、はっきり言うけど、あの有名な「ガブリエル・デストレとその姉妹ビヤール公爵夫人とみなされる肖像」なんて、レズと断言はしないまでも、レズっ気が絶対にあると思うわ。
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まったく私の趣味じゃないけど、数少ない「レズ(のようなもの)」の存在を示す絵だと、描いた画家の勇気をたたえ、正当に評価するべきでしょう。あ、また批評家に怒られそうなこと書いちゃった。ま、私、職業は美術評論家じゃないし~)



しかも、政治権力や宗教権力と密接にかかわっているでしょう? まるで、ファーストレディといいながら実際はただの恋人で、税金使ってたオランド大統領の元恋人ヴァレリーさん事件のような。
うまく言えないけど、要するに「ごまかすな」と言いたいわけです。はっきりさせればいい。そのうえで批評なり批判なりすればいい。当時は宗教の制約が強くて、そういうなかで芸術家は自分の表現を最大限にしたいと思っていたんだろうけれど、今は現代。なのにオープンにできない。これって逆差別とも言えるのでは。もちろん今でもたくさん信者がいるから配慮が必要なのはわかるけど、芸術作品なんだから、批評はもっと自由であってほしい。

一応話を元にもどすと、プッサンはそういう感じはまったくありませんでした。彼はヘテロでしょう。

どういうキリストを描くのかというのは、画家の嗜好を反影しているのかも。キリストよりもマリア様や他の聖人たちを描くのが好きな画家もいるのでしょう。当時の流行や、土地の風潮だけじゃなくて、そういう点で作家をみたら面白いかも。

ところで、来ていたお客ですが、男性が目につきました。「いかにもな白人」という感じの人たち。普通、平日に行く展覧会で女性が多いのは当たり前として、ちょっといつもと違うなと思ったのは、40ー50代以降の、白人の、ちゃんとした会社で部長とか課長をしているのかなという雰囲気の男性たち。もっと若い人もいたけど。白人率圧倒的に高し。あ、でも黒人もいたかも。単なる美術鑑賞だけじゃなくて、フランスの誇る宗教画家をみにきたという感じなのかも。信者が結構きているんだろうな、と思いました。老夫婦なんかそうでしょうね。あと英語話している人も結構いたわ。

最後に、一つ。
聖母の死を見て思いました。
聖母も亡くなった。
みんな悲しんでいる。
でも、悲しんでいる人も死ぬのだ。
聖母の死を悲しんだ人はみんな死んで、もう誰も生きていない。
ーーーそんなことを見て思いました。


ルーブルで知り合ったムッシューの話

そのムッシューは、もうおじいちゃん。
明らかに定年退職者。

私があるフランス絵画を「これって何か意味があるのかなー」と思いながら、キャプションも読みつつ見ていたところ、そのムッシューと、もう少し若い40代か50代くらいの男性の二人連れがやってきて、同じように見ていた。お二人は話しながら見ていたのだけど、その内容がすばらしいこと。よほどの愛好家か、芸術関係のお仕事をしている人かなと思わせた(職業アーティストには見えなかった。趣味でかいていることはあるかもしれないけど)。

なので、「この絵って、こういう意味なんでしょうか」と、ちょっと話しかけてみた。こういうことは、フランスではよくある。
普通の場合、ちょっと立ち話をして「ボンソワール(良い夜を。さようなら)」などとなるのだが、相手が私が日本人と知って、ちょうど前にグラン・パレで終わった大北斎展の話になった。(これはすごい展覧会でしたが、話がそれるのでまた今度)。
そんなんで結構長い事立ち話をして、ある曜日に来る事が多いというので、思いきって私から連絡先を聞いて、しばらく後に私から連絡をしてみた。
これがなれそめ(?)。

それで別の日、そのムッシューと一緒にルーブルを歩いたのだけど・・・。
本当に面白かった。彼が「これは私の意見なんだけど」というところが面白い。
例えば、ミケランジェロの「奴隷」は、ルーブルがもつ傑作の一つ。
どの言語のどの解説書を見ても、まじめな解説が書いてある。
確かに、すばらしい出来の彫刻である。息づかいが聞こえるような。
でも・・・なんかなあという感想はもっていた。
どんなまじめな解説を見ても、ピンとこない。
ムッシューは「ミケランジェロはホモセクシュエルだった。もし私がホモだったら、この彫刻をうっとり眺めるだろうね」と言った。
思いっきり、ツボにはまった解説だった。まさにそう!!!と思った。
あと彼は「私は、オルセーの女性の彫刻のほうがすきだ。とても色っぽくて官能的だから。ルーブルの彫刻は今ひとつ」と言った。
私が「確かに、全部男っぽいですね」というと、「女神などの像なので、完璧すぎるのかもしれないけどね」と笑っていた。
彼のおかげで、私がはっきり自覚はしないけど、漠然と感じていた思いを、言葉ではっきり自覚することができた。
ルーブルは、全体的に、大変男っぽい。
オルセーは、女っぽい。
ルーブル美術館は、いくつかの例外はあるものの、基本的に1848年のものまでとなっている。
芸術をうみだすのが、個人のもの、個人の表現となった時代のものは、ルーブルにはほとんどない。
言い方を変えれば、芸術が人々・市民のものとなり、民主化する以前のものである。
なにかしら、国家権力や財力のある有力者とかかわっているのだ。
これはメソポタミアから、19世紀前半のヨーロッパの芸術まで、変わらない。
そういう時代には、女性は色っぽく表現されなかったというのは、大変興味深い。

国家権力や財力と結びつくと、男っぽくなるというのは、なんとなくわかる感じがする。
でも、それだけじゃない。
王様が好色で、愛人を次から次へととりかえていても、彼女達の美しく描かれたまともな肖像画は残っても、色っぽい絵や彫刻はなかったのだ。
いろいろ理由は考えつく。
一番の理由は、宗教のように思う。
前に何かで西欧絵画について読んだけど、芸術家が自分の思いを描くには、ギリシャローマの神話の神様とか、聖人の名前を借りなければならなかったということだった。つまり、自由に描ける世界じゃなかったということ。
(だからミケランジェロの「奴隷」も、古代美の追求ということになっているのでしょうね。本当にそうでもありますが・・・)

ムッシュー曰く、西欧の画家が本当に好んで描いた女性が4人いるそうで。そのうちの一人が、有名な「マグダラのマリア」。

元娼婦ということで、それはそれは美しく色っぽく描かれていることが多い。髪は結ばずにながくおろされて・・・これだけで珍しい。画家が「美しく官能的な女性を描きたい!」と思うと、「これはマグダラのマリアです!」という言い訳(?)のもとに描かなければならなかったのだと思う。というか、女性の貞操が重視された時代では、色っぽい女そのものが、実際に存在しなかったのかもしれないけど。

女性の地位が低かったことも関係あるだろう。
キリスト教世界の中世のほうが、まだギリシャ・ローマ時代よりも、女性の地位が高かったと聞いた事があるけれど、まだどういうことが調べられずにいる。

解説書にのっている知識がなくては理解はできない。でも、それだけじゃ本当にはわからない。
私も、最初はいちいち解説を見ながら見ていたけど、あまりにも数が多すぎるので、「まずはとにかく見よう!感じよう!」という方針に変わった。「何がこの部屋に展示されているか」くらいは確認したけどね。
ルーブルをほとんど全部見終わって、一番の収穫は、「知識で得たものを、経験して確認」ではなくて、「経験したものを、あれはああいう意味だったのか、と後から確認」するという逆の方向になったことだと思う。

高校生のとき、生物の夏休みの宿題があった。確か自由研究だったけど、先生が一番評価したのは、本を読んで研究したものではなかった(私はこれでした)。内容は忘れたけど、ある男子生徒が、ちょっと疑問に思ったことをきっかけに、毎日水をあげてどうなったのか記録をとった研究を、先生はほめにほめて、最高に評価したのだった。それ自体は、世紀の発見とかいうものではなく、おそらく本で調べれば、すでに結果もわかっているし、さらに深い事実も明らかにされていることだったのだろう。でも「これが科学にはもっとも大事な事なんだ」とほめていたのだ。なぜか強烈に覚えている。

ルーブルは科学ではないけれど、私がルーブルで体験したことは、これに近いと思う。

ルーブルも終わりという時期に、ムッシューに出会えたのは、本当に幸せだったと思う。
他にも、幼子キリストの髪型の話など、本当に面白かった。
そんなに始終会うわけではないけれど、たまに会って、これからもお話を聞きたいと思っています。


あと少しでルーブル美術館も終わり。。。

ルーブル美術館も、あと2回で見終わっちゃう。
いえ、量的にはあと1回ですんじゃうんだけど。

まだ見ていない所というのは、一つひとつ詳細に見ていないという意味で、その場所はもう何度も通っている。昨日4月22日で、「まったく見た事も通った事もない」という所は全部終わってしまった。王政復古や7月王制の工芸品のところなんだけど、奥まっているので行った事が一度もなかったのです(ここ、天井が低かった。珍しい)。

というわけで、「ルーブルという宮殿/建物」を見るのは、昨日で全部終わってしまった。
これが面白かったのよ。
いかにも宮殿だった美しいところも素晴らしかったけど、まるで迷路のような異空間も楽しかった。具体的には、半地下のところと、フランス式1回のシュリー館。

しかし、ルーブルは意外と絵が少ないわね。
・・・なんて、言っている場合じゃないけど(汗)。
あまりにも見すぎて、感覚がマヒしたのかも。時間もかけたので、単に前の事を忘れているだけかも。
ここにいっぱいないのなら、いったい世界のどこにたくさんあるというのか。
でもやっぱり思う。意外と絵が少ないな、って。
一つには、オルセーと分けているっていうのもあると思う。
他にもたくさん、絵の美術館はパリや他の所にあるしね。

それから、ルーブルって絵と彫刻というイメージが強く、日本人の中にはそれしかないと思い込んでいる人がいる(日本人だけじゃないみたいだけど)。たいていはモナリザを見に行って、ナポレオンの戴冠を見て、あのへんの絵画を見て、彫刻ではミロのビーナスとニケは見ても、それだけで迷子になって巨大なので疲れ果て、「すごかった」という感想とともに帰って行くというパターン。ツアーに申し込んでも、見るのはたいていこのあたりのみ。
確かに、ここだけで「すごーい!」と思わせる内容だし、ルーブルの目玉ではあるけれど、全体から見たらごく一部にすぎない。だから全体を見ちゃうと「意外に絵が少ない」という感想になってしまったのかも。

あと、日本でのルーブル解説が、圧倒的に絵に偏っているというのはある。専門家というのは、自分の専門しか語らない。しかも細分化している。例えば、近代以降のフランス絵画専門の人なら、イタリアは語る事があっても、オランダやドイツまでは躊躇する人も割といるという感じ。それは研究者の良心と謙虚な姿勢であって、全然悪い事じゃない。ただ、そういう方々が発表したものを見ている読者は、ルーブル=絵と刷り込まれてしまう。フランス・イタリア絵画のところは、ルーブル全体から見ると・・・そうだなあ、5分の1か6分の1くらいかしら。
逆に言うと、他にたくさんのジャンルがあるのに、日本ではあまりメジャーな存在じゃない。研究者が少ないのか、いても注目されないのか。「いないわけじゃない。もちろんちゃんといることはいるが、絵画に比べれば少なく、注目度も低い」というあたりが正解だろう。理由は、絵画は展覧会で日本にもってこられるけど、他のはなかなかもってこられないせいかもしれない。やっぱり、本物を見る機会に恵まれれば、人は関心をもつものね。それに、絵は画集でみても良さは伝わる。オブジェはより難しい。

やっぱり、知らなかったところが一番感動したわ。
既に知っていた本物の絵を見るのも感動するけれど、新しい発見が一番楽しい。

全部見終わったらまた書くけれど、なんだかがっくり来ちゃった。寂しい・・・。

全部見終わったら、どうしようかな。館内にあるアンジェリーナで、豪華な昼食でもしようかな。

ルーブル美術館通い 15 サモトラケのニケ

今日は復活祭です。
いいお天気!

ルーブルもあと少しで全部見終わります。
すっかり詳しくなりました。もはや、まったく迷子になりません。
身障者のためにある1階移動のみのエレベーターと、実に便利なエレベーターの区別もつきます。
トイレの場所もわかります。中は本当にトイレが少ないけどね・・・。

もっとも、今頃最初に見たところでは、作品の展示が一部入れ替わっているのでしょうね。
しばらく行かなかった所に、新しいショップができているし。
絶対に全作品を見るなんて、ムリ。

今回は、サモトラケのニケです。
台座の船の部分が大幅に修復され、像も汚れをとってきれいになりました。
この像は本当にカッコいい。

nike1.jpg

正面右ななめが、絶好の角度です!
最初見た時は、「へえ」くらいだったのだけど、何度も前を通って、見れば見るほど、「カッコいい!」と思うようになった。修復されて、船の部分が少し高くなったことや、きれいになったというのもあると思う。前は薄汚れていたので。

フランス絵画を見ていたら、こんなのに出会いました。
光っちゃいましたけど。

louis.JPG

これは、フィリップ・ドゥ・シャンパーニュという画家が1635年に描いた「ルイ13世とラ・ヴィクトワール」という絵です。ヴィクトワールとは「勝利」という意味です。
見にくいですが、勝利の女神が、ルイ13世に、月桂樹の王冠をかぶせようとしているのです。月桂樹の王冠とは、ローマ時代の王の象徴です。

それでこの女性です。フランスの象徴・マリアンヌも思い出させますが、やっぱり「ニケ」でしょう!

調べている途中でわかったのですが、「サモトラケのニケ」は、フランス語で「La Victoire de Samothrace」というのです。まさにそのまま。「ラ・ヴィクトワール」。

それと、翼があるのは、勝利のニュースを知らせてまわるためだそうです。メッセンジャーですね。キリスト教の大天使ガブリエルは、明らかにニケのイメージがありますね。男になっちゃったけど。

それと、パソコンに打ち込んで気づいたのですが、「ニケ」って「NIke」。スポーツメーカーのナイキと同じじゃない・・・と思ったら、やっぱりそうなんですって。あのマークは、サモトラケのニケの翼をイメージしたものだそうです。
この像の所を通るたびに、いつもたくさんの観光客が写真をとって眺めている。ああいう人々の中に、昔、ナイキの創設者がいたんですね。そんな成功者も、かつてこのルーブルの中で、ここに立って、あの像を眺めていた。

さて、ニケが修復されたので、像の後ろの部屋で小さいニケ展が開かれています。そこに、ニケがサモトラケ島でどのように展示されたいたかを示す3Gビデオがありました。船の上に建てられて航海していたんじゃないのね(汗)。島の神殿に設置されていたそうなのですが。その様子が、これ。

nikearms.JPG

ビデオを撮ったので、後ろが流れているけど。
ちょっとこれ、かなりがっくりじゃない?
こんなんだったの?
やだわ、こんなニケ。
同じくルーブルにある、ミロのビーナスのことを思い出した。
あの像は、像としては大したことないという評価がある。
それは何だかわかる。「なぜあの像にみんな大騒ぎしているんだろ」「そんなにいいか?」と他の像を山ほど見たあとに思う。
ミロが人をひきつけるのは、腕がないからだと言われている。
腕が欠けていることが、人々のインスピレーションを刺激してやまないのだ、と。
それと、今あるギリシャの像は、ほとんどがローマ時代につくられた(復刻された?)ものだからだそうで、そのためもあるのだろう。ギリシャ時代に本当に創られた像というだけで貴重なのだ。(ギリシャではどうだか知らないけど)。


ニケも同じなのだろうか。
腕があったら幻滅なのだろうか。
でも、ニケはミロと違って、腕がなくても素晴らしい彫像だと思うなあ。

なんでも、サモトラキ島の神殿は「偉大な神々への崇拝や、秘教的な祭式をとり行う場所として作られた複数の建物が集まる古代の名所」だったんだそう。ニケはかなりつなぎ合わされて、修復されているけど、それでもあれほど良い状態で残っているので、屋根があったのだろうと言われている。
(ニケの右腕の一部はルーブルにあるそうだ。公開されていないけど)。

なぜビデオのような腕の形になったかは、もう一つルーブルにある小さいニケ像にならったのかもしれない。↓ これ。
petitnike.jpg

左腕が違いますね。
他にも色々な想像図がある。コインに残っているニケ像なんていうのもある。右手は笛をもっていて吹いているという図もあれば、右手には勝利の月桂樹の冠をもっているのもある。どのみち、右手は上げているということになっているみたい。




ところで、この前ナシオン駅の近くに住んでいる友達の家を尋ねたのですが、「仕事が遅れて用意がまにあわない!ちょっと遅れて来て」というので、ナシオンで時間をつぶすことに。ナシオンの真ん中には、革命を記念したマリアンヌの像が建っています。私は、パリの街の中にある像のなかで、これが一番好き(全部知っているわけじゃないけどね・・・)。
正面から見ると、こういうもの。

nation1.JPG

実際は、像のまわりを車がロータリー式で走っているので、もっと遠目になります。
渡って近づいて見てみようと思って、横断歩道を探して渡りました。
その横断歩道はちょうど、正面右にあったのですが・・・。

 ↓こんな感じ。
nation2.JPG

ううっ! これはニケだ!!!
足を踏み出している、ドレープがまとわりついている、あの感じ。
今まで何度も何度も見てきたのに、なぜ気づかなかったのだろう。

見ていたら、犬を2匹散歩させているおじさん(おじいさん?)が、「像の説明を聞きたい人!」と叫んだ。私の他に、黒人の男性が二人ほど、説明に聞き入った。像の説明も面白かったけど、ナシオンの説明も面白かった。教えてもらった歴史的場所には今度行ってみよう。
「この像はニケに似てますね」というと「そうか?」「足の感じとか」「まあそうだな」みたいな反応でした。
ちなみにフランス語の発音「サモトラス」じゃなくて「サモトラケ」のニケと言ったら最初は通じませんでした。「ルーブルにある有名なギリシャの像」といったら「ああ!サモトラスのニケね!」と通じました。

この像の周りには、あちこちに「私はシャルリ」と書いてありました。
見えるかな。
nation3.JPG

でも逆に「シャルリ・エブドは、讃歌(国歌)ではない」と書かれたものも。
nation4.JPG

すごーーーく前に、兼高かおるさんにインタビューしたことがあります。私が「どこに行っても、テレビで見たという感じがしてしまう」と言ったら、「近づいて見てご覧なさい」とおっしゃった。そのことを思い出しました。何でも近づいて見る。すごく大事な事だなと思いました。


さて、ルーブルに戻りますが、見回っているスタッフの男性が、壁にかかっている時計を見ました。気にもとめなかったのですが、そこに時計があったのです。動いていました。展示品じゃないらしい。
tokei.JPG

携帯の時計を見ながら、その男性に「これ合っているのですか」というと「15分遅れている」という。「これ見ていると、15分余計に働かなくちゃいけなくなりますね」というと、「大丈夫、朝15分遅れて来るから」と言いました。冗談じゃなかったりして(笑)。「フランスっていうか、ラテンっぽいですね〜」と笑いながら答えました。


帰りに、ルーブルを出たところの地下鉄で、男の人がアコーディオンを弾きながら歌っていました。
russeL.JPG

この場所は、よく音楽家の人が演奏しているところ。歌とアコーディオン、両方やっているのは珍しい。声はプロっぽくはないけど、かなり良い。哀感がある、すごく素敵な曲でした。フランスっぽくないメロディ。毎日のようにどこかで辻音楽家は会うけど、この人の歌はかなり印象的でした。チップを入れて、演奏が終わった時に拍手。話しかけてみたら、ロシア人でした。ウクライナの近くのヴォルゴグラードの近くから来たんだそうです(私はやっぱり、音楽はロシアとイタリアが好きだわ)。大昔の記憶をたどってロシア語で話してみたら、通じました! でも私がロシア語ができると思ったのか、ロシア語で話されてしまい、全然ダメでした。。。もっと学生時代勉強していれば・・・(がっくり)。でも「スパシーバ」は覚えていた。スパシーバって言いに戻ったら、喜んでくれた。

どんな人生を背負った人なんだろう。
ウクライナで起きている内戦と関係があるのだろうか。

自由と平等を求めて革命を起こしたマリアンヌの国には、たくさんの人が集まって来る。
この国には、人をひきつけてやまない、歴史と文明と思想がある。

ルーブル美術館通い 14

今日は本当に色々収穫がありました。

今日は、「ここは見たっけ?」とわからなくなっている、ちょこちょこした部分を見てまわりました。
彫刻のところは、結局既に全部見た感じがする。王朝期のフランスの部屋という、新しいセクションは、こちらも既に全部見ていた。奥があるかと思ったんだけど。

彫刻のところを見ていると、一つはっとさせられる像がありました。

これです。↓
EC2.JPG

十字架にもたれるイエス・キリストの像です。

私は今まで、おそらく千以上のキリストの彫像や絵を見た事があります。実物、写真、テレビや映画などなど。教会があれば、時間があれば中を見るようにしているので、そこでも見ます。

でも、正直に言って、今までただの一度たりとも感動したことがありませんでした。そもそも理解できないのです。理屈では、なぜキリストが信仰されるのか知ってます。でも、マリア様を見ると、素直に「いいなあ」「すてき」「心が安らぐ感じ」「崇高な感じ」「自然とお祈りしたくなる」などと思えることが多いのに、キリストはまったくダメ。全然「?????」でした。

私はきっと、珍しい日本人じゃないと思います。日本に布教にきた宣教師が、日本人はキリストがわからないと嘆いていたそうですから。マリア様には信仰が集まりましたが。

ところが、今日、うまれて初めて、このキリスト像に心が動かされました。

なんでだろう・・・単にハンサムそうでカッコいいから???

そのとき、わかったのです。
このキリストは、カート・コバーンに似ている!!!

もう1枚。
EC1.jpg

ーーーといって、わかるかしら。ニルヴァーナっていうロックグループなんですけど。
私の心の青春です(苦笑・・・)。
ロックって、ほんの数年ずれるだけで、世代が変わっちゃうからね。
アメリカじゃ、伝説のヒーローです。
スタイルとしては、グランジという名前がありました。

彼は結局、自殺してしまいました。
他の自殺したロックスターたちと同じ27歳で。

それで想像してみたのです。
カート・コバーンは、大人や社会、世の中、そして自分ーーーすべての不満と、やり場のない怒りや悲しみを体現してくれる人でした。だからあれほどの人気があった、大スターだったのです。ファンはみな、「彼の苦しみは私の苦しみ」「彼の怒りは私の怒り」と思っていたんです。
彼は自殺でしたが、もし彼が殺されていたら? 「若者にとんでもない影響を与える」といって、大人や社会に拷問されて殺されていたら? 彼は神格化されるのかも。
そしてもし復活したらーーここはちょっと想像が難しいけどーーもし彼が穏やかな救われた幸せな様子で生き返ったら、信仰の対象になるのかも。

そんなことを考えてしまいました。

いやいや、キリスト教ってそういう思想じゃないのかもしれませんが、今までまったく、とりつくしまもないほど理解できなかった私が、この像のおかげで、ちょこっとわかった気になることができました。

作者は、Edme Bouchardon、1698-1762。1745年の作品です。
他の作品も画像検索で見てみたけど、いかにもフランスっぽい作品が多いのね。そんななか、これはとってもシンプル。なんでだろうな。



今気づいたけど、キリストが十字架にはりつけられて死んだときって、お母さんのマリア様と、マグダラのマリアと、他の人も描かれていることもあるけど、それくらいしか遺体を前に嘆き悲しんでいないわよね? あれほどたくさんの信者がいて、キリストをおっかけまわしていたはずなのに。
権力や社会から「罪悪人」「犯罪人」のレッテルをはられると、ここまで人は避けて、冷たくなれるものなのか。だから「キリストは復活して許してくれた」というのが、よけいにありがたいのかな??
人々は無視、無関心を装った。ということは、「原罪」っていうのは「無関心」なんでしょうか。
そういえば、マザー・テレサは、「愛の反対は憎しみではない。無関心である」と言いました。

なぜ偶像崇拝が禁止なのか

イスラム国が話題になっていて、博物館の遺物を盛大にこわす様子などが放送された。
もっとも重要なものは売って資金源にしていて、レプリカ(偽物)などを壊しているというウワサもある。でも外にある遺跡を壊している。あれはレプリカとはいえないでしょう。

説明される理由が「イスラム教では偶像崇拝が禁止だから」。

今回は、この「偶像崇拝」について考えてみました。

宗教を考えるのには、いくつかのポイントがある。
まず一神教か、多神教か。
そしてもう一つの大きなポイントが、偶像崇拝があるか、禁止かである。

私はここ最近、古代エジプト、古代メソポタミア、古代ユダヤ、キリスト世界、イスラム世界、、、などを美術を通して感じたり調べたりすることが増えて、一つの感慨をもっている。

何か新しいものを創ろうとする意志があるときは、古いものを否定しなければいけない。
「自分はオリジナルだ、独特だ。特別の存在だ」というのを出したいときも同じである。

思想があるがゆえに、古いもの・既存のものを否定するときもあれば、新しい感じを出すために、とにかくなんでも既存ものを否定しとけ、という場合もある。後者の場合でも、もっともらしい理由をつけるので、両者の区別はつきにくい。

わかりやすい例を出せば、ファッションなんか、長いスカートが流行れば次は短いスカート、細い眉が流行れば次は太い眉。それだけで、みんな「新しい!」と飛びつく。要するに既存を否定すれば新しいと人は感じるし、人は新しいものに惹かれるのだ。宗教とファッションを完全に同列にするつもりはないけど、ファッションは思想云々が薄いだけ、人間心理がわかりやすい面はある。

なんで偶像崇拝が禁止か。
それは、あまりにもたくさんの素晴らしい偶像が既にあったからだと思う。
イスラム教がうまれた近場のメソポタミアやエジプトは、偉大な文明の地だった。世界中に影響を与えたほどの、すばらしい文明と技術を誇っていた。彼らは多神教で、優れた偶像、すぐれた遺跡をたくさんもっていた。メソポタミアなどは文明の交差点で、たくさんの民族、たくさんの国、たくさんの文化・文明がうまれた。たくさんの宗教の痕跡が残っている。彼らは多神教だった。

こんななかで「新しい宗教」をはじめるには、「偶像はもたない」は新鮮だ。それにやりやすい。

たくさんのモードのスタイル、色や模様や装飾がきらめている中、シンプルな黒一色の、全く異なったラインのファッションは衝撃を与えた。それまでのファッションシーンを一変させる新しさだった。これは「きらびらやかな服飾の否定」という思想であった。でも、それだけではない。新人のデザイナーには、ますますこって複雑に高額になっていく装飾のための材料は、買う事ができなかったという事情もあったのだ。

それに感覚としては近いのではないか。

ここで、さらに考えてみる。

「新しさ」をつくるには、主にふたつのやり方がある。
一つは、前述したように、既存のものの徹底的な否定。
もう一つは、既存の豊かな文化をとりいれて、融合させて、独自に発展させるもの。

ほとんどの場合は、後者だと思う。

例えばペルシャ文明。「ペルシャ文明」(とかペルシャ語)とかは、それほど興味がない人まで名前を知っている、偉大な文明である。現在のイランですね。もともと優れた文化をもつ地ではあったが、最初から偉大な文明であるわけではなかった。優れた王が、強権をもって、主にメソポタミア文明でうまれた様々な優れた様式や文化を取り入れて、融合させたのだ。そして独自の発展を遂げていった。
つまり、もともと豊かな地で、集中的な権力があればこそ、さまざま文化を融合させて新たな独自のものをつくり出すということができたのだ。
でも、それらが乏しかったら、難しい。そのときは、「既存のものの否定」にいくしかない。

ルーブル美術館を見ていて、そんなことに思い至りました。

ところで、偶像崇拝の禁止というのは、イスラム教が初めてではない。ユダヤ教という前例があった。ユダヤ教徒も、ちょっと油断すると人々は偶像を作り出したそうで。そんな話を読んだけど、元は聖書に書いてあるのかな(旧約聖書は歴史書でもありますので)。
→→ 記憶をもとに検索してみました。確か金の牛だったような気がしていましたが(昔読んだ本にイラストがあったんです)、「金の子牛」という、モーゼにまつわる旧約聖書のお話でした。旧約聖書のものがたりは、本当に面白いですね。

どうも、人間は偶像なしに安心して信仰をもてるほど、強い存在ではないらしい。

そういう意味では、本当に偶像なしでやってこられたイスラム教というのは、やはり信じる人たちの住む自然とか環境とか、そういうのにマッチしたものだったのかもしれない。

イスラム教がうまれたアラビア半島というのは、砂漠が続き、文化はあるが文明はなかった。だからこそ、新しい「イスラム教」という宗教・文化を、国家権力ではなく、一人ではじめるには、前述した「既存のものの否定」という方法に必然的になったのかなと思う。さらに、そういう気候風土ゆえに、偶像がないというのは、発祥の地の人々にあっていたのではないか。

その後、イスラム教は広まって、イスラム美術が広域に発達する。偶像はないものの、すばらしいモザイクやオブジェ、カリグラフィーを生み出した。美術が発達したのは、砂漠のアラビア半島ではなく、すでに文明があった今のトルコ、イランなどの地だった。偶像崇拝があった、多神教の豊かな文明の地で、偶像崇拝を禁止する一神教の宗教が受け入れられた。そして、偶像崇拝以外のジャンルでは美術は大いに発達した、と。やはり文明の歴史が過去にあったからでしょう。このあたりも面白いですね。同じ一神教でも、キリスト教世界とは違いますね。


もう一つ突っ込んで書くならば、「神様」を偶像化するのに、禁止とまではいかないまでも抵抗がある文化と、まったく問題ない文化がある。
例えば、日本の神道は多神教で、神社にはほこらはあるけれど、ほこらの中に神様の形をした偶像が置いてあるわけじゃない。神様の絵が、あちこちに描かれているわけではない。同じ多神教でも、像がばんばんつくられたギリシャ・ローマとは全然違う。仏教だってそう。ギリシャ・ローマみたいに、仏像が山のようにある。
日本という国は、神道という、神様を偶像化・具象化することが禁止ではないが抵抗がある宗教と、まったく抵抗がないどころか、国をあげてたくさん偶像をつくり続けた仏教という宗教の、二つの宗教が混ざっている国だ。これは自分の国を知る点で、面白いポイントになるのではないかなと思っている。

キリスト教だって同じだ。キリスト教は一神教に入るけど、多神教的な要素がある。キリスト様、マリア様、聖人たち。教会のまんなかに鎮座するのは、キリストだ。彼は神の子であって、天地創造の神は別にいる。キリストや聖母マリアや聖人たちは、ギリシャ・ローマを凌駕するほどに像がたくさんつくられて、絵もたくさん描かれた。でも、キリスト教教会にいっても、天地創造の神様の像はない。絵にしても、神様が描かれる頻度は、ないわけじゃないというくらい少ない。あるということは、禁止というわけではないらしい(ミケランジェロの絵が有名ですね。アダムと神様が、指先で今にも触れ合う、というあの絵です)。
禁止ではないにせよ、キリスト教世界では、神を偶像化・具象化することは極めて少なかった。

キリスト教は、ユダヤ教と、ギリシャ・ローマの宗教に対抗して成立した宗教だ。
細かくどう違うか比較していくと、きっと人間の心の動きということで、興味深い結果がわかるのだと思う。もうすでに研究があるだろうから、なにかよい本はないのかな。


ルーブル美術館通い13

13でいいんでしたっけ。

チュニジアで、国を代表するバルドー博物館が無差別攻撃された翌日にルーブルに行くっていうのも、、、なんか妙に緊張するものでした。

観光客は減っている感じがするけど、でもやっぱり大勢の人がルーブルに入るのに列をつくっていました。「ここにテロリストが来たら、もうダメかも。あそこの見えにくい角にまずは隠れて・・・」とか思ってしまった。もっと武装した警備員がいるかと思ったけど、少なくとも並んでいる30分くらいの間は一人もみなかった。私服はいるのかもしれないけど。

今も横のテレビでは、21時から始まったテロリストの特集番組をやっています。うわ、シャルリ・エブドの女性ジャーナリストが顔を出してしゃべっている。勇気ありすぎ。筋金入り。どういう信念なんだろう、と素朴に知りたく思う。

話を本題に戻しますと。

今日は、古代オリエントのコーナーを見ました。今までも通りすがったときに何部屋か見た所もあるのだけど、今日はじっくり集中してみました。
古代オリエント、メソポタミア文明というのは、まさに今、戦争が起きているイラクやシリア、「イスラム国」が領土としているところ。「四大文明」って習うけど、メソポタミアが一番古い。

40.jpg
上のオブジェなんか「紀元前40世紀から30世紀」って・・・。10世紀分、はっきりしないわけね。すごいなあ。
メソポタミア文明のものっていうのは、とっても不思議なのよ。
なんだか像が仏像っぽいものがたまにあったり、石の彫刻に文字が書かれている感じも、なんとなく仏教っぽい。そうかと思うと、神話の女神の表現やハープ奏者などが、なんだか古代ギリシャっぽい。エジプトっぽいものも。ライオンの像は中国っぽい。

同じような古さを誇っても、こういうのはエジプト文明ではあまり感じない。エジプト文明とメソポタミア文明は、横姿で並んだ人の壁画みたいのが似ているとか、共通点はみつかる。でも、エジプト文明っていうのは、独自に一つにまとまっている世界という感じがする。対して、メソポタミア文明は、たくさんの文明のルーツを見るような思いがする。

いや、大元があって、広がりながら発展していくっていうのは、知らず知らずのうちにダーウインの進化論(?)に毒されているのかも。中には、偶然に違う場所で同時的に発生したものもあるでしょうし、逆で、地中海や中国の文化がメソポタミアに影響を与えたのかもしれない。各文化には個性があるにしても、交易があるのなら影響しあうから、どっちがどっちとはっきり区別することそのものが難しいのかもしれない。

それぞれのオブジェについて年代で考えると、バビロニアのライオンのおきものは紀元前20世紀くらいだから、一応一番古い中国の王朝と言われる殷(紀元前16世紀以降)よりも古いかな。

これです。
lion.jpg

最近では、殷よりもっと古い夏という王朝があったらしいとなっているが、「ライオンの置物」という点ではどうなのかしら。あと両者を結ぶルートはあったのか、とか。調べ出すとキリがなさそうな感じ。それこそお互い交流がなくても、似たようなものが創られたのかもしれないし。でも似てる〜(・・・と私は思った)。
こんな感じで一つひとつ研究していったら、一生かかりそう。学者の方々、がんばって。研究結果を読ませてね。

前述した「エジプトは完結している感じ」というのは、地理と関係あるのでしょうね。エジプトの南は、ヌビア人と呼ばれた黒人(現在のスーダン)はいたみたいだけど、南や西方面は基本的に文明はなかったみたい(というか砂漠だし)。文化の流入口は、シナイ半島(パレスチナ方面)しかなかったように見える。その点、メソポタミアは文明の通路に見える。

ところで、古代オリエントには入るけど、メソポタミアには入らないのがイランです。ペルシャ文明と言ってもいいけど、時代的にはペルシャより前のものの展示です。ここになると、インドっぽいオブジェがあるのよね。バラモン教っぽいというか。イランというのは山なんですよね(平地もあるけど)。メソポタミアが「肥沃な三ヶ月地帯」なら、山から向こうがイラン、となります。地理的関係からすれば、イランの方がインドに近いのだから、インドっぽい要素がみつかるのは当然かも。
(メソポタミア ー イラン ー アフガニスタン・パキスタン ー インド )

でも、イランを飛び越えて、メソポタミアに仏教っぽい感じがするものがあるのは、どうして? まあただの印象をベースに考えているだけだし、ルーブルにあるものがすべてでもない。でも気になる。イランにも仏教っぽさはあるのかしら。
インドっぽさと仏教っぽさはどう違うのか、仏教はインドでうまれたんでしょ? と突っ込まれると、これもまたうまく言葉にできない。

うーん、ほんとメソポタミアって面白いわ。もし私が考古学をやらなければいけないのなら、メソポタミアをやるわ。「文明の交差点」という言葉がぴったり。すばらしいと思う。

ただ、オブジェとしては、エジプトのほうが美しいので、研究者はそういう意味では楽しいかも。メソポタミアのオブジェは、破片とか、首がなくなっちゃった像とかが多いし、色もとれている。運んで来た巨大遺跡以外は、ぱっと見はそれほど面白くない。逆に言うなら、そんな紀元前の古いものなのに、色や形が残って保存されているエジプトのほうが奇跡なのだと思う。やっぱり乾燥していて砂漠という気候のせいなのかもしれない。あと、前述したように、地理的にはわりと孤立しているせいもあるのかも。メソポタミアなんて、いまだってイスラム国が跋扈しているように、人々が始終やってきて何かしている所のようなので。

まったく、イスラム国は、素晴らしいメソポタミアの遺跡や遺物を壊しやがって(あ、言葉が汚くなってすみません。つい)。あれは本当に頭に来た。今まで千年以上も、現地のイスラム教徒は、自分たちの祖先のものを大切に保存してきたのに。イスラム国じゃないけどバーミヤンの仏教遺跡もそう。絶対許さん。人間を殺すのも蛮行だけど、「散々アメリカや連合国の空爆で、罪のない人々が殺された仕返しだ!」と言われると、イスラム国だけがものすごく野蛮とは言えないのではないか、という気になることもあった(ただし殺害の方法はすさまじいけど・・・)。でも、遺跡は許さん! 人間、文化、文明、祖先、歴史、すべてのものに対する尊敬がない! 野蛮人!と言ってしまおう。

メソポタミア文明が素晴らしくて感動すればするほど、怒りがフツフツと。。。

今日はこのへんで。 

「ナショナル・ギャラリー英国の至宝」をみて

観てきましたよ、渋谷・文化村で「ナショナル・ギャラリー英国の至宝」を。
3時間にも及ぶ映画で、
「第71回ヴェネチア国際映画祭 栄誉金獅子賞受賞
巨匠フレデリック・ワイズマン監督が、
英国の〈小さな美術館〉が〈世界最高峰〉と讃えられる─その秘密に迫る!」
とあったから、それはもう楽しみにして、行って参りました。お安い火曜日を狙いました。

感想。
長い!長すぎる!!!
隣の若者(男子)は、途中寝て、一瞬いびきをかいていたが、わかるよ、その気持ち。
いったいこの映画は、何が撮りたかったのだろう。
延々と続く、(たぶん)学芸員による絵の解説。

面白かったのはいくつかのシーンだけ。
・マラソンの終点になることの是非を論議する会議(というか、トラファルガー広場が終点なのだけど)
・予算をめぐる会議。「昨年は280万ポンドと思ったら490万ポンドで、寄付もいれれば600万ポンド」と言っていたのをしっかり暗記した(苦笑)。
・黒檀の額に関する説明
・ある絵の持ち主の由来(スウェーデンの女王のものだったがオルレアン公のものになり、イギリスの貴族2人に渡った)
・光の効果の話。大元は人間もはいれるくらい高い暖炉の上にあったという絵の話。

あとは・・・いくつかあったけど、忘れた。
これは本当に長い。2時間か1時間半くらいに編集したほうがいい。本気で眠かった。
第一、絵の解説をする映画だったら、英国ナショナルギャラリーである必要がないじゃん・・・。絵の解説を主にするなら、イギリス人によるイギリス屈指の絵、じゃないと、わざわざ「ナショナルギャラリー」とする効果はないのでは。
そう考えると、悪いけどイギリスって画家はそんなにいないわよね。英国王室にかかわる絵や、やっぱりというか最後はターナーで決めて、出演させていたけど。

今更ながら気づくが、そう思うと、イギリスって「これぞイギリスだ~!」って絵がないわよね。私が言うのは、「ジョセフィーヌ(ナポレオン)の戴冠」とか、「民衆を率いる自由の女神」みたいな、いかにも、というその国を象徴するような大作。(権力者の肖像画なんていうのはどの国にも昔からあるけれど、ここではそういうものを言っているのではない)。ルーブルを見慣れているので、私の中であるのが当たり前になっていたけど、考えてみれば他の国にはないかも。イタリアは美の宝庫ではあるけど、キリスト教関係が多いし。なぜないんだろう。でもこれも、私が住んでいるのがロンドンだったら、「なぜフランスにはあるんだろう」という発想になるんだろうなあ。

うーん。。。。
でもね、監督も撮りようだったと思うのよ。他にいくらでも、撮りようがあったと思うのに。それ次第で、本当に「〈世界最高峰〉と讃えられる─その秘密に迫る」というコピーどおりの内容にできたでしょうに。あっちこっちから色々横やりと制約が入って、自由に撮れなかったのかも。
結果的に、「そういえばイギリスって絵画が貧しかったっけ」なんて思わせる、まったくの逆効果になってしまった。昔のルーブルの映画のほうが何倍もよかった。あれもそれほど「必見!絶対見るべき!」というほどの映画じゃなかったとはいえ、淡々とフィルムを回しているだけなのに、十分楽しめた。90分くらいで短かったというのもあるけど・・・。

そのほか気づいたこと。

「レオナルドの絵を一堂にかいしたおかげで、絵がお互い響きあって、見えてくるものがある。そうならなければ学芸員の失敗だ」と言っていた、わりと若めの学芸員がいた。たぶん最後に、レオナルドの岩窟の聖母の位置について説明していた人と同じだと思うのだけど、あの人はなかなか優秀なのではないか。3か月ずっと毎日見続けるというのは、学芸員にも勉強になるんですね。

それと、ナショナルギャラリーって入場無料。だからまずいこともあるんじゃないか、と思ってしまった。無料なのは素晴らしいと思っていたけど、やっぱり自分で稼げないというのは、欠点にもなる。私は昔、店頭売り月刊誌と、無料の月刊誌をつくっていたことがある。そのときの違いを思い出してしまった。なんというか、淀むというか・・・。
商業主義にならないからよい、とは素直に思えないと映画を見て思った。なぜか最後のシーンは、ギャラリーで男女二人がバレエで踊っているシーンで終わるのだけど、悪いけど「なんだこれは」と思った。ウイーンフィルのニューイヤーコンサートでも、テレビでは踊っているが、ああいう違和感を感じた。途中、説明はないけど、男女のヌードのデッサン会みたいのもあった。館内のピアノ演奏会とか。人を集めて講演会みたいのも。これらすべて、集客や、「存在意義」を見せるための、ギャラリーのあの手この手なのだと思う。それらは悪いことじゃないし、どの美術館でもやっていると思うのだけど、なんかこう、ものによっては強烈な違和感をもつ。

まあ・・・絵だけの美術館って大変よね。確かに昔の絵は、知識があることで俄然面白くなることもあるけれど、なんかこう・・・ここまで永遠3時間のなかの2時間(と感じた)も説明されるとやりすぎかも。

逆説的で申し訳ないけど、やっぱりルーブルって偉大なんだわ、と思ってしまった。世界中にあまたあれど、ニューヨークにロンドンにバチカンにフィレンツェにロシアにベルリンにオランダに(まだまだもっとある)・・・でもやっぱりルーブルが一番有名かも。そう感じたけれど、まだ「なぜなのか」とはっきり言葉にはできない。もちろん、ルーブルは全部が一つになっていて、イギリスでは大英博物館と分かれているという事情はある。でも・・・うーん。やっぱり近代の美術館はルーブルが発祥の地、つまり世界で一番手であるという意味は大きいのかもしれない。

でもどの美術館も大変そう。今度は、オランダの美術館の映画見に行こう。予告編みたけど、オランダ人らしさが出ていて、すごくおもしろそうだった。そういえば、クリミア美術展やっていたのオランダじゃなかったっけ。その後どうなったんだろう。どこに返したのか、返していないのか。

でも、どんなに素晴らしくても、やっぱり美術館は「過去の収蔵」。
その視点を忘れて考えるのはいけないなと思いました。
けなしてばっかりでしたが、色々勉強になった映画でした。見てよかったです。
(でもやっぱり長すぎるけどね)

おしまい。






異文明・異宗教の出会いを考える

エジプトでイスラム国によって、コプト教徒が殺されました。
そこで、コプト教会の法王によって、葬儀が営まれました。
目を見張ったのは、写真。
うーん。
東方正教会なんだけど、どこかカトリックっぽい気もする・・・。
美しい。
実際は、怒りに満ちたものすごい群衆が集まった状態だったようです。
次は北アフリカがまずそう。

コプト教会というのは、エジプトのキリスト教会のことです。
エジプトは、クレオパトラ女王を最後に、ローマに征服されてしまいました。古代エジプト文明の終焉です。ローマ帝国時代にはローマ化するのですが、ローマ帝国はキリスト教が国教になったと思ったら、滅びてしまいました。その後イスラム教が普及するまでの間、エジプトはキリスト教だったんです。これがコプトです。イスラム化した後も、キリスト教徒は一部残りました。

ルーブル美術館に、コプト美術のコーナーがあるのです。こじんまりとしていますけど。
織物が有名とはいっても、目をひく派手な展示品はないのですが、私はすごく惹かれるのです。
なんかこう、、、ギリシャ・ローマ世界と、キリスト世界とイスラム世界とエジプト世界が混ざっているような感じがするのです。

歴史はとっても古いです。
ローマ帝国では、キリスト教徒は迫害されていました。だから、ローマの中心から見れば辺境である、エジプトの奥のほうにと、逃れて住んでいったと言います。

フランスにいたので、コプト教会の名前は知っていました。サー(シスター)・エマニュエルというカトリックの尼僧が数年前に亡くなりました。フランスのマザー・テレサと言っていいでしょう。彼女は、エジプトのとても貧しいコプト教徒の村で、ベッド一つしかないとても質素で貧しい家に住んで、援助活動、特に子供に対する援助を行っていたのです。
彼女が死んだとき、フランス中で大きなニュースになり、彼女の生涯を紹介しました。そのときに知ったのだと思います。

私は前から、「一番関心があるのは、文明とは何か、国とはなにか、民族とは何か、ということだ」と書いてきました。文明については、もっと正確にいうと、文明の出会い・・・と思うんです。

最近は、美術関係の本を読む割合が増えました。
美術関係者や美術学者というのは、わりと自由に発言しているんだなと感じます。
歴史学者とは、また違う規範をもっているようです。

そこでもいろいろ知ったのですが。

ユダヤ人というのは、最初から一神教じゃなかったらしい。
私は、ユダヤ人というのは一神教の「発明」ゆえに、今にいたる大きな力をもっているのかなと思っていました。
でも、最初は多神教だったらしいんです。
それが一神教になったのは、エジプトの影響があるという説があります。
紀元前14世紀ごろ、エジプトでアメンホテップ4世がアマルナに遷都して、まるで一神教のようにアテン信仰を始めました。アテン神は、多神教のエジプトの神の一人(?)でしたが、忘れられていた神様だったらしい。王様は、今までのしがらみを逃れたかったのでしょう。政治のしがらみ、宗教のしがらみ、すべてを。だから、遷都して、今までとは名前も形も違う宗教を始めた。王の死とともに終わる、短命な時代でした。

この時代の美術は「アマルナ美術」と呼ばれ、エジプトでは例外的に、写実性で知られています。世界史で習いました。
(ルーブルにも、アマルナ美術のコーナーはあります。本当に1つか2つですが、「ほんとだ!古代エジプトっぽくない!」という素人目にもわかる、アマルナ美術らしいオブジェがあります。)
これがユダヤ教の一神教の成立に影響を与えた・・・という仮説です。

あと、この前、ギリシャ神話の本を読んでいて「そういえば」と思ったのですが、ギリシャ・ローマには「地獄」の思想がないのです。ここでいう「地獄」とは、生きているときに悪いことをした人が、死後に落ちて苦しむという、「悔い改めよ!さもないと、地獄に落ちるぞ!」と脅されるような、あの地獄です。

ギリシャ・ローマ神話にあるのは「冥界(めいかい)」なんです。死者の暗い世界はありますが、別に苦しんでません。
そう考えると・・・キリスト教には地獄の思想がある。いったい、この思想はどこから来たの?

一方で、仏教にも地獄の思想はあります。
インドの文化の大元にも、地獄の思想はなかったのだそうです。なのに、インドでうまれた仏教には地獄の思想がある。これもどこから来たのだろう。

この思想の大元はシュメール文化だ、というのです。シュメール文化というのは、要するにメソポタミア文明(の初期)です。
チグリス・ユーフラテス川がうんだ文明で、今のイラクとかシリアとかトルコとか、ヨルダンやイランのあたりです(イスラム国の「領域」の話じゃありません)。

ということはつまり、地獄の思想がなかったギリシャ・ローマ文明とインド(インダス文明)という世界の地に、地獄の思想を与えたのはメソポタミア文明。

別のことになりますが、「最後の審判」という思想は、エジプトにあります。ただ、キリスト教ですと、世界が滅亡するとか理想の世界が実現されるいうイメージになりますが、エジプトは違う。審判の結果が悪いと、復活できないという罰が与えられるだけだったようです。といっても、エジプト人には、これが最悪の罰だったのですが・・・。あれほど再生を願って王様から平民までミイラをつくっていたのですから。
ギリシャ・ローマ神話にもないわけじゃないけど、やっぱりエジプトから来た思想なのかな。どうなんだろう。

まざっていますよね。

「西欧文明」=ギリシャ・ローマ→キリスト教文化
という流れで理解していますが、決してそれだけじゃない。

私はですね、こういうことを理性的に知的にちゃんと勉強すれば、こんなに宗教等で争わなくてすむんじゃないかと思うんです。私たちはみんな、影響しあっているんだよ、って。日本は大陸じゃなくて、はじっこの島国だから影響を与え合うことは少ないけど、ないわけじゃない。ちゃんとある。
でも人は、他の人と違うと言いたがる。共通項をみつけて仲良くするよりも、異なるところをみつけて、「あいつなんて。私のほうが上」と言いたがる。


私は、個人的にはイスラム国は、近代化への恐れ、西洋化への恐れが、あのような形で過激な形で反動でおこった面があるのだと感じています。
スペインの反宗教改革、趣きは違いますが、フィレンツェのサヴォナローラも同じだと思います。
反動は起きたけれど、次にやってきたのは、欧州におけるキリスト教の世俗権力の衰退、フィレンツェの衰退でした。

イスラム国の場合、外国が介入しているので複雑ですが、近代化は避けられない人間の道だと思っています。
科学の精神・知への精神への欲求は、とめようがありません。
まずは医学からだと思います。
大切な人が、病気や死に瀕して苦しんでいるのを見て、助けたくない人はいません。もし西洋医学ー近代の科学が救えるのなら、学びたいと思うのは当然でしょう。
人が病気になることが減り、年齢順に亡くなるようになると、どの社会でも宗教心は薄れていきます。医学を筆頭に、科学と科学的精神に基づいた知が発展すれば、次の問題は、不平等。そして自分の権利。このようにして社会は変わっていくのだと思います。

今の現象は、「近代化への生みの苦しみ」だとも思っています。
もちろん宗教は、文化や風土、精神や心の支え、あるいは国や民族を特色づけるものとして存在し続けるでしょう。
でも、今までと同じではいられません。
よく「15世紀と21世紀の対立」などと言われますが、私もそう思います。
でも、21世紀と隣接している以上、15世紀のままではいられないのではないでしょうか。
私たちは今、一つの大きな文明の黄昏を、目の当たりにしているのかもしれません。


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